屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

というわけで、前回の続き(勢いさ)で
母に関する記事なのでした。

あまり楽しい記事ではないので、折畳み記事にしようと頑張ったんですが、
このテンプレートでは折り畳みができないような感じです。
なので、本文との間にちょっとスペースをとりました。
(あまりというか殆ど意味ないけど)
ご自身の判断でスクロールしてください。
「医療保護入院」についてもう少しお知りになりたい方は、
頑張って先にお進みください。
ただし、体験談です。

それから、次はフツーの翻訳だの英語だの本だの、の記事に戻ります。
(私もいささか疲れましたしね)
(ので、皆様、またいらしてやってくださいね)
(「骨移植」のその後はあと1回くらい書くと思いますけど)

SayoのBackgroundについては「はじめに」カテゴリの記事をご参照ください。


















何度か書いてきた通り、Sayoは、母に対する愛情とか「好き」という感情が薄かったと思うのです。
でも、理性のダムの堰がぶっ飛んでしまった母の脈絡のない話を聞いて分かったのですが、母の方も、それなりに勉強ができて翻訳などというハイソ(←と実情を知らない母は誤解していた)な仕事をしている娘を自慢に思いつつ、たいして可愛いとも思っていなかったようなのでした。
ほんま、親子やで。
母にもSayoにも、どちらにも問題はあると思うのですが、それは今日の記事の趣旨ではないですし、親子関係について、あまり個人的なことを書くのもどうかなあと思うので、これ以上はご勘弁をお願い致します。

そんなわけで。
少し距離を置いてつき合った方が上手くやっていくことのできる2人だったと思うのですが、
父の入院をきっかけに、濃密な時間を過ごすことを余儀なくされ。
2人にとって、それは悪い方向に向かってしまったのでした。
それについては、認知症の症状の出始めていた
(たとえば妄想とか、辻褄合わせとか、記憶飛びとか)
母にうまく対処することのできなかったSayoの方に非があります。

「一緒にいるのが嫌だ」という私の気持ちが伝わったのでしょう、
孤独だった母は(それなりに広い一軒家で本当に孤独であったろうと想像できます
ご近所の方ともうわべのお付き合い以上のものはなかったようでした)
様々な方法で私を引き留めようとしました。
たとえば日に何十回も電話を掛けてきたり。
たとえばその電話で「死んでやる」と脅したり。
「嫌だ」といっても、心配でないわけではありません。
そこが(母もそうだったのかと思うのですが)親子のmixed-feelingの難しいところです。
なので、旦那に頼んで、車を飛ばしてもらった夜もありました。
そうして、母は、気に入らないとものを投げることが、頻繁になりました。
とはいえ、最初はティッシュの箱とかまくらとかみかんの皮とか、
こちらが傷つかないカワイイものを選んで投げてくれていましたが。

その頃には、私は怖くて母のもとへは通えなくなっていて。
旦那が代わりに電話したり様子を見に行ったりしてくれていました。

そんなある日。
家の中で尻餅をついた母は、脊椎を圧迫骨折し(←あとで判明)、
立つ座るの動作にひどい痛みを感じるようになってしまいました。

旦那は何とか母を説得して病院に連れて行こうとしてくれたのですが、
母は「行かない」と断固拒否。
食事を持って様子を見に行ってくれた旦那が
「母ちゃん、懐中電灯とか電気ポットとか投げよるで。危ないで」
と言うのを聞いた時、「母を医療保護入院させよう」と思いました。

通常は、本人の意志がなければ入院はできません。
(もちろん急を要する怪我や病気の場合は別ですが)
本人の意志に反して入院させることができるのは、
精神科への医療保護入院や措置入院だけです。

医療保護入院を決断することができたのは、
精神科に信頼できる先生がおられたからでした。
保健所の無料医療相談で相談にのって頂いた先生で、
その後も、ご自分の勤める病院で「家族受診」という形で、
どうすれば母と医療をつなげることができるかを一緒に考えてくださいました。
医療保護入院という選択肢を示してくださったのも、この先生です。
この先生の方針は、
「最初から薬に頼ることはしたくない」
というものでした。
だから「この先生にお任せしよう」と決断することができたと思います。

ちょうど次の日が受診日でしたので、
状況を話し、医療保護入院させたい意向を伝えました。
先生が病棟とやり取りしてくださった結果、
翌日入院できることになりました。

母は、家の中を基本這って移動している状態でしたから、
救急車を呼んで入院させることになりました。
私ひとりではどうにもならないので、
旦那に急きょ休みを取って貰いました。

救急車を呼ぶにあたって、先生に言われたことは
「○○病院の精神科の○○医師に話が通っていてベッドを用意して待っている」
ということ(受入れ先の当てがあること)を必ず伝えるようにということ。
また、たとえば本人が暴れたりした場合、
救急隊員は力でこれを抑えることが禁止されているため、
警察を呼ぶことになるかもしれないということも言われました。

当日は、旦那だけが様子を見に先に家に入り、
私は旦那からの「電話せい」連絡を受けて、救急車を呼びました。
119への電話を終えた時には、膝が震えてしまっていて
「膝が笑うってこういう状態なんやなあ」と妙におかしくなりました。

結局、母は訳が分からないまま、大人しく救急車に乗り、
警察が呼ばれることはありませんでした。

我が家はこうして救急車で医療保護入院となりましたが、
やり方はさまざまで、たとえば自分の車で連れて行って、
そっと家族がfade outするのも医療保護入院です。

で、母のその後ですが。
時々ヒステリーを起こしつつも、
特に家に帰りたがることも私を恋しがることもありませんでした。
母は母なりに他人の保護を受けて安心したのかもしれない。

その後また少し色々ありまして、
胃瘻を余儀なくされるまでに、そして意思の疎通が叶わぬほどに、
QOLが落ちてしまったのですが、
それは、決して、いわゆる「薬漬け」にされたからではありません。
また、介護者の方のブログや掲示板の記事などを拝見すると、
医療保護入院なさった方が、お薬の調整がうまく行き、
穏やかな状態で自宅に戻られたり、施設に移られたりされた例は、
かなりの数見受けられました。参考まで。

それから、我が家では父が(書類上)母の扶養者であったため、
本当は、「保護者」として母を入院させることができるのは
父だけだったようです。
なので。
当初、母は、市長様の保護の下に入院するという形を取り(!)、
後日、「父は被成年後見者なので保護者になれない」という証拠
(=成年後見登記謄本←法務局で取ります)を提示して、
私が保護者となりました。
(てことで、手続きちょっと面倒)

最後に実家に戻ってとりあえずの後始末をし、
少し事情をお伝えしてあって、
何くれとなく母をフォローしてくださった
(そしてご迷惑もご心配もお掛けした)
ご近所の方々に事情を説明し、
これまでのことを詫び感謝の気持ちを伝えて回り
長い一日が終わりました。


「医療保護入院」の検索でこちらに来てくださった方へ

私には、それが、よいこととも悪いこととも判断できません。
ひとりひとり家の事情も親子関係も違うと思うからです。
自分のしたことが、よいことなのか悪いことなのかすらもよく分かりません。
私のことを「ひどいヤツだ」と不快に思われる方もおられるかもしれませんし、
逆に、「よく頑張ったね」と言ってくださる方もおられるかもしれません。
色んな考えの方がおられて当然だと思う。
非難の言葉は真摯に心して受け止めなければならないと思っています。
それが、自分の責任なのかなと。辛いですけど。
(で、小心者なので、実際は
ちょっとそんな雰囲気を嗅ぎ取っただけでオロオロしてしまいますけれど)
あなたの決断が(どのような決断かは分かりませんが)、
最善の道へ導いてくれるものであるよう祈ります。
どうぞご自身のお身体も大切になさってくださいね。


ここまで辿り着かれた皆さん、
最後まで読んで下さってありがとうございました。
2011.03.09 13:27 | 両親のこと | トラックバック(-) | コメント(0) |












管理者にだけ表示