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2014. 07. 08  
時々、
「いくつになってもできるからいいね」
と言われることがあるが、本当にそうなのか??

個人的には、「いつでも辞める覚悟」を持ちつつも、状況が許せば、世間的に定年とされる60歳くらいまではフル稼働は無理としても、何とか仕事を続けたいと思っているけれど、果たしてその先は?


年を重ねてなお質の高い仕事をされる先輩も多々おられ、一概には言えないとは重々承知ですが、それなりに健康で年相応プラスの体力が維持できた場合の「限界定年年齢」は、70歳前後ではないかと思います。

70歳を過ぎると、どうしても注意力が疎かになり、長期間に渡り一定の質を保つことが難しいのではないかと、3人の老人(叔母&両親)の年の取り方を見てきて思うのです(まあ、サンプル数が3なので、一般化することはできませんが)。

3人とも、だいたい70~75歳の間に、注意力が落ちた、というか「まあいいか」的なことが増えたような気がします。そして、2、3の事柄については、「そこまでしなくても」「ナゼにそこまで」的な拘りが増えました(これは、性格的な部分も大きいかもしれませんし、認知症の前駆症状であった可能性も否定できませんが)。

それは、身体が思うように動かなくなった結果の「まあいいか」だったかもしれませんし、理性のタガが緩んでの「まあいいか」だったかもしれませんが、「老い」であったことに変わりはないように思います。

何を「まあいいか」とするかは人によって様々だと思いますが、我が家の場合は、手の掛かる、面倒臭い、いくつもの段取りを必要とする物事が多かったような気がします。調べものや訳語探しが、いつか「まあ(少しくらい)いいか(身体もしんどいし)」に該当しないという保証はありません。
もっと恐ろしいことは、老いのために、「成果物の質が落ちた」という事実に気づけないということです。誰も、面と向かって「最近、質が落ちましたね」なんてことは言ってくれません。面と向かっては「まだまだ大丈夫ですよ」と言われ、陰では「あの人も年を取りましたね」と言われるのが、在りがちな結果かなと思います。

自分で気づくことができなくなる前に辞めたい。

これはあくまでもSayo実家の人達のケースであって、私は性格的に、同じ道を辿る確率は高いとは思うけれど、一般には当てはまらないかもしれません。ただ、誰しも、「自分の老いにはなかなか気づかない」というか「老いを認めたくない」ということはあるのではないかと思います。

会社が決めてくれる定年がある人生は、ある意味楽だなと。

「定年がないからいい」は裏返せば「自分で定年を決めなければならない」ということでもあって、これはなかなかに難しい作業であるような気がします。


私は決してNegativeに生きているわけではなく、どちらかと言えば、日々「(まだまだ)負けへんで」と思いながら生活しています。まあ、時々そういうことを考えるような年齢に達したヒトの記事ということで・・・
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Comment
Re: タイトルなし
猫先生、まいどです~。
「やりたいことを」ばかりだと、周囲との軋轢も生まれるし、なかなか難しいように思います。1つ2つ、「これはゼッタイやるぞ」的なことを決めて、あとは、周りに合わせるところは合わせ、譲るところは譲って漂っていくのがよいかもですね。お互いに「健康第1」で、ぼちぼちと。特に、猫界のアイドル猫先生には、いつまでもお元気で頂かなければ。
Sayoさん、おベンキョおつかれさまでした。
ちょうど1年の半分、通信講座の半分が終わった時点での収入を見て、これはこの先どうしたものかとふと思ってしまったのでした。

しかし、「やれる時にやりたいことを」が50代とはいいことおっしゃいます脳。やはりそれが大事ですね。お互いに無理しない程度にがんばりましょうですにゃ。
Re: タイトルなし
猫先生、まいどです~。
今日は例の1日おベンキョの日で、身も心もヘロヘロであります。という訳で、お返事遅れて申し訳ありません。

猫先生も、(ワタクシより全然お元気とはいえ)同年代ですから、やはり、先のことを色々考えますよね。何のかんの言って、やはりお金は大事ですし(お金で老後が買えるとは思いませんが、ある程度の蓄えがなければ、普通の老後さえ覚束ないような気がします<しみじみ)。

何事も、健康あってこそ「こうしよう」「ああしよう」と考えられるのだと、年を取って思うようになりました。まずは健康と体力1番で(あ、すでにヨガとか気を配っておられますよね)、小判の蓄え状況と相談されながら、「これは今やりたい」ということを、当面1~2年くらい優先なさりながら、流されてみるという方法もありではないかと思います。「この先どうしたい」を今しっかり決めてしまわれる必要はないのではと。猫先生は猫界(?)では本当に偉大な猫様(?)で、我々下々の猫の「ああしてほしい」「こうしてほしい」という期待値も高く、なかなかに難しい部分もありかもしれませんが。「やれる時にやりたいことを」が50代かもしれません。

遅くなった上に、お返事になっていなくてすいません脳。
Re: タイトルなし
みかん2乗さま、まいどです~。

ちょりーたさんのコメント、この季節にはホント一服の清涼剤ですよね(?)

お年を召されても、質の高いお仕事をされている方はたくさんおられます。ただ、やはり、一般的には75歳くらいが、生活全般に対する注意力が落ちてくる年なのかなという気はします。あ、ちょっと涼しすぎ? ダイジョブ、みかんさんが、「一般論じゃない方」に入ればよいのです。それには、やはり、「健康」であります(きっぱり)。私からすれば、みかんさんは、まだまだお若い。焦ることなく、当面70まで現役を目指して、身体体力、翻訳基礎体力、医学基礎体力をつけましょう! 暑くなったらいつでもここへ♪
現在の小判の蓄え状況を考えますと、まだまだ引退するわけにはいかないのですが、最近この先の方針をどうすればよいのかわからなくなっています。

通信講座を担当するようになってからもっともっと勉強したいという気持ちが強くなり、勉強に時間を費やしたいと思ったりします。が、その一方で、添削やら課題の準備やらで時間が取られる分、引き受けられる翻訳の仕事の量が減り、収入も思いの外減っているので、こんなことをしていていいのだろうかとも思ったりします。

この先の翻訳人生が何十年とあるわけではないので、十分な収入を得ることも含めて自分の好きなようにすればよいのでしょうが、結局自分はどうしたいのかわからなくなっている猫先生でありました。
おはようございます~ 本文とちょりーたさんのコメントのおかげで朝からゾゾ~と涼しくなりましたw

後ろ向きな性質の私は常に「フェイドアウト」の恐怖と戦っております…また、我がジジババも70を超えてから老化が一気に進んだように思えます。

が、ここでひとつ前向きなことを。この世で翻訳すべき文章や書籍は膨大な数にのぼります。でもって、その中には「ある一定の年齢にならないと理解しえない、翻訳しえない」たぐいの文書があると思うのです。必ず。ですから、体力、気力が充実しさえしていれば、そのへんの仕事はまわってくる(掴み取る?)ことができるのではないかと。ま、「体力、気力を充実させられるか」つーのが一番の問題ではありますが(^0^;)


Re: タイトルなし
ちょりーたさん、まいどです~。

少しく手に職系の仕事には通じるものがあるかもしれないですね。でも。

>引退を宣言する前にいつのまにか仕事が来なくなっていてフェイドアウトというパターン。

てどんなホラーよりも怪談よりも怖くて、いい感じに涼めましたですわ。

30~50代くらいだと、何らかの理由で仕事が来なくなっても、「どうしてだろう?」とその理由を考える場合が多いと思うんですよね。ただ、年を取ると、そこのところの(どうしてだろうと考える)判断力も鈍って来るような気がします。あくまでもSayo家をCoreに無理やり展開する一般論ですが。できれば、引き際は自分で決めたいSayoです。
これってアスリートにも通じる話ですよね(と「翻訳者=アスリート」論を引っ張り出してみる。ただアスリートの場合、試合の結果というもので現実を突きつけられて自ら潮時というものを悟るのでしょうが、翻訳者の場合、引退を宣言する前にいつのまにか仕事が来なくなっていてフェイドアウトというパターンもあるのでしょうね。コワイコワイ。
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プロフィール

Sayo

Author:Sayo
医療機器の和訳も9年目。
老眼腰痛、最近は膝痛とも闘いつつ
翻訳人生をまっとうしようと奮闘中。
この頃になってやっと翻訳の奥深さ・
難しさ・楽しさが分かってきたような。
記事は「翻訳一般」多め、ときどき読書感想文、本業(医療機器)やや少な目。
(2019年4月現在)

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