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2013. 12. 01  
コチラを訪れて下さるほとんどの方はすでにご存知かと思いますが、高橋選手が怪我でGPファイナルを欠場するとのこと↓
http://skatingjapan.or.jp/image_data/EVENT/2099_2.pdf

ファイナルは今週末なので、世間はまだあまりかまびすしくないようですが、ファイナルから五輪派遣選手が決定する全日本にかけては、この怪我のことも含めてまた外野席が喧しくなるのかな~と心配。無責任な噂や憶測だけは慎みたいものです(含、自分)。

私は、密かに高橋選手を応援しているので、できれば、五輪に出してあげたい(いや、私が決めるわけじゃないんですが)。最後の五輪てこともありますが、あの「音楽が高橋か、高橋が音楽か」みたいな見事なSPと、NHK杯ではまだまだ完成途上の感があったFPの「ビートルズメドレー」の完成形を五輪の舞台で見てみたい。

でも・・・


高橋選手の怪我のことを知った時に思い出したのは、(状況はかなり違うんですけど)本田武史選手のことでした。

トリノ五輪出場枠取得の掛かった2005年の世界選手権の予選(当時は予選上位者だけが本選に出場)を怪我で途中棄権し、残り1名になった高橋選手が15位に沈んだため、五輪出場枠は「1」となりました。
本田選手は翌2005-2006シーズンの初めに、その季限りの引退を表明、五輪出場の掛かった全日本選手権は5位で、これが現役最後の試合になりました。

「もしも」本田選手が怪我をせず、男子が2枠(又は3枠)を獲得していれば、もしかしたら、その後の本田選手の古傷の治療や練習への取組みや五輪への執念、といったものにも違いが生じたかもしれない。「自分の手で五輪枠を死守した」ということも、一層のモチベーションアップに繋がったかもしれない。当時本田選手は25歳、年齢的なことだけを言えば、今の高橋選手より若いのです。

でも、それは、所詮「たられば」の話です。もちろん、世界選手権の怪我だけが理由ではないと思いますが、あの頃から、本田選手の「流れ」はゆっくりと「五輪出場を果たせず引退」の方向に向かっていったのかなと。素人感想ですし、うまく説明できなくて申し訳ありませんが。

そのことが、その後の本田選手のafter eligibleの、コーチだったり解説者だったり一人の人間としての人生だったりには、もしかしたらプラスになっているのかもしれません。それは誰にも分からないことで、本田選手だけが決められることと思います。今ではなく、或いは何十年かの後に。

というわけで、高橋選手の話に戻りますが、「復活」はしてほしいけれど、怪我の治療も練習についても最大限の努力をした上で、五輪に届かなければ、それはそれで仕方がないかなとも思うのです。
近視眼的には「残念」なことではありますが、もしかしたら、後々そのことが高橋選手の人生に大きなプラスになるかもしれない。考え方次第、の面もありますけど。それも、やはり高橋選手にしか決められないことかなと思います。

まとまりがなくなりましたが、GPファイナルを前にした雑感であります。
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プロフィール

Sayo

Author:Sayo
医療機器の和訳も9年目。
老眼腰痛、最近は膝痛とも闘いつつ
翻訳人生をまっとうしようと奮闘中。
この頃になってやっと翻訳の奥深さ・
難しさ・楽しさが分かってきたような。
記事は「翻訳一般」多め、ときどき読書感想文、本業(医療機器)やや少な目。
(2019年4月現在)

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