屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

次は「人間ドック受けた!」という記事の予定だったのですが、予定変更。

45歳を過ぎた頃から、それなりに身近な方々の訃報が、それなりに届くようになりました。
多くは、知人の親族(年齢的にご両親)の訃報なのですが、たまに知人の訃報が届くこともあります。先週木曜日(16日)に届いたのは、ボランティアで常日頃お世話になっていた男性の訃報でした。私より20歳以上年長の方ですが。

私が所属するのは、外国人観光客対象のボランティアガイド団体で、100名を超える大所帯なものですから、中にいくつかの委員会があります。一番人気はもちろん通訳委員会なのですが、私が名を連ねる翻訳委員会にも、毎月市の広報誌の英訳版を発行するという大事な(たぶん)お仕事があります。

「観光案内所(3箇所)ブースで外国人観光客向けの案内をする」のが基本で、会員がシフトを組んで当番に当たりますので、会員同士が顔を合わせることは少なく(私のように、月1回、こそっと夜の2時間だけ当番に入るような役立たずだとなおさらです)、お互いに顔を知らない会員同士も多いのですが、先週亡くなられた方は、長く翻訳委員会の委員長をされていたので、それなりに親しくさせて頂いていました。顔を合わせるのは、年2~3回程度でしたが、「仕事で翻訳をしている」ことがばれてしまい、5年前に広報誌の日本語原稿の割振り・送付役を拝命してからは(逃げ足遅く逃げ損なったというのが正直なところですが)、メールや電話ではかなり頻繁にやり取りをしていました。

癌で長く闘病中であったことは、周りの方からちらと伺っていましたが、特に悪いという話は聞いておらず、4月中旬の年次総会にも元気な顔で出席されており(その後有志で飲みに行かれたそうです)、5月の当番予定表でも4回シフトに入っておられました。

ですから、訃報の電話を頂いた時は、私も「えっ・・・(絶句)」、電話を下さった方も、「信じられない」という反応でした。

そんなわけで、私たちは、4月から5月にかけての急激な気候の変化に身体がついて行けず、急に体調を崩されたのだと思ったのですが(とにかく4月中は普通にメールのやり取りをしていましたから)、お通夜で奥様から(会長副会長が代表して伺った)お話は、ちょっと違うものでした。

委員長は、緩やかに体調を崩されていたのだそうです。4月中旬の総会も、本当は出席も危ぶまれる状態であったそうで、4月中旬までに担当者に連絡しなければならない5月のお当番申込みも、奥様は「5月はもう無理だから止めるように」とお願いされたのを、無理に申し込まれたとか。最初の当番日の1日が最後のお当番となりました。その後2週間ばかり床に臥せった後、自宅で亡くなられたそうです。

「そんなにしんどくなるまで出て来なくても休めばよかったのに」という声もありましたが、私は「どんなにしんどくても当番に出続ける」と無理(というと言葉は悪いのですが)をすることで、逆に頑張って来れたのではないかと思いました。3月年度末の翻訳委員会では、自ら「もう1年(委員長を)やります」と仰っており、ご本人は、不安を抱えながらも(その時は)あと1年委員長職を頑張る積もりであったに違いありません。もちろん、身体はかなりきつかったと思いますが、本人にとっては納得の行く生き方だったのではないかと。傍で見守っていた奥様の気持ちは察するに余りありますが。

奥様は、「ボランティアの仕事が大好きで、最後まで気に掛けていました」(だから本人も本望でしょう)と仰ったそうですが、げっそりやつれておられて、その言葉が、自分に言い聞かせるためのものではなく、心から(多少は)そんな風に思えるようになるまで、まだまだ時間が掛かりそうなご様子でした。でも、私とは違って、気立ても親子関係も良さ気な娘さんが2人寄り添っておられましたので、しっかり力になって下さるかなと。

一緒に仕事をして行く上では、「それは前にも何回も聞いたし」とか「それ前に聞いたことと逆やん」ということも多く、忙しい時はプチ切れしていたSayoですが、その「くどい」メールももう頂けないのだと思うと寂しさの募る今日この頃。今日は、色々思い出に耽ったりなどしながら、来月号の原稿の割振り作業をしたのでした。

合掌
2013.05.20 21:10 | 分類不能 | トラックバック(-) | コメント(0) |












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