屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

老いた両親と相対するようになった頃から、
人生について考えるようになりました。
(単に暇だったという説もある)

たとえ死んで程なくして忘れ去られるとしても、
たとえ、そこに成功や達成や成就がなくても、
外から見ればただただ平凡に見える人生でも、
たとえ他人からはそうとrecognizeされなくとも、
大事に丁寧に真面目に一生懸命、上等な人生を生きたいです。
自分の思う「上等」、うまく説明できないんですけど、
真摯に毅然と生きる(生きたい)て感じです。
仕事も人との交わりも、何もかものplatformです。
結構難しいんで、あくまで理想ですけど。

そして、最後に、
「人は本来こんな風に老いて弱って死んでいく」
という死に様をきちんと見せることができたなら、
それで、私の人生よしとしたい。

そのためには、これから、どんな風に生きていったらよいのだろう。
そんなことを考えることが多くなりました。

・・・更年期でしょうか(<そこか<自分)


と悟った風な口をきいておりますが、新シーズンの幕開け(←分かる方は分かりますね)を控えてそわそわしております。人生修行、まだまだ足りないようなのでした。
翻訳もまだまだ修行が足りませんので今暫く足掻きます。
2014.08.27 22:41 | 分類不能 | トラックバック(-) | コメント(4) |

Yasukoさん、まいどです~。

うーむ、この記事には、やはり同年代の方からコメントが。そう、そういう年代になりつつあるのかもしれません。鍵コメント下さった方も、昨年お母様を送られた方です。

今更、「丁寧に」とか言うなら、若い時から丁寧に生きときゃよかったなー、と思いますが、まあ、今からでも遅くないかな。一応、「年取って老衰で死ぬ」ことを前提に、記事を書きましたが、色々な意味で明日のことは分からない。毎日大事に生きたいですね(といいつつ、イケメン少年に心ときめく、煩悩から逃れられないSayoなのだった)。

2014.08.29 18:38 URL | Sayo@屋根裏 #- [ 編集 ]

まいどです~。

なんとなくおっしゃる意味わかります。Sayoさんもわたしもそこそこ生きてきているってことですかね。親の老いが考えるきっかけになるのも確かですね。

最近MatsukoDeluxさんが「死が射程距離圏内に入ってきた」と言ってましたが、まさしくそういう感覚かと思います。

人生の最後について目をそらさずに漠然とでも考えることは、逆算して今の生き方を考える機会にもなるので、悪い事ではないなあと思います。

うまくいかないことがあると、「もう、来世に期待!」とか毒づくこともありますが(!)、できるなら現世もそこそこの満足感をもって終わりたいものです。

こんなこと考えてるなんて、、マジメか。

2014.08.29 18:01 URL | yasuko #- [ 編集 ]

鍵コメント下さった**さま、まいどです~。

「あれもこれも」いいではありませんか! 実際、色んなことをなさっているし。お祭からダイビングまで、ふり幅の広さは只者ではありません。私は、逆に、あまり「あれもこれも」がないんですよね~。それはそれで、好奇心が足りなくていかんなー、と思ったりもしますが、逆に、優先順位をつけたり、「これだけは」と決めたりするのがラクなのかもしれません。

あと、**さんも同じかもしれませんけど、できれば、最後まで「私の分かる私」のままでいたいです。でも、もしも、そうでなくなってしまったとしても、毎日を「大事に丁寧に真面目に一生懸命」生きていれば、それが習い性になって、周りにもあんまり迷惑掛けないでいられるかなー、とか下心もあったりするわけです。

いつか、「理想のアフター60」(?)について、ゆっくりお話したいですね。


> 引退・休養の選手達が抜けた今シーズンのニッポンはどんな感じなのでしょうか?

と、私を、煩悩の世界に引き戻すわけですね。男子は羽生クンが「これでもかっ(難易度)」てプログラムを作っているようですよ。あと、まだジュニア(中学生)ですが、山本草太クンが、イケメンに育ちそうな感じで(<そこか<自分)密かにチェックです。

2014.08.29 17:57 URL | Sayo@屋根裏 #- [ 編集 ]

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2014.08.29 17:30  | # [ 編集 ]













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