屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

日経新聞土曜夕刊の「シニア記者がつくるこころのページ」に
「XXさんに聞く」というインタビュー記事があるのですが、
今回は明治大学教授で教育学博士、臨床心理士の諸富祥彦さん。
タイトルは、

「一億総疲労社会‐半分あきらめて生きよう」

私なんかが紹介するより、インタビュー記事そのものを読んで頂く方が、おっしゃるところがきちんと伝わるに違いないと思うのですが、頑張ってまとめてみますと・・・

諸富先生は、現代を、頑張って生きることが求められる「一億総疲労社会」ととらえ、本来、立ち止まって自分の人生を振り返り、悩みや苦しみの意味を問い直すべき40代、50代に、それができずにいる人が多いと指摘します。

(以下、「 」内は本文より引用)

「悩むべきことを悩み、その上で、成熟した大人になるのが本来の姿ですが、今はそれが難しいように感じます。若さの維持にベクトルが向き、成熟の方向へは向かっていない。それだけ自分の内面の変化にしっかり向き合えていない人が多いということではないでしょうか」

「本気で生きるほど、実はあきらめも増えるものです。自分の思い通りにはいかないのが世の中だからです。人生には光もあれば、闇もある。希望もあれば、絶望もあるのです・・・まだまだダメだと自分を追い込んでいくと、疲れや寂しさが増し、時に心の病を招きかねません」

「あきらめることは、頑張らないとか、力を抜くこととは違います。手抜きして生きると、心の奥底が充足されることはありません・・・チラリと希望を持ちながら生きることが、半分あきらめて生きるということです」

40代、50代になっても、仕事だったり介護だったり、「とにかく頑張らなあかんのや」な局面はあり、先生に諸手を挙げて賛成という訳にはいかないですし、「半分諦めて」という言葉は、一般論として「何とも否定的な響きがありますね」感は否めませんが、人生も折り返し点を過ぎた後、老いに向かい始めた自分を肯定し(甘やかす、という意味ではないです<念のため)、「自分にとって本当に必要ではないもの」から諦めていくという作業も必要ではないかと思います。そうやって手元に残したものは、自分にとってかけがえのないものであるはずで、それを大事にしながら生きることは、決して「手を抜いて楽に生きる」ことではないと思うのです。
2013.10.06 00:18 | 分類不能 | トラックバック(-) | コメント(10) |

Mayoさん(某所ではmidoriさん、ですよね?)、まいどです~。

>「諦める」の語源?は「明らかにする」ことであり、前向きな意味だと

いえ、知りませなんだ(普段はあまりイロイロ考えず、ぼおーっと暮らしているのだ)。

自分の内面をきちんと見つめることは、特にそれが「こうありたい自分」「こう見られたい自分」と異なる場合は、時に痛みを伴います。でも、そんな自分を認めてやることも、(壁に激突して玉砕せず、壁の周りを回って)その先に進むために時には必要なことなのかも、とこの年になって思えるようになりました。

Mayoさんは、まだお若いし、自分も周りの何もかもがどの方向にも動いていける可能性を秘めているのだから、考え過ぎることなく、今は「考えることも大事」を覚えておくくらいでもいいのかなと。おお、上から目線な私。

でも、確かに「諦める」こと=後向きではないと思います。それも、たぶん、自分の考え方次第。

てことで、時に「考え過ぎループ」にはまる恐れのある屋根裏だったりしますが、またいつでも気楽に遊びに来てくださいませ~。

2013.10.15 23:56 URL | Sayo #- [ 編集 ]

sayoさん、ご無沙汰しています。
何とも奥深いテーマですね(といっても結構前の記事なのですね…浦島太郎でした 汗)。

「諦める」の語源?は「明らかにする」ことであり、前向きな意味だと仏教の本で読んだ気がします(きっとご存じですね)。
自分の内面を明らかにすれば、何が重要なのか、自ずと見えてくるということなのでしょうかね。

と、言うは易く行うは…です(涙)
モノや情報が溢れ、せわしい時代なので、なかなか上手くいきませんね。高齢化とともに、家族観や人生設計も変わりますし。
でも、フリーランスである分、自分と向き合う時間がとりやすいのは幸せなことだと思います(これを読んでいる時間もそうですし)。

ついつい暗い方向に話が進みがちですが、「諦めること」と希望をもつことは両立するのだな、と改めて考えさせられました。

2013.10.15 22:22 URL | mayo #- [ 編集 ]

Kyokoさん、まいどです~。ご無沙汰してしまってすいません。

Kyokoさん家の記事、「ゴッドファーザー」とか「あんな人生ってどんな」とか、実は食いついちゃいまして、コメントしようと筆を取った(というのも変か)のですが、結局舌足らずで、読んで下さる方に誤解を招くかも・・・的な内容になってしまって断念しました。深い記事なんで、短いコメントに全てを凝縮するのは難しいです(私の初コメントは「じゃらん、にゃらん」でしたもんね)。

Kyokoさん、結構、若い方向にベクトル向いてますよね。私から見たら、とてもまぶしいです。でも、諸富さんの仰ることは「そのことばかりで現実は見ない」ことへの警鐘だと思います。Kyokoさんは、現実やこれからもちゃんと見てらっしゃるので、バランス取れてると思いますよ。お世辞とかではなく。

私たちの年代は「諦めてもよいものは諦め」「そうではないものを見極める」虫干しの時間も必要なのかな、・・・というようなお話も皆さんとしたいとも思うのですが、どう考えても自分は、50にして人生枯れすぎているというか諦めすぎているというか、このテの話に関しては相手の方を盛り下げるタイプの人間だよな~と自分でも思うので、ちくっと自重していました。こんなヤツでも宜しければまた誘ってやってくださいませ。待合せ場所に到着する前に(迷って)討死する恐れはありますが(どこまで方向音痴なんだか)。

2013.10.09 12:22 URL | Sayo@屋根裏 #- [ 編集 ]

「あきらめる」ということ--拙ブログでも何だか話題にしたような(笑)。

いろいろと本当に難しいですね。「諦めること」と「諦めたくないこと」の線引き、それに「あきらめたくないのに諦めざるを得ないこと」も加わって。

でもその中で「諦めたはずなのに」「諦めなくてもいいよ」というご褒美をなぜか神様(笑)からいただけることがあるのも人生の面白さです。


「悩むべきことを悩み、その上で、成熟した大人になるのが本来の姿ですが、今はそれが難しいように感じます。若さの維持にベクトルが向き、成熟の方向へは向かっていない。それだけ自分の内面の変化にしっかり向き合えていない人が多いということではないでしょうか」


痛いわ~。成熟した大人にいつなれるのでしょうか。これについての真逆のネタを本日アップしてしまいました。

2013.10.09 10:50 URL | KYOKO #B4jD3nFU [ 編集 ]

鍵コメントくださった**さま、まいどです~、こちらこそご無沙汰してすいません。

私も、**さんとあまり年は変わらないですが、先のことは何一つきちんと決めてないですよ。平均寿命が伸び、それなりに健康であれば、いくつになっても何でもできるようになったために、かえって、考えることを先延ばしにするようになったのかもしれませんね。そんな中、時々「あとはあきらめるとしてもこれだけは」は何なのかを考えてみることも必要なのかも。

お母様、胃婁にされてもう2年半ですか。先輩に向かってエラそーにアドバイスさせて頂いたのが、ついこの間のことのようです。今のところ「親は最後の最後は子供のために生きてくれたのだ」と思う気持ちは変わりません。自分の選択をよかったとも思いますし、後悔もします。もう暫く続くかなと思います。そういうものかなと思います。穏やかな看取りの日々であるよう祈ります。

あ、でも、毎日は適度に自分の心を労わってあげてくださいね。
今日は真夏の暑さですわ~。**さんも、体調崩さないようになさってくださいね。

2013.10.07 15:10 URL | Sayo@屋根裏 #- [ 編集 ]

Akoronさん、まいどです~。
ちょっと定期の通院で出てまして、お返事遅くなりました。

>昨日コンビニに行った時、婦人公論の曾野綾子さんの記事で、偶然同じような「諦め」について書かれた記事を読みました。

おおっ、そうでしたか。曾野さんも、結構びしばしっとものを仰るかたですよね。「諦め」「覚悟」「尊敬されようとは思わない」ですか。うーん、私はまだまだですにゃあ。

>優先順位の高い事項まで諦めざるをえない現実に直面したとき、人間の真価が問われるのかな、と思ったりします。

う~ん、私もこの道の先にそんな感じの風景は見ていたりしますが、遠くから眺めるのとその事実に直面するのとはまた別なので、その時が来たら、今のように偉そうな口はきいていられないかもしれない。結局、何かを誰かのせいにせず、毎日をきちんと一生懸命生きていくということに尽きるのかもですね。

Akoronさんも、色々曲がり角的な日々? 今は必死にやるしかない時期なのかなと思いますが、様々にその時その時の最良の選択をされているに違いないと思っています。応援するくらいしかできませんが、応援しています。

2013.10.07 15:09 URL | Sayo@屋根裏 #- [ 編集 ]

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2013.10.07 12:55  | # [ 編集 ]

Sayoさん、こんばんは!

といっても、今深夜で何と挨拶していいものやら>.<。

昨日コンビニに行った時、婦人公論の曾野綾子さんの記事で、偶然同じような「諦め」について書かれた記事を読みました。彼女自身が病を抱えている身ですが、「諦め」や「覚悟」が幸せに結びつくという観点は、これまでも「老いの才覚」等で書かれていたような気がします。「尊敬されようとは思わない」も大事だとか。

もともと、そんなことは思っていない私ですが、優先順位の高い事項まで諦めざるをえない現実に直面したとき、人間の真価が問われるのかな、と思ったりします。でも、諦めた時に他に見えてくる景色もあるので、そっちを楽しむのも人生かなと。。

諦めを重ねつつ、でも「自分は自分」と生きていきたいものですね~(^_^)。

2013.10.07 01:53 URL | akoron #- [ 編集 ]

Tomokoさん、まいどです~。
諸富さんの仰ることを、私は、自分の残りの人生を見据えて、残すものとそうでないものを取捨選択するということなのかな、と取りました。ちょうどふた親を送って、次の介護までのモラトリアムを得て、「その中でどんな風に生きていこう」みたいなことを考えている時期なので(まあ、たいていは何も考えてませんが)、ストンと胸の中に落ちてきた感じでした。開き直りではなく「私の人生はこんなもの」という、やはり諦めに近い気持ちかな。なので、Tomokoさんの「諦める」とは、ちょっと違うものかもしれません。でも、「諦めよう」に至るまでに、Tomokoさんはきっと様々なことを悩まれたり考えられたりして、今の結論に至ったに違いなく、その「自分が失いたくないものは何?」をきちんと考えるという作業は、色々な局面でやはり大事だと思います。うまく説明できなくてすいません~。

2013.10.06 19:52 URL | Sayo@屋根裏 #- [ 編集 ]

私はあることをあきらめてから人生すごく楽になりました。それまではどうしてもあきらめたくなかったから必死だったししんどかったのです。
今はあきらめることはあきらめ(一応ほのかな期待は残しつつも)、あきらめなくても自分の精神状態が大丈夫な部分にだけ頑張っています。
変な話ですが、あきらめてからの方が人生楽しいし楽です。
ごめんなさい、とっても抽象的ですが。。。
まあ、一言でいえば開き直ったということですかね。開き直ってから、やっと自分軸で生きているという感じがします。

2013.10.06 16:55 URL | tomoko #- [ 編集 ]













管理者にだけ表示