屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

早いもので、父が亡くなって丸3年経ちました。

ブログを始めたのが、2011年1月。
両親を病院だったり特養だったりに落ち着かせ、私自身も自分の心とそれなりに折合いをつけ、自分を取り巻く状況が短期間に劇的に変わることもなかろうと始めたブログでしたが、1年の間に相次いで両親が亡くなる結果となりました。

ブログ立上げと前後して始めた、無人となった実家の片付けも、4年経ってやっと大物(父の書籍、お茶道具、雛人形、着物など)を送り出し処分したらあとは力技だけ、というところまで辿り着きました。それにもまだ数ヵ月掛かりそうですが、家そのものも処分できそうな雰囲気漂ってきました(感涙)。

3年の間、折に触れて、これからどう生きるかというようなことを考えてきました。

兄弟や子供がいれば、また考え方も違ってくるのでしょうけど、私は、兄弟姉妹も従妹もおらず、「自分が死んだ後、周囲にできるだけ迷惑を掛けないようにするにはどうしたらよいか」みたいなことをまず考える訳です。さらに、「本だの趣味だのどんなに好きなものに囲まれていても死んだら持ってはいけない」+「故人の愛着を知っているが故に、残された者は処分で悩む」ということも実感しましたので、身体も頭も元気なうちに、それなりに自分の仕舞い支度はしたいとか思う訳です。まだ思うだけですけど。
そういう生き方を寂しいって思われる方もおられるかもしれません。周囲の人に頼んどけばと言われたこともあります。でも、死んだ者の後始末というのは、残された者が近ければ近いほど、そして責任感が強ければ強いほど大変です。少なくも、私はそうでした。愛情こそ薄かったけれど、様々な遺品に対して、「これはこういうものだからこうしてほしいだろうな」みたいなことをいちいち考えてしまう訳です。まあ、写真を「エイヤッ」と処分した後は、結構ばっさばっさやりましたけど。「エイヤッ」までの葛藤はありました。それでも、すべて1人の裁量で仕切れた分、逆に楽な面も多かったかもしれません。

閑話休題。
もう少し若い頃は、何がしかの「生きた足跡」みたいなものを残したいなどと考えたこともありました。でも、自分も年を取り、親を送ってみると、死んだ人間のことなど、普通は2~3代も経てばこの世から忘れ去られてしまうものだよなあと思うようになりました。厭世的な気分になっているとかそういうことではないのです。「ヒトが生きて死ぬということはそういうことだよな」と実感したというか。せやけど、生きれるところまではみっともなくとも一生懸命生きとこか、というような気分です。

そういったことをつらつら考えた上で、ではこの先どんな風に生きたいかと言えば、

「誠実に愚直に真面目に丁寧に」

です。

考えてみれば、両親、特に父はそのような人だったと思います。要領は悪かったですが。あと、夫としては、多少難アリと思わないでもありませんけど。でも、背中を見てきたからでしょうか、私も同じように生きたいと思う今日この頃です。
2015.01.13 20:04 | 両親のこと | トラックバック(-) | コメント(2) |

鍵コメントくださった**さま、まいどです~。
こちらこそ今年もどうぞ宜しくお願い致します。
そうなんです、つい先日特養の話をさせて頂いたばかりのような気がしますが、もう3年経つんですよ。実家にはまだまだモノが残っていますが、最初の「・・・(どこから手を付ければいい?)」から考えれば、よくここまで来たな~、という感じです。ウチも祖母や伯母のモノがたくさん残ってましたよ。「いつか何かの役に立つかも」だったんでしょうねえ。物置から火鉢が出てきた時は、さすがに「まだあったんかい!」と思いました。
お互い、子供がなく親の老いを間近で最後まで看たということもあって、ついつい「自分はどうしよう・・・」と考えてしまいますよね。考えがそこに向かうのは、それはもう、仕方のないことなのかも。とはいえ、**さんもそうだと思いますが(お正月から初潜りされてましたよね、私には考えられないアクティブさで羨ましいです)、アレコレしたいと思うことはありますし、そういう意味での「前」も向いて、でも大切に丁寧に生きたいというのが何となくの今の気持ちです。
**さんも、どうぞお身体ご自愛ください。このご縁、大切にさせてください。

2015.01.14 19:36 URL | Sayo@屋根裏 #- [ 編集 ]

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2015.01.14 17:16  | # [ 編集 ]













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