屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

本当は、ここは、一生懸命働いているべき時間帯なのですが、「新・翻訳者つれづれ日記」のKYOKOさんが「『人生後半戦の生き方』(I)-諦めること」という不定期連載(たぶん)を初められ、1個前の「翻訳者になりたいんですけど」の記事のコメントで、「私も『後半戦』についてまとめてみます」などとほざいてしまった手前、KYOKOさんより年齢的には少し上の私としては、このままスルーしては失礼に当たるよな~(?)と、勝手に思ったりしてしまったわけです。

私にとっては、「50歳からの人生」ではなく「親を看取ってからの人生」なのですが。

それは、たぶん、人様とはちょっと変わっているかもという気もしますので、その話をする前に、ちょっと自分のバックグラウンドに触れておきます。
私の祖母は、地主のお嬢さんでした(らしい)。女系家族で跡継ぎがなく、隣村から婿養子を迎えたのですが、祖父は気弱で優しく、どうもそれが一家の凋落の原因となってしまったようです。祖母は、そんな祖父を追い出し自分が戸主に収まったほど気の強い人でした。その頃には、我が家は一文無しだったようですが。とにかく、そんな訳で、祖母にとって大事なことは、**家の名前を絶やさないことで、わたしも子供の頃から、そのように言われて育ちました。父は寡黙な人で、心の中では同じように思っていたようですが、決してそれを私に強要したことはありませんでした。母は、それらの全てが気に入らなかったようですが、かといって気の強い祖母や年の離れた夫に楯突くだけの度胸はなく、私がそのはけ口になった感じはあります。ま、私は、(決して反抗心からではありませんが)「そんなの関係ないも~ん!」と旦那と出会って結婚し旦那姓になった訳ですけど、心の中にはいつも、「きちんと両親を送り、最後は実家の墓を永代供養にし、きちんと実家を処分する」ことが**家の最後1人になった自分の最低なすべき仕事である、という思いがありました(でもって、本当に最後の1人なんです)。

そうして、無事に(?)両親を送り、自分の身体が思うように動かなくなる頃にはお寺に永代供養をお願いできるだけの(たぶん)資金もでき(ていうか父から相続しただけですけど)、時間は掛かると思いますが、あとは実家を処分するだけとなった今、これからの私の人生は「余生」です。…て、別に隠遁するわけじゃありませんが、気分はそんな感じってことです。これからの人生で、たぶん義父母を送り旦那を送り、義妹の行く末を安泰にし、持ち物はとことん減らし(本だけは残したいところですが、最後のお別れでお棺に本を入れるのは、葬儀屋さんにあまりいい顔されませんしね<焼いた後で灰が舞い上がるので、あんまりヨロシくないんだって)最後は、旦那実家の隣に住む遠い親戚に「最後だけお願いね」とお願いして自分の人生を終えることになるでしょう。もちろん、できる限り仕事は続けるでしょうし、数は少ないですがお友達とのお付き合いもぼちぼち続けるでしょうし、気の合う新しいお友達もできるでしょうし、たまには近場に出掛けたりもするでしょうが、それも自分的には「余生」のうちです。だって、色々あって大変なこともあったけど、今までそれなりに好きに生きてきたも~ん。

それって、淋しい人生ですか?

日々「あれもほしい、これもほしい」の物欲の塊な旦那にはこの「もう余生だよ~ん」な感覚が分からないようで、「淋しい人生やな」と言われますが(とどとか呼んでますが、決して仲が悪いわけじゃないですよ)、私にとっては、とても私らしい人生だなという気がします。人生の終わりを意識し出した50代からの生き方、「本当に止めたくないこと、続けたいこと、これだけはやってみたいこと」を取捨選択して3つくらい残し、時には介護だったり病気だったりと、様々な障害に悩まされつつも、ゆるゆるとそれらを続けていくのが理想です。それは海外旅行だったりスポーツだったり人によって様々でしょうし、私みたいに、「翻訳、書く、読む」と極めて地味~なものである場合もあるでしょう。まあ、スポーツとは行かないまでも、ある程度、特に足腰とバランス感覚を維持する必要はあるよね。これは両親を見ていてしみじみと思いました。50からの人生、「あれもしたい」「これもやってみたかった」とやりたいことを増やしていくのではなく、「本当にこれだけはやりたいこと」と引き算的にやりたいことを絞っていくのは、決してネガティブではないと思うのです。
まあ、そういう考え方もありってことで。要は、「これからどう生きたいんだろう」とちょっと整理してみることが大事なのかな、と。親なし子なし、ある意味気楽(お気楽ばっかでもないですが)な身分だから言えることかも、ですが。そうして、自分がある程度満足できればそれでいいのかも。どんな人生でも。

役に立たない記事ですいませんです。
2012.11.21 15:52 | 分類不能 | トラックバック(-) | コメント(4) |

Kyokoさん、まいどです~。

どうぞ、家云々のことは、あまりお気になさらないでくださいな。
家のことも介護のことも親子兄弟関係も、1つとして同じものはなく、誰々さんは誰々さんよりよくやったとかだから偉いとか駄目だとか努力が足りないとか、そういうことを図る絶対的な物差しなんてないはずなんです。私も、世間一般の基準に照らせば、母に対して相当ひどい扱いもしてるし。でも、「自分ができる範囲で自分ができる時に自分ができることをやる」でいいんだと思います。
おおっ、Kyokoさんに向かってエラそうに演説ぶってしまった! お許しを~。

「諦める」って何だか言葉の響きがよくないというかネガティブですよね。でも、本人がネガティブに捉えなければそれでいいのかなと。「やりたいことは全部やり充実した人生を終える」のが理想のように言われることって多いですよね。それは確かに1つの理想形だし、本人がそれで満足したのならそれはそれで言うことはないんですけど、「あれもこれも」の結果どれも中途半端になり、そう楽しくもなさそうな感じで人生を終えられた方も見ました。私、元々、仕事でさえダブルブッキングが難しいヒトですから、そういう例を見ると、「欲張らずに少しの本当にやりたいと残したことだけをやる」という生き方の方が自分には合ってるかな~、などと思ってしまったりするわけです。世間に惑わされず、自分はどういう生き方がラクなのかな~と「考える」ことが大事なのかなと。
そうそう、お気楽に前向きに、大事ですよ~。
更年期さんとも戦わなくてはいけないお年頃ですしね。

ではでは。
ウチも、まあ、そのうちにたぶん(何というか気になるテーマではありますし)。

2012.11.22 12:46 URL | Sayo #- [ 編集 ]

Yasukoさん、はじめましてです。
冷(冬)暖(夏)房完備のあまり環境のヨロしくない屋根裏ですが、これからもどうぞ宜しくお願い致します! 最近、夜型で午前中は使いものにならないため、お返事が遅れてしまってすいません。

>今回はスルーするのは失礼にあたると勝手に思って(笑)

いやいや~、コメント頂けるのはとっても嬉しいですけど、そこんところはあまりお気になさらず、どうぞ遠慮なく踏み越えて(何を?)読み逃げしていってくださいませ。


順送りと分かってはいても、実親の老いを受け入れるのって辛いですよね。もしかしたら、「親は頼るべきものではなく頼ってくるもの」ということを受け入れなければならない逆転の時期が、親子関係では一番辛い時期なのかもしれません。ゆるゆると時間を掛けて受け入れ、ご自分の心と体がしんどくない範囲でお世話して差し上げてくださいな。
私は、(特に父が)遅い時の子供だったし、1人っ子だし、子供はいないし・・・なので、もしかしたら他の皆さんよりは早い時期から「人生の終盤戦」みたいなことを考えていたかもしれません。それでも、体調のいい時と悪い時で考え変わったりしますし。あまりにも深遠過ぎるテーマですし、その先にあるのは「死」ですから目を背けたくもなりますが、とりあえず「意識してみる」「自分が楽しくラクに過ごせそうな方向を考えてみる」ってことが大事なのかな~と。そんな私が、60歳くらいになって「あれもこれもそれも」していたら、どうぞ笑ってやってください。

何のブログだかよく分かんないブログに成り果ててますが、いつでも遊びにいらしてくださいませ。

2012.11.22 12:42 URL | Sayo #- [ 編集 ]

こんにちは~。

返歌恐れ入ります。

私はしっかり者の姉を持つ次女癖が抜けず、家うんぬんを姉にまかせっきりなところがあり、少々心痛い気分で読ませていただきました。人を送るって順送りなんだなぁと当たり前のことを最近ふと思います。

「本当に止めたくないこと、続けたいこと、これだけはやってみたいこと」の取捨選択--難しいけれど私もこれを意識しようと思います。その過程が「諦める」ことを含むのでしょうね、でもお気楽に前向きに。


不定期にシリーズアップ予定(笑)。

2012.11.22 10:55 URL | KYOKO #- [ 編集 ]

Sayoさん、初めまして。

ずいぶん前からこっそり読ましていただいていました。
が、このたびKYOKOさんのところの記事の返歌ということで、あちらにもコメントをさせて頂いた手前、今回はスルーするのは失礼にあたると勝手に思って(笑)コメントさせて頂くことにしました。

私もSayoさんと同様50代です。まだ両親は健在ですが、随分老いてきて私(長女)がお世話することも増えてきました。

しっかり者でスポーツ大好きで仕事もバリバリだった親が、年老いてもうろくしていくのをみていると、いやでも「人生の終盤戦」について考えさせられます。そしてそれにつながる「後半戦」全般についても。

自分の「後半戦」をどうしたいのか、まだバタバタと模索中(もがき中?)です。
同世代の方の考え方からヒントをもらえることもありますよね。みんな一緒なんだー、と安心することも。

私の中で、今最もhotなテーマだったので、ついコメントしてしまいました。それも中途半端に(汗)。初めてのコメントなのにすみません。

これからも記事アップ、楽しみにしています(翻訳関係のお話ももちろん楽しみにしています!)。

2012.11.22 08:49 URL | yasuko #- [ 編集 ]













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