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2020. 02. 20  

ツイッターに、「#そうだ洋書を読もう」というハッシュタグを作ってみました。
1本目のツイートに書いたとおり、自分が読んだり聴いたりして面白かったものを、独断と偏見で紹介していこうと思います(1冊につき1~2ツイート、不定期)。「勉強もかねて」とは書きましたけれど、「面白そう」と思うものが見つかって、手にとってみていただけたら嬉しいな、くらいの気持ちです。1998年から2020年の間に読んだり聴いたりしたものなので、1990年代から2010年代の作品が多めです(特に医療系ノンフィクション)。フィクションは少なく、しかも偏ると思うので(笑)、もしフィクション系で参入して下さる方がいらっしゃったら嬉しいです。ノンフィクションを紹介したいという方も歓迎。


私が洋書を多(聴/音)読するようになったきっかけは、旦那の米国転勤帯同です。そのときにはもう多少の翻訳経験があったので、自分の英語力にはそこそこ自信がありました。確かに、文章を読むことにさほど苦労はしませんでしたが、相手の言うことが聞き取れないことには愕然としました。
そのとき、アドバイスを求めたボランティア先図書館の部門チーフ(東欧からの移民、ほとんど喋れない状態で来米し(本人談)、5年ほどでパートタイムながら部門チーフの職を得た)の助言が「好きなジャンルのカセットブック(当時Audio Bookの主流はカセットテープだった)をたくさん聴くこと」でした。ありがたいことに、図書館には、様々なジャンルのカセットブックが多数所蔵されていました。
シドニー・シェルダン、メアリー・H・クラーク、ジェフリー・アーチャーなど、邦訳を読んだことのある作家の作品から始め、徐々に、当時の興味の中心であった医療ミステリーや医療ノンフィクションに移っていきました。ウォークマンをエプロンのポケットに入れさえすれば、家事をしながら聴くことができます。調理や後片付け、拭き掃除、洗濯物畳みなど、それぞれは短くとも、塵も積もればでトータルではかなりの時間になりました。内容にもよりますが、ひとつの作品を5~10回繰り返して聴きました(それくらいリピートしないと、きちんとストーリーを追えない)。

そのうち、借り出した本を音読することも始めました。こちらは「英語を喋る」ことが目的です。聞き取る力は向上しましたが、話す力はなかなか上達しません。英語でパッと考えをまとめられないというのが一番の理由には違いないのですが、瞬間的に「英語口」にならない、ということも関係しているのではないかと思いました。「英語口」というのは造語ですが、口の周りの筋肉や舌の使い方、喋り方のリズムなどさまざまなものを含む「英語を喋るモード」で、これに瞬間的にスイッチできないために、間投詞や感動詞を適切に挟みながら、相手に上手く伝わるように話すことができないのかなと思ったのです。

この聴読(これも造語)と音読は、2004年に帰国してからも(時間こそ短くなりましたが)ずっと続けています。音読はいずれにせよ、聴読は、家事に上乗せという形で、毎日特に「聴く」ための時間をつくらなかったことが、長続きしている秘訣かなと思います。
そして、時間があれば黙読も。音読しているものが面白くなったり本腰を入れて読みたくなったりして、黙読に切り替えることもあります。基本的にその場で辞書は引きません。
こう書くと、すごい冊数の本を読んでいるように誤解されるかもしれませんが、聴読も音読も1冊読破するのに結構時間がかかりますから、年間10冊+くらいではないかと思います。


聴/音読を続けて(個人的に)よかったと思うことは、
・ そこそこ長い文章の大意を掴むのが速くなった(仕事で、必要情報を探しながら英文資料を読むときに役立つ)
・ 単語と発音がマッチするようになった(ときどき動画に関係する翻訳の仕事があるが、自信をもって音声チェックできる)
・ 英語のリズムが身につく(自分が音読するときも、区切りや情報の重要性を考えながら、メリハリをつけて音読できるようになる)
などなど。
でも、これらは、後付けで考えてみたら「そうかな」と思うこと。私は、Amazonで「読んでみたい本」を探すのが大好きなんですよね。読者評価や商品紹介、ときにはなか身!検索も参考にしながら、ああでもない、こうでもないと悩んだ末に手に入れた本を読み進めていくのは、本当に楽しみです。こちらを読んでくださる方が、1冊でもそんな本に巡り会ってくだされば嬉しいなと思います。

でもだがしかし。

「そうだ、洋書を読もう」と言ったその口がそれ言うのか?と言われてしまいそうですが、翻訳者としては、洋書をたくさん読むだけでは不十分だということも申し添えておきます。
多読の読み方は、精読(文法を押さえながら、細部まで気を配ってきちんと読むこと)ではありません。つまり、「翻訳するための読み方」ではないのです(少なくとも私はそう思います)。
数年前までは、私も「たくさん読めばそれだけ身につく」と思っていました。けれど、翻訳フォーラム・シンポジウムや勉強会を通して、それだけでは不十分で、多読できる能力があり、その上に精読を積み重ねてはじめて翻訳する力を伸ばすことができるのだということに思い至りました(それを、日本語で表現する力ももちろん必要なのですが、主題から外れますので、ここでは割愛します)。

そのことを、『翻訳とは何か 職業としての翻訳』の「外国語を読む技術」(p125~)で、山岡洋一さんも指摘されています。
外国語を読む力には、
1 「外国語を学ぶために読む段階」(第一段階=英文解釈)
2 「外国語を道具として使いこなす段階」(第二段階、「外国語を外国語として意識せず、内容を読み取れる」)
3 「以上の二つの力を一段と高い水準で組み合わせた段階」(第三段階=翻訳のために読む段階)
の三つの段階があると分類された上で、1、2の技術を身につけていることが、翻訳に取り組む際の前提だと仰っています。外国語という意識をもたずに内容を読めるようになっていることが前提だが、「翻訳にあたっては、もう一度外国語を外国語として意識しなくてはならない。(中略)翻訳という観点で外国語を読む技術とは、外国語と日本語の違いをあらゆる面でとらえる技術である。文法構造の違いをとらえ、語の意味範囲の違いをとらえ、外国語の語や表現のニュアンスをつかんでいく」(P131)。さらに、(一般論としてことわって)こうしたことに気を配りながら、何年も大量に翻訳を続けていけば、第三段階の「外国語を読む技術」は自然に、飛躍的に高まっていくとも仰っています。

多読で身につくものもあるけれど、それだけでは不十分、それとは別に「翻訳するための読み方」があるということを常に念頭におきながら、洋書を楽しんでいただけたらなと思います。
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2020. 02. 16  

コロナウィルス感染の広がりが懸念される現状を考慮し、2月29日に予定していた公開勉強会を中止致しました。
(運営としては無念、一参加者としてはとても残念です)

中止の連絡は、ツイッターやFBで発信済みです。
(参加者の皆さんには、個別にメールで連絡しました)
https://twitter.com/osaka_lesson/status/1228831792959905792

以下は、中止に至る経緯です。
今後、同じような決断を迫られる方の参考になればと思って書いています。

「中止を視野に入れた方がいいのでは」という話が出たのは14日夜でした。
「公開勉強会」では、課題提出の締切りを19日、懇親会出欠の回答の締切りを23日に設定しています。また、遠方から来阪してくださる方も数名いらっしゃいました。「決断は早い方がよい」ということになりましたが、事務局(3名)では結論に至りませんでした。
そこで、「翻訳を勉強する会」のメンバーにも意見を聞きました(15日午後)。「中止」「開催」で少し意見が割れましたが、皆さんから頂いたコメントを参考に、最終的に事務局で「中止」を判断しました(15日夜)。その晩のうちに、「しなければならないこと」を洗い出し、参加者に送る文面のひな形をつくり、翌16日朝、ツイッターやFBで発信するとともに、参加者にメールで連絡しました。

私は、事務局のうちの1名に過ぎず、私の考えたことは、「中止に至った理由」のすべてではありません。私の考えも考慮に入れて頂いた上で、「コロナウィルス感染拡大の状況を踏まえ、安全を考慮し」(ツイッター文面)という中止の決断に至ったとお考えください。とはいえ、個人的なものではありますが、具体的な思考内容は、今後の決断のなにがしかの役に立つかも知れませんので、ここに書いておきます。

・今後さらに感染が拡大することが予想され、2月中に収束に向かうとは思えない。
・移動が長時間になる参加者が複数名いる。
・今回の勉強会はグループワークを主体としており、懇親会だけではなくグループワークでも、いわゆる濃厚接触に該当する状態が生じる。
・高齢者と同居したり高齢者と頻繁に接したりする状況の参加者も少なくない。
・そのような状況で、運営として多人数が一堂に会する機会を設ける(感染リスクを高める)ことは、現状好ましくない。

*これはあくまでも、私たちが会の進行や参加者の内訳も考慮して決断したことです。すべてのこうした集まりに適用されるということではありません<念のため。

中止に際し、

・参加料は全額返金する(主催者都合なので当然といえば当然ですが)。
・取り組んできた課題を無駄にしたくないという参加者には、課題を提出してもらうようにする(提出期限は延ばす、提出は任意)。提出者には、半月を目処に、提出物まとめ等、なんらかの形でフィードバックを行う。

ことも決めました。
(しかし、たとえば参加者が100名超というような話になれば、ここまでの対応(=フィードバック)は難しかったかもしれません)


事務局は、
管理人:全体統括、募集画面作成、メール送付、課題やアンケートのとりまとめ
第1秘書:スケジュール管理(形だけ)、広報、各種文面(案)作成
第2秘書:福利厚生(懇親会)
というおおまかな役割分担で動いております。

というわけで、中止に際しては(開催の場合もそうなんですけど)、一番の力仕事をしてくださったのは(本来でんと構えて秘書らを手足のように使って当たり前の)管理人さんなのです。提出課題をとりまとめてくださるのも管理人さんです。当日の進行についても、「ああでもない、こうもしたい」と色々考えておられるようでした。ですから、今回の決断に一番心を痛めていらっしゃるのは管理人さんではないかと思います。
そのことをちょっと皆さんにも知って頂きたく、最後に付け加えさせて頂きました。

ご参加予定の皆さまにとっては、残念な結果となってしまい、本当に申し訳ありません。メールでも申し上げたとおり、参加メンバーの高齢化(笑)など諸般の事情で、今後このような「公開」イベントを開催することはなかなか厳しい状況ですが、今後も「翻訳を勉強する会」を生暖かく見守って頂けたらと思います。
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2020. 02. 09  

2月7日、「翻訳を勉強する会」定例勉強会終了。
疲労困憊し(脳が)、よれよれになって帰宅。まだ本復せず(脳が)。

公開勉強会と同じ課題"They All Just Went Away"(Joyce Carol Oates, 1995)に取り組みました。
Oatesは、私たちが使用しているテキストThe Best American Essays of the Centuryの編者でもあります。この短編は同書に収載されたものですが、The New Yorkerでも読むことができます。
https://www.newyorker.com/magazine/1995/10/16/they-all-just-went-away?verso=true

今回の課題は、冒頭7段落の要約(基本1文)と全体要約(400文字以内)。
ここ暫く、課題は指定箇所の翻訳ばかりでしたので、要約は本当に久しぶりです。そして、全体要約は、私たち勉強会メンバーにとっても初めての試み。

課題が結構長く、「これをどう400字にしたらよいのか」と、最初は途方に暮れました。
書かれている「できごと」を追っていくのは、そう難しくはありません。分からない単語も多いけれど、そう難解な文章でもない。けれど、「全体を通して何が言いたいのか」ということになると、分かるような分からないような。ネットでOatesの著作の書評をいくつか読み、その生い立ちについてもある程度知識を得ましたが、自分の解釈ではまだ不十分だという感覚がありました。
ネットでOatesの著作の書評をいくつか読み、その生い立ちについてもある程度知識を得ました。

(ちなみに、Oatesは、2016年に、その生い立ちを綴ったThe Lost Landscapeという自伝を出版していまして、その中にこの"They All Just Went Away"も含まれています。ページ数からすると、今回の課題にかなり加筆されているような感じです。Amazonの「なか身!検索」で、書籍のさわりの部分とあとがきを読むことができます)

そうして、何度も原文を読み返したのち、やっと「原点に返ろう」というところに辿り着きました。

何のための要約なのか?

要約の目的は、そのあとで著者の意を正しく汲んだ適切な訳文を書くための土台をつくること――少なくとも、当会の要約の目標はそこだったはず。訳文全体のトーンをどうするか、段落間の繋がりはどうなのか、段落のどの情報を重要視するのか、言葉選びに迷ったときにどの言葉を選ぶかといったことをきちんと決めることができる、背骨になるようなもの――そういう「全体要約」を目指すべきなのだということに、やっと思い至りました。それまでは、「綺麗に要領よくまとめるにはどうすればよいか」に力点を置いてしまっていたような気がします。
(それが上手くできたとは言いがたい、読みの足りない結果になってしまいましたが、そういう考え方にシフトすることができたのは、ひとつ収穫だったかなと思います)

今回の勉強会で、自分はまだまだだと気づかされたことが、もうひとつありました。それは「きちんと言葉にできないこと」です。管理人さんに「それはこういうことではないですか」と言われて、「ああ、私はそういうことを言いたかったのだ」と思ったことが何度かありました。もやっとしたままでは、分かっているとは言えない。きちんと言葉にするためには、「よく調べ、よく考え、整理し、書いてみる」、この繰り返しだろうかと考えながら、今、この記事を書いています。

*****

さて。
以下は、「公開勉強会」の課題に七転八倒されている方向けの内容です。
もちろん、この部分が不要な方もたくさんいらっしゃるに違いないと思いますが、今回、翻訳学習者の方も相当数ご出席下さるということで、なにがしかの「考え方の足し」のようなものになればと思って書いています。

*要約とは「著者の言いたいことを浮き彫りにする」ためのもの。
*翻訳のための要約(=しっかりと読み込めていることを確認するための要約)であることを意識する(要約自体が最終目的にならないこと)。
*全体を部分に分けて考えてみる(まず各パーツの内容を理解する)。
(ウエブページのプリントアウトでは少し分かりにくいかもしれませんが、本エッセイは全体が6つの大きな部分に分かれています。以下に、各パートの最初の段落の冒頭部分を記載しておきます。参考になさってください)
 1 I must have been a lonely child.
2 A house: a structural arrangement of space, ...
3 There is a strange and profound and unknowable reality ...
4 Shall I say for the record that ours was a happy, ...
5 I remenber the night of the fire vividly, ...
6 As a woman and as a writer, ...

(勉強会で話し合われた内容を基に私がまとめたもので、自分なら、このあたりを意識するかなというものです。これが「たったひとつの正しいやり方」ということではありません<念のため)

課題提出リマインダ(「翻訳を勉強する会」ツイッター)の中で管理人さんが「(要約文や訳文は)どう取り組んだか、疑問や不明な点などを話し合うための材料です。不完全なままでも十分です」と書いておられますが、誰もが感嘆するような素晴らしい(要約/訳)文を書く必要はありません(いや、もちろん、書ければ一番いいんですけど)。実務一辺倒で来られた方の中には、そもそも、こういう文章に接するのが始めてで、どう対処していいか分からないという方もおられるかもしれません(最初は私もそうでした)。はじめから周りを唸らせる訳文が書けなくて当然だと思います(少なくとも私は、かなり実務っぽい文章を書いてました)。それよりも、原文を前に(時間の許すかぎり)たくさん考え、悩むことが大切ではないかと、私は思っています。

「公開勉強会」当日は、学習者や経験の浅い方も、「学習中だから」「経験が浅いから」と萎縮してしまうことなく、疑問に思ったことや、その訳文をつくるに至った経緯などを、臆さず発言していただきたいと思います。ベテランの方にも「目から鱗」の内容があるかもしれません。また、不慣れでうまく訳文が作れなかった方も、皆と意見を交換する中で「これからどうすればいいのか」「自分には何が足りないのか」に気づくことができるかもしれません。私たち勉強会のメンバーも、「どれだけ新たな気づきがあるだろう」とワクワクしています(勝手に皆の気持ちを代弁しましたが、たぶん、な)。何より、そんな風に、たくさんの翻訳者と、同じ課題についてface-to-faceで意見交換できる機会はそうないのではないかと思います。有効活用してください。

また、「公開勉強会」には、それぞれの分野でベテランと呼ばれるほどの経験を積んでおられる方も、多数出席されます。時間のある方は、懇親会までご出席いただき、そのような諸先輩方を質問攻めにしていただければと思います(幹事は死んでいると思いますので、優しく扱ってやってください)。

当日、お会いできるのを楽しみにしております。
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プロフィール

Sayo

Author:Sayo
医療機器の和訳も9年目。
老眼腰痛、最近は膝痛とも闘いつつ
翻訳人生をまっとうしようと奮闘中。
この頃になってやっと翻訳の奥深さ・
難しさ・楽しさが分かってきたような。
記事は「翻訳一般」多め、ときどき読書感想文、本業(医療機器)やや少な目。
(2019年4月現在)

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