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2011. 11. 26  
といっても、四字熟語ではありません。

世の中に「号泣」氾濫しすぎてないか? と疑問に感じる今日この頃。
ちょっと号泣に食傷気味のSayoです。

間違って用いられているわけではなく、読者/視聴者の目を引くためにあえてこの言葉が用いられているケースが殆どだと思うのですが(「すごく悲しんでいる感」はよく伝わってきます)、それでも、これだけ頻繁に目/耳にすることが増えると、とにかくSayoに関しては、「目を惹きつける」というご利益はもうかなり薄れてしまっております。

それにしても、あまり頻繁に目にするので、
もしや自分の「号泣」の定義が間違っているのかもしれないとふと不安になり
ちょっと辞書など調べてみました。

広辞苑「大声をあげて泣くこと」
新辞林「大声をあげて泣き叫ぶこと」
新明解「(ふだんは泣かない大の男が)天にも届けとばかりに悲しみ泣くこと(←この説明は、それはそれで面白い・・・というか「新明解」さんにはスルーするには面白すぎる説明が沢山あるのですが、それは今日の本題ではないので、スルーしときます)」

・・・ほっ(←間違ってなかったため、ほっとしているようです)。

普通に「泣く」「嗚咽する」「涙(嗚咽)を抑えきれない」ではあかんのか。
特に、感動して涙を流す場面で「号泣」をやられると、個人的には、ちょっと引いてしまいます。贅沢を言えば、「涙を抑え切れなかった」とか「目頭を押さえた」とか「声が震えていた」とかで止めて頂いて、こちらもちょっと余韻に浸りたいところです。感動って、そんな風に、心の奥から湧き上がってくるものじゃないんでしょうか?
普段そういう表現を使っていてこそ、ここぞという時の「号泣」表現も生きるというものだと思うのです。けれど、実際には、ちょっと涙ぐむ場面にさえ「号泣」が使われていることもあり、「『ものすごく悲しくて当たり憚らず声を上げて泣いてんねん』な状況に使われるべき言葉ちゃうんか」な号泣が安っぽい言葉になってしまったような気がして、号泣さんが可哀相なSayoです(号泣)。

この「号泣」に代わって、新しく目を引きそうな言葉と言えば、個人的には「慟哭」くらいしか思いつかないのですが、個人的には「慟哭」と言えば、「簡単には声を掛けられないような感じで深く嘆き悲しんでいるさま」を想像し、何となく特別な響きを感じます。今後、安易に「慟哭」が用いられることがないよう祈ります。

今日はちょっと(かなり?)生意気な記事だったですね。
私も、普段、「?」な言葉をたくさん使っていますしね。
「でもだがしかし」とか(3つも重ねんでええやろと突っ込まれそうです)。
まあ、おばはんの文句垂れと思って、聞き流してやってください。

SayoのBackgroundについては「はじめに」カテゴリの記事をご参照ください。
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プロフィール

Sayo

Author:Sayo
医療機器の和訳も9年目。
老眼腰痛、最近は膝痛とも闘いつつ
翻訳人生をまっとうしようと奮闘中。
この頃になってやっと翻訳の奥深さ・
難しさ・楽しさが分かってきたような。
記事は「翻訳一般」多め、ときどき読書感想文、本業(医療機器)やや少な目。
(2019年4月現在)

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