屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

ここ2、3年よく考えるようになりました。年取ったな-。

今、ワタクシが目指したいと努力しているのは、「筆者がその英文を通して伝えたいことを日本語に置き換えて伝える」翻訳です。
自分の中では、「筆者が言っていることをセンテンス、パラグラフ単位で等意の日本語に置き換える」より、もう少し踏み込んだ(はみ出した?)感じです。

ワタクシの扱う分野の翻訳では、だいたい、「伝えたいこと」は明確に書かれていますけど、文書の種類によっては、曖昧にされていたり(←「曖昧にしたい」というのが意図だったりする場合もあるので難しい<おおむね日本語でしたが)、筆者自身はよく分かっているために「伝えたいこと」に至る経路の一部が脳内完結していて、文章に表れていなかったり(凄腕の技術者さんに多かった<おおむね日本語でしたが)、そもそも伝えたいことがよく分かっていないヒトが書いていたり(<コワすぎるやろ~)することも、ないではありません。

「外部」を意識して書かれた文書には、意味なく書かれた言葉はないはずなので、基本は目の前にある英語の文章ですが、ときには、事実関係や機器の動作の仕組みなどをよく調べ、筆者が「伝えたいこと」を、正しくくみ取り、補って日本語にすることも必要ではないかと思います。「補足」は最小限にしたいですけど。あるいは、そうした方が筆者の意図に沿うと判断できたなら、あえて一部の語を訳出しない、ということも起こるかもしれません。もちろん、こうしたことは、文書の種類にも左右されますが。

ワタクシは、現在では日英翻訳はほとんどやりませんが、たまに英語で短い文章を書くことはあります。もともと、日英翻訳が得意だった訳ではないので、決して簡単ではないですけど、翻訳よりはずっとラクだと思っています。自分の言いたいことは分かっているわけで、上手く英語にできず別の表現を使う場合も、「ここをこう変えても、ワタクシの言いたいことは正しく伝わるよね」という判断は、そう難しくないわけですから。

でも、他人の意図を推し量るのは、難しい。ワタクシは、そうした作業はあまり得手ではなく(実生活では、深読みしすぎて疲れてしまうか、読めなさすぎてジツは迷惑をかけてしまうという、周りにいると厄介なタイプ)、何より、95%くらいのところで、「ま、えっか」と手を打ってしまう悪い癖があり(そして、大事なところは残り5%に潜んでいたりするのだ)、セミナーや講座で講師の方に訳文を見ていただくと、「そこは微妙なところなんですよね」ではなく、「なぜそこで間違う」的な箇所で穴に落ちて、筆者の真意を正しく伝え切れていなかったりするのです。

そして、「伝えたい」の先には読者がいるわけで、作成者の想定した読者(たとえば社内上層部)と実際の読者(たとえば審査機関)の間に微妙なズレがある場合など、自分はどちらにビミョーに傾いた中立を意識して訳出作業に臨めばよいのか、あるいはまったくの中立で臨むべきなのかといったようなことは、以前なら考えもしないことでした(もちろん、これも文書の性質に左右されると思いますが)。

そういう意味では、年々、「訳出に悩む」ことが増えているかもしれません(<単に年を取っただけという説もある<自分)。

「筆者がその英文を通して伝えたいことを日本語に置き換えて伝える」的なことは、言回しこそ違えど、翻訳の勉強を始めた頃にも、講師先生に言われ、その後、時々、生意気にも自分でも口にしていたような気がします。でも、思い返してみれば、当時は、その言葉を自分なりに咀嚼することはできていなかったなあと。今も途上ではありますが。

もちろん、毎日の仕事は、そうしたところで悩める、ある意味幸せな仕事ばかりではありません(生活もあるしね)。でも、どんな仕事も、真面目に丁寧にきちんとやっていれば、何かしらの結果はついてくると思います。それに、どんな職業でも、やりたい仕事だけをやっていられるなんてことは、たぶんないですよね。今の仕事は、「この案件はホント嫌だなあ」というものがないだけ、恵まれているのかもしれません。
自分の目指したい翻訳は「こういうものだ」ということが少し分かってきたので(OR と錯覚したので)、揺れても超えない一線も少し見えてきたような気がします。

そんなワタクシの目下の敵は、「5%の『ま、えっか』」と「冗長」なのでした。
人間、いくつになっても精進であります。
2016.04.29 20:10 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |












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