屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

成年後見VS相続

葬儀を終え、市役所での手続きが完了すると(年金事務所への届け出には、戸籍等必要書類があり、郵送請求しているので、も少し時間が掛かります)、次はいよいよ(?)相続の手続きです。

手続きを行うのは、3年半ほど前、未婚の伯母(父の姉)が亡くなった時に続いて2度目(その頃にはもう、書類上伯母の扶養者であり唯一の相続人であった父は、葬儀を仕切ったり相続の手続きを行ったりするのは無理な状態になっていました)なので、何となくではありますが、「こう進める」ということが分かっているつもりでした(と誤解していた)。

3年前は「3親等の壁」に阻まれ、さんざん苦労させられ(預貯金額の多寡に係らず、被相続人の姪にあたる私には、手続きを代行する権限はありません)、結果、父の成年後見申請をする羽目になってしまったのですが(相続税の絡む額ではなかったので、叔母名義のまま放置するという手もありましたが、律義な性格がそれを許さず、また、金の亡者のSayoとしては、たとえ蚤の涙であっても、介護費用の足しにしたかったというのが本音であります)、今回は、私自身も相続人。相続手続きを進めるについて、誰にも文句は言わせへんでと思っていたのですが。

今回は「成年後見人兼相続人の壁」が、私の行く手に立ちはだかったのでありました。

父の財産に少なからぬ増減がある場合は、必ず家庭裁判所に(増減が発生する前に)お伺いを立てなければならないのですが(緊急の場合は事後報告も可能)、今回、裁判所に法定相続の手続きを開始したい旨を連絡したところ、その前に「特別代理人選任申立」を行わなければならないことが分かりました。今回の相続においては、父の利益を守るべき成年後見人が、その同じ利益を侵害し得る可能性のある相続人でもあるからです(侵害なんかしませんがな)。すべては、その申立に許可の審判が下りてからということになります。

ということで、これから、旦那を特別代理人とする選任申立を行います。旦那とSayoは相続財産について利害が一致するので「それアリかい(楽なんで嬉しいけど)?」と思いましたが、「父の取り分が法定の2分の1以上になる」ような財産分割を行えば、父の権利が侵害されないということで、旦那が代理人に立ってもよいみたいです。「そんなに面倒臭いんなら、全部お父ちゃんにあげるやん」とも考えたのですが(今回も蟻さんの涙くらいですからね)、その場合でも申立を行わなければならないようですので、私も有事に備えて多少は貰っておこうと思い直しました。
審判が下りるまで1カ月弱かかるようです。何か落ち着かんので、はよしてや。
ということで、現在、遺産分割協議書案を鋭意作成中です。


胃瘻を振り返る

母は昨年1月に入院したのですが、その時点では、つかまり立ちや一部介助による車椅子への移乗ができていました。また、自分で食事を摂ることもできました。普通に意思の疎通も可能でした(まあ自分の言いたいことは言い、こちらの言うことは聞かないという感じでしたが)。

けれど、すぐに食事の時に暴れたり、(食事以外の時にも)大声で叫んだりするようになり、結果、すでにかなりすり減っていたらしい母の顎関節は、少し大きく口を開いただけで容易に外れるようになってしまったのでした。
そうなると満足に食事を摂ることができませんから、栄養摂取を点滴のみに頼るようになり、日に日に弱っていきました(点滴だけでは食事と同等の栄養を確保することはできません)。ちょうど同じ時期にノロウイルスに感染したことが、母の衰弱に拍車を掛けました。
そのようなわけで、母は、ひと月半ほどの間に、本当に「坂道を転げ落ちる」ように状態が悪化してしまったのです。意識レベルは、いつもうとうとしている、という感じでした。

主治医から胃瘻について打診されたのは(昨年)4月の半ば過ぎでした。
当時、私は、介護の先輩方のブログや相談掲示板などで、胃瘻が考慮対象となる本人状態、手術の内容(30分程度の簡単なものです)、胃瘻増設後の栄養摂取(同時に経口栄養摂取も可能です)などについてある程度の知識を得ていましたので、「母は胃瘻が必要な状態である」ということは、すんなり認めることができました。

けれど、「食べる」ということは「生きる楽しみのひとつ」です(少なくとも私はそう思っています)。入れても入れても顎関節の外れてしまう母は、恐らく、もう一度「食べる楽しみ」を味わうことはないでしょう。そのような状態で生き続けることは、母にとって望ましいことなんだろうか?
父も母も、元気な頃は「延命措置はしないでほしい」と言っていましたが、2人の言う「延命措置」には、たぶん胃瘻は含まれていなかったと思います。

とはいえ、その1週間ほど後に決断を迫られた時には、殆ど躊躇はありませんでした。「胃瘻をしない」ということは、緩やかな衰弱死を容認するということです。まだ意識があるようなないような状態の母に、その宣告をする心の準備はできていませんでした。その責任を負うのが怖かったのです。主治医から「迷うならやった方がいい」と言われたとか、万一にも状態が改善する可能性もあるからとか、様々に言い訳を並べることもできますが、この「生死に関わる重い決断は先延ばしにしたい」というのが、たぶん一番大きな理由だったと思います。

そして、5月の連休明けに胃瘻造設手術を行いました。
その後、それまでまるで生ける骸骨のようだった母は、多少ふっくらし、顔の色艶もよくなりました(旦那はそれを「普通の病人っぽくなった」と表現していました)。けれど、顎関節は、整形外科の先生のご判断で常時外した状態となり(それが本人にとって一番痛みが少ない状態だそうです)、多少意識がはっきりしている時もあったようですが、だいたいにおいて意識レベルに変化はない状態で、母は1年を過ごしました。

その1年が母にとって苦しいだけの1年だったのではないかという思いが消えることは、一生ないと思います。

この1年母のアレコレを見てきた今となってみれば、私は「胃瘻はすべきではなかった」と思っています。けれど、1年前と同じ状態に立たされれば(つまりその後の1年を見通すことができない状態では)、必ず胃瘻を選択するでしょう。

胃瘻の選択は、本当に難しい。
諸先輩方のブログを読んでいても、「胃瘻も選択肢のひとつに」と最初の打診があってから、「胃瘻どうしますか? するならすぐにでも」と決断を迫られるまでの時間は、そう長くありません(1週間弱の期間を長いと取るか短いと取るか、にもよりますが)。そういう切羽詰った状態になっているという現状もあるのでしょうが、家族としては、できればもう少し早い時期から、将来の一選択肢として示して頂けたらと思うものです。

以上、胃瘻造設振り返りでした。

来週から、またいつもの記事に戻ります(とりあえず音読ですかね)。


SayoのBackgroundについては「はじめに」カテゴリの記事をご参照ください。
2011.04.14 22:34 | 両親のこと | トラックバック(-) | コメント(0) |












管理者にだけ表示