屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

という言葉を私もよく使い、同業者の方が使われるのもよく耳にするのですが、
では、「その『品質』とは完全に同じものをイメージしているのか」と考えると、
「なんか違う・・・ような・・・」ということもあります。

翻訳者の考える翻訳の「品質」に大きなばらつきがあってはもちろんマズいのですが、
最低限の了解事項というか「あるべき品質」というものがあって、
そこから先は、その人の考える「品質とは何ぞや」には微妙な違いがあるのではないか、
この頃、そんな風に考えるようになりました。

実は、ワタクシ、恥ずかしながら、イメージとして頭の中にあるソレを
すぐにきちんと言葉にすることができなかったのでした。
というか、どうしても、抽象的な言葉になってしまうというか。
という訳で、この暑い中、干乾びた脳味噌を絞って少し考えてみました。

基本的な「あるべき品質」を備えた成果物(訳文)は、
‐納期通りに提出された、
‐指定の書式・表記方法の守られた、
‐文単位の抜けのない、
‐書かれていることが理解できる(文意が不明なまま翻訳していない)
訳文であろうと考えます。

当たり前っちゃ当たり前のような気もしますが、
最後の「文意が不明なまま翻訳しない」ために苦しむことは結構あります。

転記間違いやスペルミスは、もちろんあってはならないものとは思いますが、作業者が人間である以上、チェックを重ねてもゼロにすることはできないし、ツールの助けを借りたとしても、やはり完全にゼロにすることはできないのではないかと考えましたので、My「あるべき最低品質」基準からは除外しました。

これらの「基本品質」を満たした上で、では「高品質」とは何かを考える時、
(あくまで脳味噌の溶けたワタクシの考えるソレです)
対翻訳会社では、「後工程で最低限の作業しか発生しないもの」

具体的には、
‐ケアレスミスの修正・訂正の少ないもの(転記間違いやスペルミスはここに入ります)
‐間違って文意を解釈している場合はゼロではないとしても、自分の中で何らかの結論に達した上で翻訳を行っており、根拠や解釈に自信の持てないものについては、その解釈を採用した根拠をコメントに簡略にまとめてあるもの
です。

対クライアントでは「成果物の文書の種類に応じた文体で、適切な訳語を用いた翻訳がなされているもの」

具体的には(・・・て、あんまり具体的じゃないんですけど)、
‐修正が少なく、
‐専門家が読んだ時、選択語句等の間違いが「これはあのこと(言葉)を指す」とすぐに分かるもの

あくまでワタクシの考えですが、自分は、どう頑張っても、ある分野の専門家の方々と(その専門領域に関し)同レベルの文章は書けないと思っています。どんなに頑張ってみても、所詮は門外漢なのですから。であれば、自分のすべきことは、そうした専門家の方々を唸らせる文章を作成することではなく、常に、その方々が一読して間違いなく書かれた内容を正確に把握でき、簡単な語句や表現の修正のみで利用できる訳文を作成することだと思うのです。

以前、「美味礼讃」(海老沢泰久、1992)の読書感想文で、
「べつにあれでもあのままどこへ出しても恥ずかしくない味なんです。しかし九十点の味でいいということになると、七十点の味に落ちるのはすぐですからね」
という主人公の言葉に共感したと書きました。

でも、「理想としての100%」はありだと思いますが、
達成可能目標としては「常に95%」あたりを目指すのが実際的なのかなと。
その結果、タイトな納期のものも、内容的に難解なものもすべて含め、
常に85%以上のものがOutputできれば「一定品質が保たれている」
と言ってよいのではないかと、そんな風に考えています。
(ここでいうマイナスとは、ミス、解釈間違い、専門用語の選択ミスなどを言います)

誤解しないで頂きたいのですが、私はいつも
「限られた納期の中で今の自分にできる最高のものをOutputしたい」
と思って仕事をしています。
・・・でも・・・
恥ずかしく悔しい話ではありますが、
たとえば、自分の過去訳を参考資料的に参照する時、
そこにミスや解釈間違いを見つけることは多々あるのです。
それが現実です。

85%という数字は、一見かなり甘い数字に見えますが、例えば
「どんな事情があり何が起こっても、85%を下回る品質のものは出さない」
と言い換えると、実現は不可能ではないものの、
なかなか難しい目標であるような気がします。
(少なくともワタクシにとっては)


この「品質」を達成するやり方というのは、人それぞれでよいのかなと思います。
多数の方が推奨されるよい方法というものはありましょうし、
そこから始めてみるのは決して間違いではないと思いますが、
自分にとっての最善を求めて、常に試行錯誤していく必要はあるかなと。
独りよがりなものになってしまわないよう気を付けなければなりませんが。

手抜き、ではないのですが、最近、自分の中で色々な意味で「流れ作業的」になっていることが多いな~という気がしましたので、「品質とは」という原点に一度立ち返ってみましょか、自分、ということで、記事にしてみたりなどしました。ああ、脳味噌絞り切った感。老体には堪えるわい。もうこの夏頭は使わな~い、と。


2014.07.15 17:25 | 伝える | トラックバック(-) | コメント(0) |












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