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2020. 08. 31  
「ノンフィクション出版翻訳の素晴らしき世界~
その特徴と制作の流れ、翻訳者に求められるもの~」(児島修)

 産業翻訳者から出版翻訳者に転身された児島修さん。15年のあいだに55冊の書籍を翻訳なさったそう。
 苦労もあり大変だが、やりがいを感じながら楽しく仕事をしていると話す児島さんからは、「翻訳が好きだ」という気持ちがダイレクトに伝わってきて、聴いているこちらも清々しい気持ちになります。

 セッションは、ノンフィクション翻訳とはどのようなものかに始まり、児島さんがノンフィクション翻訳を楽しいと考える8つの理由が述べられ、続いて制作の流れが簡単に説明され、まとめ的に日頃心がけていることや良い翻訳をするために必要なこと、ポリシー等への言及があり、Q&Aに進む――という流れでした。
 心に残った内容を、私見を交えて書き留めておきたいと思います。

 まず、ノンフィクション翻訳の定義から。「小説以外のあらゆる本」と定義されます。サブジャンルは多岐にわたり、複数ジャンルをカバーする翻訳者も多いとか。児島さんも仰っていましたが、専門知識や経験を活かしやすく、産業翻訳からは参入しやすい分野なのかなという印象を受けました(とはいえ、興味のある方はやはりノンフィクションについて学んだ方がいいのかなと、個人的には思います。私も「書籍の翻訳ってどんな感じなんだろう」という興味から、半年間の通信講座で学んだり関連書籍を読んだりしました。結局「著者の意図を伝えるという基本の部分は同じなのだ」というところに還ってきたのですが、言葉の選び方、訳し方、表記などについて学ぶことも多かったと感じています)。

 訳しているときは「著者になりきって訳」されるそうで、これは「著者が日本語で書いたならどう訳すかを考えながら」を別の言葉で表現したものと言えるかもしれません。
 かつて産業翻訳もされていたということで、産業翻訳との違いをスッキリと表にまとめて示してくださいましたが、出版翻訳は「自分の後ろにはだれもいない、自分が最終責任者だと考えている」という言葉が心に残りました。産業翻訳でも確かに「これが今の私の100点」と思う訳文を提出するわけですが、心のどこかに、チェッカーさんがチェックしてくれるという気持ちがあるのは事実です(私が主に取引している翻訳会社では、2回のチェックが入るようです)。出版翻訳では、編集者・校正チェックはありますが、それは訳文と原文を付き合わせての確認ではありません(と理解しています)。「訳書に名前が載る」ということの(少し言葉は悪いですが)代償というか責任なのかなと思いました。支払い形態等その他の違いについては割愛します。

 読者層に応じて文体やスタイルを柔軟に変えていく引き出しの多さが求められる、というところでは、ご自分の訳書の一部を見せてくださいましたが、柔らかいものから固いものまで変幻自在だなあと感じました(ただ、すべては無理なので、自分にあったものを磨いていけばよいということも仰っていました)。
 日本の読者にうまく伝わるよう、自分から日本版独自の小見出しを編集者に提案したりもするということでしたが、言葉の端々から馴染みの編集者の方と良い関係を築いて仕事をされていることがうかがえました。

 「楽しいと考える8つの理由」で挙げられた理由の中からいくつか。
● 「好き」に出会える、「好き」を活かせる→これは「翻訳者のなり方・続け方」で言及のあった「1時間語れるものがあるか」とも関係していて、自分の「売り」にもなるかもしれないと思います。
● 翻訳者の人生に無駄なものはない→同業の先輩の中には、こういう発言をされる方が結構おられます。それを「成功したからそんな風に言えるのだ」と片付けてしまうことは簡単ですが、大事なのは、そういう考え方でものごとに対処するという姿勢なのではないかと感じています。
● (著者の人生を生きられるような気持ちになるのが楽しいというところから)著者の顔写真を壁に貼り、この人だったら日本語で何と言うだろうかと、写真を眺めながら考えるそうです。
● 読者に喜んで貰えるのが嬉しい(本の表紙に名前が載る喜びはそうたいしたものではなく、それより読者から高評価を貰えることの方がずっと嬉しいそうです)。

 次いで話題にされた「制作の流れ」では、リーディングにも言及がありましたが、ノンフィクション翻訳に興味がある方は(リーディングをする/しないに関わらず)、リーディングの講座も受けておかれた方がいいのではと思います。私は、リベルのリーディング講座(通信、現在はもう募集しておられないかもしれません)を受講しましたが、企画書を書くにあたっての自分の長所と欠点を的確に指摘して貰えたと思っています(オマエ、この先、企画書を書く機会が訪れるんかという点は、ちょっと脇に置いておいてやってください)。批判的に読むことやマーケットにおけるその本の位置づけを俯瞰的にみる姿勢なども教えていただきました。「読んで面白い、日本の読者にも読んでほしい」がすべてなのかもしれませんが、客観的な視点をもつことも大事かなと思います。書籍では、文芸(フィクション)翻訳になりますが、『文芸翻訳教室』(越前敏弥)にリーディングとシノプシスの書き方についての言及があります。

 「良い翻訳をするために必要なこと」では、ベースとなる言葉(英語・日本語)の力、培った言葉の力をうまく原文から訳文へのアウトプットに結び付けられる翻訳技術、モチベーションと体力・自己管理能力が挙げられていましたが、これは、どんな分野の翻訳にも当てはまることかと思います。

 続く「ノンフィクション出版のポリシーでは、読者の方を向く、素の部分を大切にするなどいくつかの点が挙げられましたが、ここでは、TLで「…上手く伝わっていない?」と思われた部分にのみ言及しておきます。「訳しにくい3%」の部分。セッションでは、尊敬する映画監督の「(なんでもない)ありきたりのシーンを撮影するのが一番難しい」という言葉を紹介され、そこから「翻訳でも、難しい駄洒落(を上手く訳したり)やI Love youを『月が綺麗だね』のように訳すのが上手いと思われがちなところがあるが、それ以外の平坦な97%を明晰に、リズミカルに、心地良く、伝わりやすく、癖がない訳にすることが一番大切ではないか」と続けていらっしゃいました(確かにスライドには『訳しにくい3%』という記載がありまして、「訳しにくい」という表現が一人歩きしてしまったのかもしれません)。私は、どちらかというと「よっしゃ、ここは上手く訳したるで」と意気込む箇所以外の部分も大切に訳すことが重要だと仰っているように聴きました。そのためのテクニックのひとつとして示されたのが、「文を短くする」ということ。パラグラフ毎に「このパラグラフをあと一行削れないか」という目で見直されるそうです。
 ノンフィクション翻訳の辛いところや、児島さんの考えるノンフィクション翻訳者の使命など、まだまだお話は続きましたが、私も書き疲れてきたので(笑)さくっと割愛。最後に、「先輩翻訳者の話をたくさん聞いて、先輩翻訳者の訳書をたくさん読んでください」と仰っていたことだけ付け加えておきます。
 そうそう、児島さんが、読むだけでなくAudibleで原書を繰り返し聴かれるということには言及しておかなければ。勉強手段としてももちろんですが、なにより著者の肉声(著者自身が読んでいることも多いのだとか)を聴くことは、翻訳にとても役に立つのではないかと思います。いつだったか、児島さんが「何度も何度もAudibleで聴いてから翻訳に入る」というようなツイートをされていて、とても心に残ったのを覚えています。


 最後にQ&Aからいくつか。
● リーディングから刊行までのリードタイムに関する質問(その間に鮮度が落ちてしまうのではないか)があったと記憶していますが、(あくまで私見ですが)「鮮度が多少落ちても読者が読みたい本か」「長い期間読んで貰えそうな本か」といった視点から原書を評価することも大切ではないかなあと思いました。もちろん、書籍の種類や内容にもよると思いますが。
● 自分にはどうしても合わない書籍の依頼がきたらどうする? → この点については本編の中でもお話があったのですが、自分には手に負えないと思ったものは断るけれど、少しでも「どうしようか」と悩むものは積極的に受けられるそうです(このあたりは個々の翻訳者の考え方かなとも思います)。面白く訳せるかどうかの「面白い」の部分を積極的に探されるという印象でしたが、同時に「『面白くない』と思いながら仕事をするのは、本にも出版社にも著者にも失礼だ、だれも幸せにならない」というようなことを仰っていたのが心に残りました。
● 自分の訳書で一番心を奪われた本は?→ 『シークレット・レース:ツール・ド・フランスの知られざる内幕』(タイラー・ハミルトン、ダニエル・コイル著)だそうです。読みたくなっちゃいますよね!

 ノンフィクション翻訳についてまとまったお話を聞いたのは、これがはじめてでした(たぶん)。考え方と制作の実際がうまくブレンドされていて、とても面白かったです。ありがとうございました。
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2020. 08. 29  

 これまでさまざまな機会に帽子屋(高橋聡)さんの辞書セミナーをお聞きしてきましたが、そのたびに変化し、進化し、分かりやすく整理されていく印象があります。それはまた、私たち翻訳者をめぐる辞書環境がそれだけ目まぐるしく変化しているということの証なのかもしれません。帽子屋さんが、辞書毎の特徴をよく知る方々とお知り合いになるたびに、私たちに伝えて下さる情報は充実し、整理されていきました。「翻訳者のなり方・続け方」で、人と繋がることが大事というようなお話も出たと思うのですが、まさにそれが結実したものと言うことができるかもしれません。


 セミナーは、まず「なぜそんなに辞書を引く必要があるのか」という問いから始まりました。
 そう、フォーラムの皆さんのセミナーは、たいていこの「なぜ」(目的)から始まって、具体的な内容に展開していくんです。後半の怒濤の辞書紹介は圧巻でしたが、この部分をきちんと抑えておかないと、「どんな風に辞書を揃えていったらいいか」「なぜその辞書が必要なのか」という点が曖昧になってしまうと思うのですよね。
 帽子屋さんは、言葉を「世界を切り取るための不定型な枠」と定義されます。どう切り取りどう枠をつくるかは、辞書(編集方針)によって少しずつ異なる(辞書の個性)。同一言語内でもそうなのだから、二言語にまたがる辞書ではその差がさらに大きくなるのは当然。一対一対応は本来あり得ない。だから、英日の語義ができるだけイコールになるように、複数の辞書を引き、英々辞典や国語辞典の力も借りるのが、あるべき辞書引きである――ということになりましょうか。
 帽子屋さんはまた、「自分の語彙や言語知識はたかが知れている」というところから、原文から読み取った内容を確かに言葉で表現するためにさまざまな辞書を引く必要があるとも仰いました。語義が分からなければもちろん辞書を引くし、分かっていても(分かっていると思っても)自分の理解が本当に正しいか(その文脈でその訳語が使えるか)どうか確認するために辞書を引く。
 結局、言葉は文脈で決まるものであり、一冊の辞書の語義をどれかひとつ拾ってきても意味がない(その語義がどんぴしゃということも、もちろんありますが)。複数の辞書をひいて、ぼんやりした語義の「枠」をせばめていき、最終的に「コレ」という訳語に到達する、という作業が翻訳には必要なのだと思います。枠を正しくせばめていくには、辞書の訳語をみるだけではなく、用法や用例も確認する必要があります。それが、辞書を「引く」ではなく辞書を「読む」ということになるのかなと。

 辞書を効率よく「読む」ためには、各辞書の違いを活かす使い方をする必要があります。そのために知っておくべきは、各辞書毎の特徴(てか、この流れでええんかなと心配なのですが、私は帽子屋さんの語られるストーリーをこんな風に受け取りましたので、このまま進めます)。ということで、このあと、大中小の大きさ(収録語数)の違いによる特徴も含めた、各辞書の特徴の説明に入ります。
 その途中、「数をそろえて串刺ししてもだめ。辞書は用語集ではない」という言葉がありました。文脈を考えず、闇雲に「合いそうな訳語」を探すだけではだめなのですよね。そういえば、昔はDDWin(串刺しソフト)を使って、手持ちの辞書をとにかく串刺ししていた時期があったことを思い出します。思い返してみれば、あれは明らかに「訳語探し」だったと思います(恥)。

 英和、英々、国語、英語・日本語の類語辞典と説明が続き、話は辞書環境の変化から、アプリ、電子辞書、辞書ソフト、そしてオンライン辞書(無料・有料)にまで及びます。少し前まではPCにインストールする辞書が主流でしたが、今は、オンライン辞書(有料)を中心に、辞書ソフト+共通データを組み合わせ、足りない部分を紙辞書、アプリ、電子辞書で補うという使い方がいいのかなという印象です。

 終盤、帽子屋さんが勧める「まずはここまで」辞書環境と「できればここまで」辞書環境の紹介がありました。ナルホドねと思う内容でしたが、自分がまだ学習中の身なら気が遠くなってしまったかも(笑)。とりあえず、KOD又はJK+R Personal+国語小辞典1つ+ウィズダムあたりでしょうか…

 最後に、Takeawayの中で、当日のキーワード3つの再確認がありました。
 ・ 大は小を兼ねない
 ・ (たかが辞書)、信じるはバカ、引かぬは大バカ
 ・ 真に”辞書はお金で買える実力”となるように
 個人的には、3つ目の「真に」の部分が一番耳に痛いですね。たくさん集めても使いこなさなければ意味はないということだと思いますが、かつて、「大先輩が書籍やブログなどで勧めておられた」というだけの理由で購入し、その後書棚の肥やしになっている辞書は1冊や2冊ではありません(まあ、1年に1回くらい使うものもありますが)。たとえば、翻訳する文書の種類や分野が変わったためにあまり使わなくなった、という場合はまた話が別だと思いますが、それ以外の辞書選びに際しては、「自分は本当にその辞書を必要とするのか、使うのか」という視点を忘れずに、辞書を選んでいきたいと思います。

 そんな私が今回購入したのはウィズダム英和辞典(第4版)。書籍版を買うとウェブサイト版も使えるようになるというのはやはり魅力的です(スマホにはアプリは版を入れているのですが…そういえば、このところまったく外出しないので、アプリ版を引くことはなくなっていました)。それから、年間215ポンド(OR 295ドル)というお値段に目眩がしますが、OEDオンライン版にも食指が動いています(初年度分だけだと思いますが、90ポンドキャンペーンというのを来年3月までやっているらしいんですよね)。今後、OEDを活用できそう系のお仕事を増やしていきたいという気持ちもあるので、帽子屋さんのブログ記事を読み返したりなどして、もう少し考えよう。他にも何冊か気になった辞典がありましたが、「その辞典は今のあなたに本当に必要?、それはなぜ?」と自問しながら、少しずつ増やしていけたらと思います(予算には限りが…)。

 「翻訳フォーラム2020」に申し込まれた方は、このセミナーの資料がDLできますので、視聴する時間がなくても、DLして目を通されることを強くお勧めします。各辞書の特徴が分かりやすくまとめてありますし、巻末の参考図書や参考サイト情報も充実しています。本当にお宝だと思います。いや、帽子屋さんの回し者じゃありませんから<念のため。

 「通翻フォーラム2020」にお申し込みでない方は、帽子屋さんのブログの関連記事を読むだけでも、辞書についてかなりの知識が得られると思います。
 旧・禿頭帽子屋の独語妄言 side A http://baldhatter.txt-nifty.com/
 新・禿頭帽子屋の独語妄言 side α https://baldhatter.hatenablog.com/
 (旧ブログの「辞典・事典」カテゴリには196本の記事が収納されています)
 また、翻訳フォーラムのメンバーである深井さんが、Togetterに関連ツイートをまとめてくださっています。
https://togetter.com/li/1582546
こちらも参考にしていただければ。MacからiPadを引く等、セミナーで話題に上がり、その後実際に使用されている方が使用方法をまとめたツイートなども含まれています。


 「翻訳者のなり方・続け方」で、一時間そのテーマについて喋り続けられるだけのものがありますか?と問われたと思うのですが、体力と喉さえ続けば、帽子屋さんはきっと三日三晩でも喋り続けられたに違いありません。それほど、楽しそうに話をされていました。
 貴重な情報満載のセミナー、ありがとうございました。
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2020. 08. 26  

翻訳フォーラム:高橋さきの・井口耕二・高橋聡(帽子屋)・深井裕美子

 今年は翻訳フォーラムのシンポジウムが中止になったため、(YouTubeは別として)4人が丁々発止のやり取りをされるのをリアルタイムでお聴きする貴重な機会となりました。

 表題のセッションが開始される前に、まず、「英語力がなくても翻訳者になれる、高収入が得られる」と謳い高価格の翻訳講座を提供する翻訳学校に対する注意喚起がありました。実際に少しでも翻訳をやられた方なら、相当の英語読解力がなければ、継続して仕事を得ていくことは不可能に等しいということがお分かりになるのではないかと思います。そして実際、私の周りでは、相当の英語読解力の持ち主の方々が、日々自己研鑽に励んでおられます。この「注意喚起」が一人でも多くの翻訳学習者の方の目に触れることを祈ります。

 続いて、深井さんから、高校で講演を行うために翻訳者二百数十名に訊いたアンケートの結果が呈示されました。その結果をいくつかのキャリアパスにまとめようとしたが、あまりにもパスが多岐にわたりすぎて図表にまとめられなかったとのこと。「翻訳者のなり方」はそれほど千差万別なのだという前振りから、いよいよ、話は本題のひとつ「翻訳者のなり方」に入っていきます。

1 翻訳者のなり方―では翻訳フォーラムの4人はどうやって翻訳者になったのか?
(個々の発表の内容は割愛し、記憶に残った部分と私見(括弧内)のみを記載します)

さきのさん「専門とする分野の文章を自分で書けるようになるところから始まる」
(さきのさんは、非専門職転職者ならこれくらいの勉強は必要という文脈で、この言葉を仰ったと記憶していますが、実際にそこまでになっておけば、それは強みになると思います。たとえば、医薬の分野でしたら「メディカルライティングもできてきちんと翻訳もできる」というのは大きな強みになるかと。)

帽子屋さん「無駄になった経験はない」
(あとで取り出すことができるようにものごとを自分の中に取り込む、ということを繰り返して来られた結果がこの言葉となったのではないかと思ったりしました。)

井口さん
(淡々と「こうやって翻訳者になりました」と経験を語っておられましたが、並々ならぬ努力をして来られたと思います(どれだけのことを考え実践して来られたかは井口さんのブログを読めば分かります)。それは、ひとり井口さんのみならず4人全員がそうではないかと思います。つい皆さんのことを「一握りの頂点に立った方々」で「自分とは違う」と考えてしまいがちですが、それでは自分は同じだけの努力をしてきたのかと自分の胸に向かって問うとき、私は黙って頭を垂れるしかないのです。)
Buckeye the Translator

深井さん「自分の経験・強みを足がかりに、できることは精一杯やる、できないことは断る勇気をもつ」
(最初のうちは「断ったら次がないかも」と背伸びをして仕事を受けがちな時期がありますが、「できないものは断る勇気」、これを忘れないことは大事だと思います)

「4名中3名がスクールに通わずに翻訳者になった」
(私自身1990年前後にスクールに通った時期がありましたが(でもキャリアは17年くらいなんだけど…2020-1990で計算しないでね)、当時は、スクールといえば出版翻訳が中心で、特に実務翻訳については、今ほどスクールで学ぶ→登録(OR トライアル受験)というルートが確立していなかったように思います。なので、「スクールに通った方がいいのか」という点に関し「3/4が通っていない」という回答は、そういう時代背景の違いも加味して考えた方がいいかもしれないとフと思いました。現在は、スクール→登録という太いパイプを活用するのも一つの手だと私は思います。ただ「自分が何をやりたいのか」「スクールで何が学べるのか・学びたいのか」という点をハッキリさせて学んだ方がいいとは思います。)


2. 翻訳者の続け方―では翻訳フォーラムの4人はどうやって翻訳者を続けてきたのか?(続ける努力をしたのか?)

さきのさん―ひとりで勉強する+仲間の話を聞く(この「仲間と学ぶ」をOJTと表現されましたが、ナルホドと思いました)。初学者はベテランのやり取りを見聞きするだけで勉強になる。
(いつ頃から仲間の話を聞けばよいのかというのは、人によって千差万別ではないでしょうか。一つの指標になるのは、翻訳年数ではなく「自分の問題点や足りない点が分かっているかどうか」ということではないかと思います。それがある程度掴めるまでに時間がかかる方もいらっしゃれば、反省と振り返りを繰り返して短時間のうちに自己分析ができるようになる方もいらっしゃるでしょう。私は前者タイプなので、たとえば、翻訳をはじめてすぐの頃にシンポジウムに参加していたら「素晴らしい話を聞いた!!!」のみで終わっていたかもしれません。ただ、だからと言って、勉強中や駆け出しの頃にそうした話を聞くのは無駄だというものでもありません。諸先輩方の圧倒的な熱量は確実に伝わりますし。要は「素晴らしい話を聞いた」で終わらず「自分に今一番必要なものは何か」を常に考える姿勢を持ち続ければよいのではないかと思います。)

帽子屋さん―自分から情報発信することが重要。
(発信する内容も大事かと思います。声が大きいだけでは、最初は注目されてもあとが続かないかも。)

井口さん―どういう考え(基本原則)の下に続けてきたかを主に語られました。具体例も併せて知りたいという方は、『通訳翻訳ジャーナル2020年秋号』の「ピンチの乗り越え方」特集への井口さんの寄稿を読まれるのがよいと思います。仕事は「やりたい仕事」「お金を貰えるならやってもいい仕事」「やりたくない仕事」に分類されるという話がありましたが、これを自分の中でハッキリさせておくことが大事なのかなと。心穏やかにHappyに長く仕事を続けるためには、特に、真ん中の「お金を貰えるならやってもいい仕事」について、自分の中で「ここまでなら」という許容ラインをきちんと設定しておくことが重要かなと思いました。しなきゃ。(あー、なんか、話の内容と私見がごっちゃになってしもうた!)

深井さん―(ニフティ時代の翻訳フォーラムを通じ)上の世代の先輩から様々なことを教えて貰った。これからは下の世代の後輩にできるだけのものを伝えていきたい。
(これは、常々深井さんが仰っておられることで「恩送り」という言葉で表現されています。皆さんこういう姿勢でいらっしゃるので、こちらが(自分でできるところまでやった/調べた上で)教えを請えば、それこそ一を訊いて十を教える(いやそんなことわざはないけど)勢いで教えてくださいます。)


このあと、4名の対談になるハズが、Q&Aへの回答合戦になり、予定時間を15分延長してもまだ終わらず、後日何らかの形で回答できるようにするということでセッションは終了しました。常時500名ほどの方が視聴されていたということです。


以下は、順不同に、セッションを聞いて考えたこと。

「昔はよかった」のか?
私は、自身が翻訳をしていなかった時期も含めて、かなり長い間翻訳業界を遠く近く見てきたのではないかと思っています。その上で「昔の方がよかったこともある、今の方がよいこともある」というのが正直なところです。平均単価的なことをいえば「昔の方がよかった」と思います。私は、1995年頃と2009年の2回、同じ職場で派遣翻訳を経験しましたが、時給は後者の方が300円安かったです(仕事の中身は後者の方が難易度高だった)。また昔は周りに仲間がおらず、「翻訳フォーラム」などの集まりに参加しなければ本当に孤独でした(私は当時月刊誌だった『通訳翻訳ジャーナル』が唯一の情報源で、常にこれでいいのかと不安でした)。昔の方が調べものの手間は大変だったと思います(図書館や書店に通ったり)。また、JKやKODのような信頼できるオンライン辞書や串刺し検索もありませんでした。――じゃあ、どちらがよかった(よい)のかと問われれば何とも言えません。今の方が工夫する選択肢は広いように思いますが、逆に選択肢がありすぎて悩ましいという部分もあるような気がします。ただ、時代が変わっても、「考えて乗り切っていくのは自分、自分の人生や仕事の責任をとれるのは自分しかいない」という部分は変わらないのではないでしょうか。

Q&Aの中で、「厳しいことを言うようですが」と前置きした上で「自分で調べれば分かるような質問が複数あります」という回答がありました。厳しい回答をする方のほうが、質問者のことを考えているのではないかと私は思います。厳しい回答をするのは言う方も辛い。相手の喜びそうなことばかり口にしているのが一番ラクです。でも、本当に相手に「ここが違う」ということを気づいてもらいたいときは、あえて厳しい回答をすることもあるのではないかと思った次第です。

あせらぬ勇気も
コロナ禍の今、さまざまなセミナーや集まりがオンラインで開催されるようになりました。聞きたいセミナーが目白押しで、ときには、同じ日の同じ時間にかち合うなど、地方在住者には以前なら考えられなかった事態になったり。つい「あれもこれもそれも」と思いがちです。そして、それができないと、なんだか取り残された感を感じてしまう……でも、あせらず「今自分に一番必要なセミナーはどれか」をよく吟味して参加し、その代わり得たものはしっかり自分のものにするという進み方があってもいいかなと思います(←私はどちらかというとこちらのタイプ>一度に一つのことしかできない)。


 エラそーなことも書いてきましたが、私自身まだまだ、迷い悩み、行きつ戻りつし、彼我の差に落ち込み、できない自分にがっかりし、ちょっとした褒め言葉に舞い上がり、気を取り直して勉強に励み……を繰り返す毎日です。でも、何年翻訳をやろうとも、翻訳者ってだいたいこういう人種(?)なのではないでしょうか。

 今回のセッションでは最後に不意打ちがありました。さきのさんが「(後輩には)自力ではしごを上ってきてほしい、自力で上ろうとしている人はわかる、惜しみなく手助けする」というようなことを仰ったとき、涙が止まらなくなってしまったのです(顔の見えないウェビナーでよかったと思いましたね、ええ)。あとになって、「なぜ、あのとき?」と考えてみて、「(上がれたかどうかは別として)上ろうともがいてきた」という自覚がどこかにあったからかもしれないと思いました。だから、「惜しみなく助ける」という言葉をかけて頂けたことが(そして実際にそうして貰っています)本当に嬉しかったのだと思います。

 とても中身の濃いセミナーでした。ありがとうございました。
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2020. 08. 24  

 翻訳者の高橋さきのさんと通訳者の白倉淳一さんが「語順」について考えるセッション。さきのさんのお話に、司会進行役の白倉さんが適宜ご自分の感想や意見を挟まれる、という形で進行しました。

 ここまで3名の通訳者の方が司会者や登壇者として喋られるのを聞いてきましたが、皆さん、さすがに喋るのがお上手ですね。喋り方・リズム・声質がよく、いつまでも聞いていたいという気持ちになります。通訳の技量以外に、こういう部分も通訳者として大切な資質なのではないかと思いました(翻訳者でいえば、的確に無駄のない回答やコメントができる、あたりに相当するのでしょうか……)。

 最初に、通訳と翻訳の違いを簡単な表にして説明されたとき、さきのさんは「9割くらいは同じでないと残りの1割の違いが際立たない」と仰いましたが、白倉さんの感想やQ&Aへの回答を伺って「本当にそのとおりだ」と思いました。おさえておくべき基本の部分は同じだけれど、通訳は「こんなところに着目しているのか」「こんな視点からものを見るのだな」という新鮮な驚きがいくつもあったのですよね。それが「際立つ1割の違い」にあたるのかなと。

 このセッションの内容をまとめるのはとても難しい(さきのさんがお話される内容は、いつもとても大事なことなのだけど(少なくとも私には)超絶難しく、今回も、再視聴しましたがやはりパソコンの前でこうやって唸っています)。
 頑張って(強引に)まとめると「『最初からその言葉(英→日に特化してお話されたのでここでは日本語)で書いたり話したりしたらこうなる』ように訳すことを基本とし、そのためには、読み手にどう情報を伝えるのが最適かを考え実現しようとする中で語順に着目した」話ということになるでしょうか(あくまでも私の考えるところです)。

 前半部分では、「訳し上げ」(訓読、翻訳調)を取り上げ、日本語の文体自体が変化したことに言及され、後半では、そうした「翻訳調」を避けつつ、原文の語順(情報の出し方)を活かすためにはどのようにすればよいか、どんな点に気をつけるべきなのかを説明されました。違う言語なのだから、訳せば語順が変わることがあるのは当然なのに、つい語順を変えれば自然な日本語になる部分をそのまま残してしまう(原文に引っ張られる)。どんな場合があるかということが、例示されます(蛇足ですが、例示の際に使われた『新和英大辞典』の逆引き(英単語で全文検索し用いられている用例を確認する)は、英和翻訳者にとってもとても便利です(「おお」というような訳例が掲載されていたりする)。CD-ROM辞書をお持ちの方は是非試してみてください)。
 ただし、何でもかんでも変えればよいということではなく、大事なのは「書き手(話者)はどんな風に情報を出したいと考えているのか」や「どうすれば聞いた方がストンと理解できるか」であり、「語順を変えなくても原文と同じ絵になるか否か」ということは、常に頭の中に置いておく必要があると思いました。そういう大前提があった上で、語順をどうするかとか、訳し方の引き出しを自分の中に何種類ももつとよいといった話になるのかなと。そして、その語順で「おかしい」「これでよいか自信が持てない」となった場合は、必ず原文に戻って確認する。
 今回のセッションでは、「こんな風に語順を変えることができる」という例がいくつも示されましたが、それは必ず「何のためにそれをするのか」とセットで考えなければならないのではないかと思います。
 これ以上書くとなると、もうどうまとめてよいか分かりませんので、このあたりにしておきます。

 ツイッターにも書きましたが、さきのさんのお話は、何度もさまざまな方向から色々なお話をお聞きするうちに、少しずつ理解の「点」が増え、それが「線」として繋がってきているという感じです。それでもまだまだ「少しだけ分かったつもりになっている」ことばかりなのかもしれない。要所要所で的確な感想を述べ、Q&Aに対してご自身の見解を示された白倉さんは、やっぱり凄い方だなと思いました。


 今回さきのさんのお話をお聞きして、ひとつ考えたことがありました。
 それは、さきのさん始め「翻訳フォーラム」の方々は、だいたいの場合、「これこれこういう基本とすべき点があり、よってこういう方法を使うことができる」と、原則(基礎)と方法論をセットで語ってくださるということです。「こういう場合はこうすればいい」という具体的な方法(テクニック)が実際の翻訳の場で役立つのも事実ですが、基本が身についていなければ広く応用はできないし、逆に、原則だけを頭に入れていても(もちろん、それだけで自分でどんどん応用していくことのできる方もいらっしゃるでしょうが)「ではどうすればいいのか」「それを実現するためにどういう方法があるのか」と立ち往生してしまう方も多いのではないでしょうか(少なくとも私はこちらのタイプ)。原則と方法をいったりきたりすることで、そのうち、方法論に特化した参考図書からもさらに多くの気づきが得られ、それを実地に応用することができるようになるのではないかと、そんな風に思うのです。
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2020. 08. 02  

 これは、JITF2020のウェビナーを視聴して考えたことをまとめたものです。
 後日「見逃し」視聴するものも含め、視聴したウェビナーすべてについて、なにがしかの感想をまとめるのが目標です(あくまで目標です)。ですが、諸般の事情により、2本目以降の収納は8月後半になると思います。考えることがたくさんありました(笑)ので、とりあえず柴田先生と永井さんの対談(以下、本文では「対談」とします)のセミナーのみ、気分が高揚したまま(笑)、考えたことをまとめてみました(というか、思いつくままに書いたというか)。

ウェビナーの内容説明はコチラ

 上の説明にもあるとおり、この対談は、作者と編集者としてお二人がまとめられた『ぼくは翻訳についてこう考えています -柴田元幸の意見100-』(アルク)がもとになっています。
 PPTの枚数からすると、100のうち十数項目を「ネタ」としてご用意されていたようですが、結局話題にされた項目は数項目でした。その代わりひとつの話が膨らんだり、可能なかぎりQ&Aに回答頂いたりと、中身の濃い90分になりました。

 開始早々音声トラブルがありましたが、司会の関根マイクさんの対応が見事でした(少なくとも画面のこちら側の私にはまったく動じていないように見えました)。事前準備に裏打ちされたものには違いありませんが、通訳者の方々の瞬発力・対応力というのを垣間見た気がしました。

 対談の中で、柴田先生は、何度か「僕にとって翻訳は遊び」「好きなものしか訳さない」ということを口にされました。「遊び」という言葉はそれだけ聞くと誤解を招きそうですが、それだけ翻訳を楽しんでいらっしゃるということだと思います。「好きなものしか訳さない」のくだりでは、好きではないものはどうしても精度が落ちてしまうとも仰っていましたが、確かに私レベルでも似たようなことはあるかもしれません(「つまらない」と思う仕事には全身全霊で取り組めない的な)。
 そう考えると、文芸翻訳にかぎらず、「自分はどんな翻訳をやりたいのか」ということは、早いうちから意識して考え、「やりたいものだけやれるようになるにはどうすればいいのか」を、中・長期計画として考えておくのがよいのかなと思います(途中で方向転換することはもちろんアリだと思います)。

 柴田先生と関根さんが話題にされた、「通訳と翻訳の大きな違いはなんだろう」という話も面白かったです(蛇足ですが、両者の違いを「語順」に焦点を当てて考える、通訳者・白倉淳一さんと翻訳者・高橋さきのさんのウェビナーが8日にあるそうです→詳細はコチラ)。お二人の間で、通訳(同時通訳)は、ポイントを絞ってエッセンスを抽出するという点で引き算、翻訳は、どう豊かにしていくかを考えるという点で足し算ではないか、というようなお話がありました。翻訳を「足し算」というのは、もしかしたら語弊があるかもしれません。私は英語の語順のままの荒削りなものに、雰囲気だったり流れだったりといった微妙なものを「足していく」感じかなと思いました。同通をパッキリ描かれたリンゴの絵とすれば、翻訳は鉛筆書きしたリンゴの線描画というイメージです(あくまで私が捉えたもので、お二人が考えておられるものとはまた少し違うかもしれません)。

 「黒人や南部訛りなどを訳すときに工夫していることはあるか」という質問に対する柴田先生の回答にも、考えさせられるところがありました。「その方言を使うことで、何を表現しようとしているのか、何が大切なのかを考え、それを訳文全体でどう表現できるか考える」というような回答だったと思います。これは文芸翻訳の話ですけど、その部分(訳語)だけで表現しようとせず、もっと広い視点から考えるという考え方は、広く他の分野にも共通するものではないかと感じました。

 翻訳が難しいいくつかの言葉も話題に上りました(最近話題になったBLMも!)。永井さんが「基本単語の方が難しい」と仰っていましたが、本当にそのとおりですね。

 他に心に残ったQ&Aや話題に上った項目をいくつか。
 Q「訳すとき、登場人物に感情移入するか」→柴田先生からは「語り手に寄り添うのが翻訳者だと思う」と回答。語り手が登場人物に感情移入しているのなら、それと同じ熱量でということでしょうか。「語り手に寄り添う」という部分、ナルホドと思いました。
 項目38/100「しっくりくる言葉しか使えない」→しっくりする言葉を選ぶために訳文を寝かす事も大事、という話になり、そこからの流れで「納期は破ってはいけないものだが、締切は破れるものだ」(!)という先生の名言が飛び出したと記憶しています。さらに、話は推敲にも及びました。柴田先生は、だいたい5~7回は推敲されるとか。原文と照らし合わせる場合もあり、日本語だけを見る場合もありですが、「おかしいと思ったら原文に戻る」と。これは、すべての翻訳に共通する大切な「翻訳との向き合い方」だと思います。
 Q「安定した訳を出すにはどうすればよいか」→「自己愛(翻訳者の「どうだ!」という工夫がはっきり表に出てしまう翻訳)を殺すこと」という回答は(やりがちなので)ぐさっと刺さりました。

 時間も残り少なくなってきた頃、柴田先生から、James Robertsonの"The Inadequacy of Translation(翻訳の不十分さ)" という短編についてお話がありました。その短編の内容については、『ぼくは翻訳についてこう考えています -柴田元幸の意見100-』のあとがきで触れられていますが、先生は、この短編の一節を朗読され(そうなんです! 先生の朗読というボーナスがついたんですよ! せっかくなので目を閉じて聴かせていただきました)、その最後の部分は「翻訳の不十分さをこえて伝わるものがある」と読んでよいのではないかと結ばれました。そのように「きちんと伝わっているものがある」と実感できることが、翻訳する理由というか醍醐味と言えるのかもしれません。

 まだまだずっと聞いていたいという気持ちになる、濃密な90分でした。


 さて。
 柴田先生のお話をお聞きして思いを巡らせたこと(というか改めて考えてみたこと)など、最後に少し。

 私は実務翻訳者ですが、書籍翻訳にも興味がないわけではなく、いつも「翻訳に不変なことはなんだろう」「書籍と実務の違いはなんだろう」「文芸・実用・ノンフィクションの違いはなんだろう」というようなことを考えながら、先輩翻訳者の方のお話を聞いたり、そうした方々が書かれた書籍を読んだりしています。
 間違っているかもしれませんが、今のところ、「何を最優先させるかが若干違うのかも」という風に考えています。もちろん、どの分野の翻訳も、翻訳者が「書き手が伝えたいことを読者に伝える」ということが基本としてあると思います。けれど、たとえば小説や詩などは、書き手の意図はひとつだとしても読者の受け取り方は一つではないかもしれません。だから、文芸作品の翻訳では、(作品の内容にもよるかもしれませんが)そういう「受け取る側の自由」が担保されるような余白を残す、ということも頭の隅に置いておく必要があるのではないかと、そんな風に思うのです(そして「自分にはできないなあ」とこうべを垂れるのであった)。一方、実務翻訳では、異なる(=間違った)解釈が入る余地がないよう余白を潰すように訳すことが大事なのではないかと。そして、その中間の幅広い領域に、実用書やノンフィクションが位置するのではないかと、今のところ(なんとなく)そんな風に考えています。
 柴田先生のお話は、自分のこれまでの考えと大きく違うところにあるものではないように(勝手に)思いました。JITF2020では、期間の後半にノンフィクション翻訳者の方のお話も聞けるようで、楽しみです。それ以外にも、映像翻訳者や通訳者の方など、普段は聞くことのできない話が聞けそうで(印をつけたものの半分以上は後日視聴になりそうですが)、本当になんという贅沢な企画なのでしょう。
 運営なさっている皆さんに、心から感謝します。
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プロフィール

Sayo

Author:Sayo
医療機器の和訳も9年目。
老眼腰痛、最近は膝痛とも闘いつつ
翻訳人生をまっとうしようと奮闘中。
この頃になってやっと翻訳の奥深さ・
難しさ・楽しさが分かってきたような。
記事は「翻訳一般」多め、ときどき読書感想文、本業(医療機器)やや少な目。
(2019年4月現在)

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