屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

実家の片付け&雑草引き」という記事を書いてから、早や4年。
まだ、あります、実家。


固定資産税も馬鹿にならないっちゃならないですが、ワタクシ、旧姓の最後の人間でもありますので、自分の手でできるところまでは片付けたく、今日に至ります。
(車だと30分、公共交通機関を利用しても1時間弱の距離なので出来る技かと思いますが)

さすがに4年もちまちまやっていれば、だいたいのものは片付くもので、ついに、残りは、本だのお茶道具だの人形だの、それぞれ、然るべきところにお願いし、引取り/処分してもらわなければならないものばかり、というところまで辿り着きました。うう、長かった。こんな日が来ようとは(感涙)。
まあ、まだ「仏壇と位牌よしなに」を巡って菩提寺と腹の探り合いをしなければなりません(実は、これが、一番気が重かったりするのですが)。

今は主に風を通しつつ雑草引きに通う日々ですので、涼しくなったら、まずは父の書籍に手を付けようと思います。


片付けを通して、しみじみ思うことは、
「自分は、まだ判断能力があり、それなりの体力があるうちに身軽になろう(実感)」
これに尽きます。

が、これはきっとなかなか難しい。
今のところ、趣味といっても読書とフィギュアスケートくらいで、モノが増えるといっても書籍・雑誌程度なのですが、この先、どんな新たな趣味に手を染めないとも限りません。
そうやって、年取って手元に残した愛着のあるモノを「えいやっ」と処分するのって、たぶん、ホントに勇気いるよねー、と思います。
でも、残された者も、「故人が大事にしていた」ことがよく分っている品々の処分には、それなりの勇気(?)がいるのよねー。

ワタクシがHNを借りている伯母は、年取っても可愛らしいヒトでしたが、元々ちょっとぼーとしたところがあり、「自分亡き後、大量の書道関連の品々はどうなるのか」といったことは何も考えていなかったと思います。
地元では多少高名な先生について書道を学び、先生が個展をされる際には、他の生徒さんと一緒に、自分も作品を出品したりしていたのですが、落款押して額装したり巻物にしたりした様々な作品、今でもどうするのが一番よいのか悩んでいます。

様々に思慮深かった父も、書籍は最後まで処分できなかったようです。
リンク先の記事でも書いたように、認知症の徴候が現れ始めた頃、「本は全部図書館へ寄贈せよ」との指示はありましたが、図書館の返事は色よいものではありませんでした。だから、親父、リサーチ足りねえし。

こうやって悩みながら片付けていくのも喪の仕事のうちなのかなあと思うこともありますが(それにしては長い喪の仕事だぜ<自分)、それにしてはモノ持ち好すぎるし<実家。

「処分」の重さの感じ方は、たぶん人それぞれで、重ければ愛惜の念が強く、或いは軽ければその逆ということではないのだろうと思います。ワタクシの場合は、まあ責任感のようなものだし。
ただ、重くも軽くも、残された者には、処分する(特に捨てる)ことに対して、一抹の後ろめたさが残るような気がします。であれば、「こうしてほしい」と託すところまでではなく、「処分できるものは処分する」ところまで自分ですることが、老い支度なのではないかなあと考える夏の午後。あくまで、個人的に思うところです。
2015.07.30 15:22 | 両親のこと | トラックバック(-) | コメント(0) |












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