屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

ワタクシ、どうも「諦め」という言葉が好きらしく(笑)。

決してNegativeな意味ではありません。
本当にほしいものとそうでもないものを取捨選択し、本当にほしいもの大事にして丁寧に生きていきたい、みたいな文脈でよく使っています。

試みに「諦める」で自分のブログを検索してみましたら・・・・・・結構出る。おかしい、ここは基本「読書感想文&翻訳ブログ」のハズやのに。

4年前に書いた「50歳からの人生」と、その1年後に書いた「新聞から-その4」が、今でも自分の基本的な姿勢に近いかな~、と思いましたので、それぞれリンクを貼っておきました。

後者では、その頃、どちらかというと「親送り仲間」としての絆の方が強かったAさんと、コメント欄で「優先順位の高い事項まで諦めざるをえない現実に直面したとき、人間の真価が問われるのかもしれない」というやり取りをしています(ふ、深い話しててんな・・・)。

それから3年。自分の中で変わったことはあったかなー、と思い返してみました。

「本当に失いたくないものにはしがみつくで」「それ以外のものは諦めてもええで」「好きなことができる毎日がGiftやで」な基本姿勢は変わっていないような気がします。
ただ、「自分は本当は弱いな」と思ったことと「こうありたい」と思ったことがひとつずつありました(ひとつずつかよ<自分)。

「自分は本当は弱いな」の方は、ある病気が発見されたときに明らかになりました。ごく早期でしたので全摘で経過観察のみの今日この頃ですが(先日6ヵ月検診をクリアしました)、「早期」と前置きして病名を告げられたとき、恥ずかしながらその場で軽く貧血を起こしてしまったのでした。

というわけで、あれこれエラそーなことを言っても、自分には実際に死と向き合う準備はできていないし、どんなに心準備ができていると思っていても、実際に直面してみないと、自分の心はどう動くか分からないのだと思い知らされたのです。
「そのとき」(そして「優先順位の高い事項まで諦めざるを得ない現実に直面したとき」)始めて、「その先に見える風景をどう見るか」という意味で、私の人間としての真価が問われるのかもしれません。

「こうありたい」の方は、表題にも挙げた「恩送り」です。
「恩送り」という言葉は、今回少し調べものをしていて始めて知りました。
私が思い浮かべていたのは「Pay It Forward」という映画の方でした。この「Pay it forward」という考え方が好きだな-、と思って、この言葉が字幕でどう訳されていたのか確認しようと[(親切を)先送りする、とされているようです]調べる過程で、同様の意味で使われている「恩送り」という言葉を知りました。ナルホド-、「恩返し」じゃなくて「恩送り」なんだ-。
若い頃は、様々なことに対して「誰の助けも借りず、自分の力と努力で掴み取ったぜ」!」的な思い上がりもありましたが、今では、決断こそ自分でしたかもしれないけれど、周りの有形無形の助けや支えがあってここまで来れたのだとしみじみ思うようになりました。そうして支えてくださった方々の多くは、疎遠になったり亡くなられたりしています。なので、感謝の気持ちを何らかの形で先送りできたらいいかなー、と思い始めた今日この頃なのでした。


ワタクシがこういうことを考えるときって、凄く分かりやすくて、だいたい、誰かの訃報に接したときなんですよね。
今日は、実家のお寺のご住職の訃報が届きました(少し前に亡くなっておられたようです)。
こ、こういう場合のお香典はどうしたらええんやろ、と超世俗的に悩んでおります。
2016.07.28 22:54 | 分類不能 | トラックバック(-) | コメント(0) |












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