屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

私は、性格がそうなのか育った環境が影響したのか(たぶん両方なのでしょう<+αもあるかも)、若い頃から、人生に「もっと」を求めず、あまり他人や隣の芝生を羨ましいと思うこともなく、与えられた状況を「ま、こんなものかな」と受け入れてきたように思います(「あれ欲しい、これ買って」がないので、家ウチでは「つまらないが安上がりなオンナ」と呼ばれています)。

ただ、翻訳だけは、いつまでも今の自分に満足せず、貪欲に「もっと」を求めたい。
今の状態、今の自分、今の自分の書く日本語に満足してしまうと、今の自分のレベルが維持されるのではなく、レベルの低下が始まるような気がするのです(あくまで自分の場合ですが)。だから、最低今のレベルを維持したければ、「もう少し」「もっと」を求め続けるしかない(それをどのようにやるかは、人によって少しずつ違うと思いますが)。それが、苦しいばかりではないのは、やはり翻訳が好きだからなのかなと思います。翻訳の仕事を辞めるときまで、満足しない自分でいられたら本望かな。


(蛇足)
どこまでも「もっと」を求めていては、究極的にはどんな訳文も提出できない、という話になってしまうような気もするのですが、日々の仕事ではそういうわけにもいきません。
日々の仕事の「これなら提出できる」というMy基準は「解釈に迷う箇所、意味がよく分からない箇所のすべてを(たとえそれが解釈間違いであったとしても)自分が納得できる解釈に基づいて翻訳し(2つ以上の解釈が可能な場合は、可能な限り調べた上でその1つを採用し)、求められれば、そのように翻訳した理由を説明できる(そういう箇所にはたいていコメントを付けますが)」という状態になっていること、です(注:自分の日々のやり方で、訳漏れ、数字や英語の転記ミス、誤字/脱字/誤記のチェック等は済ませたという前提です)。一度そこを「分からんけどええか」としてしまうと、心の弱い自分は、次も「ま、えっか」にしてしまうような気がするので、しんどくはありますが、そこは自分の中で譲りたくない部分です(今回、つい、悪魔の囁きに負けそうになってしまったので、自戒を込めて書いておきます<悪魔強いわ~)。
2016.10.14 00:08 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |












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