屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

聴了。

したのは「The Hot Zone」より前ですが。
11月下旬に「『Fall of Giants』を聴き始めました」と書いているので、3ヵ月以上聴いていた計算になります。何たって全24CD。

はー、疲れたぜ。
・・・というのが、正直な一番の感想です。

聞流しだから完走できたと思いますが、文字版だったら、「大聖堂」のように、また挫折したんじゃないかという気がしております。
同じ作家の「針の眼」「レベッカへの鍵」「ハンマーオブエデン」などは、その昔、ドキドキしながら一気読みしており、決してFollettさんが苦手という訳ではないのですが。

「大聖堂」や「Fall of Giants」と「針の眼」などを比べてみると、前者は群像劇、後者はごく少数の主人公を中心に物語が展開するという構成が一番大きく違っているので、(Sayo的)挫折するか否かの分かれ目はそのあたりにあるのかなあと思います。

「Fall of Giants」の舞台は第一次世界大戦で、物語自体も非ドラマチックという訳ではないのですが、イギリス、ドイツ、フランス、ロシア、アメリカと舞台が目まぐるしく変わる上、主要登場人物があまりにも多すぎて、結局誰にもあまり感情移入できなかった感があります(一番感情移入できるとすれば、最初と最後に美味しいところを持って行った感のある炭坑夫Billy Williamsなのですが、彼の場面が特別多いわけではないので、「え、そんなにしっかりした子だったっけ?」という気持ちが最後まで拭えませんでした<ただ、これは、あくまでもストーリーを中心に追っている聴流しでの話ですので、邦訳を読むとまた違った感想を持つかもしれません)。

途中まで聴いたJeffrey ArcherのClifton Chronicles(「Only Time will Tell」など)もほぼ同じ時代を扱っていますが、受ける印象はまったく違います。あえてひと言ふた言で両者を表すなら、「Fall of Giants」は、世界の動きと登場人物たちの物語を交錯させた重厚な群像劇、Clifton Chroniclesは主人公(とその家族)中心の予定調和(たぶん)の肩肘張らない一代記ということになるでしょうか。どちらがよいとか悪いとかの問題ではなく、「どちらが好みか」の問題になるかなと。本好きの私の友人なら、「芸風が違うねん」のひと言で片付けたかもしれません。少し気楽にということならClifton Chroniclesということになるかと思います。「Fall of Giants」はラストでじわじわ感動がきますが、そこに至るまでにはかなりの気力体力を必要とします(注:あくまでそれらに欠けるSayoの場合)。その後、本作は、第二次世界大戦を背景とする子供世代が主人公の「Winter of the World」へと続きますが(そして、60~80年代を扱った「Edge of Eternity」で完結するらしい)、こちらは、さらに気力体力を必要としそうです。邦題も「凍てつく世界」だし。

第一次世界大戦はもちろんですが、ロシア革命をこれだけきちんと詳しく扱った小説を読んだのは、そういえば初めてかもしれない(というか、歴史の授業以外では、ほぼ「オルフェウスの窓」のみが情報取得源だったかも<「ベルサイユのばら」でフランス革命を学び、「あさきゆめみし」で源氏物語を整理した世代)。そういう意味で、とても興味深い小説でした。
ロシア革命は、主にロシア軍兵士で後にボリシェビキの有力メンバーとなっていく主要登場人物の一人Grigoriの目を通してロシア革命の様子が語られるのですが、皇帝による専制政治を覆したはずが、再び似たような国家体制が作られていく様に、「こんなはずでは」という思いを抱いたように思われるあたりで、「Fall of Giants」ロシア編は終わっています(ビミョーに理解が間違っていたらすいません)。

個人(個々の家族)の行く末もですが、次の戦争に向かって一般人から見た世界がどう変わっていくのかにも興味があり、そのうち、もう少し気力体力が復活すれば「Winter of the World」にも手を染めるかもしれません(CD枚数の割にお安いのでお得感はハンパないのだった<そこか<自分)。

蛇足ですが、登場人物については、Follettのウエブサイトのこちらのページに簡潔にまとめられています
(http://ken-follett.com/bibliography/fall_of_giants/characters.html)
2015.03.26 21:33 | 和書・洋書 | トラックバック(-) | コメント(0) |












管理者にだけ表示