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2017. 01. 24  
今日の朝日新聞の「パブリックエディターから」は校閲に関する記事(「紙面の質守るキーパー 役割・重み増す校閲記者」)でした。
その記事を読みながら思考があらぬ方(?)にdriftしてしまった(いつものことです)結果が今日の記事なので、新聞記事に興味が湧いた方はウェブで記事を読んで頂ければと(要登録ですが)。
http://www.asahi.com/articles/DA3S12761841.html

記事を読んでしみじみ思ったのは、校閲は「きちんとできてあたりまえ」な職業ということ。
訂正記事が出れば「校閲は何をしていた」という話になり、訂正がなく直前に間違いを拾うことができても、それはきちんと仕事をしただけのことで、たぶん誰もほめてくれない。そのための努力は新聞の最終読者には関係がなくて、結果がすべて。

でも。
考えてみれば、それは、他の多くの職業にも当てはまることではないでしょうか。

鉄道やバスは「毎日遅れずに運行してあたりまえ」。郵便や荷物は「予定どおり届いてあたりまえ」。さまざまな製品も「きちんと動作してあたりまえ」。
きちんと仕事をした結果をほめてもらえる仕事は実はあまり多くはないのかもしれません。だからこそ、誰でもたまさかの「きちんと見ていますよ、ありがとう」的なほめ言葉が嬉しいのかも。

というわけで。
ここまで考えれば、翻訳にこじつけたくなるのは、これはもう「屋根裏」の哀しいサガです。

「文意をきちんと移植した、きちんとした日本語(英語)の訳文を納期までに提出できてあたりまえ」。原文がおかしくても(あまりおかしい場合はやんわりコメントしますが)、調べものがどんなに大変でも、睡眠時間をどんなに削っても(注:そういう状態が生じるのは、だいたいにおいて自己管理が甘かった結果です<屋根裏の場合)、そうした困難や努力は関係なくて、結果がすべて。

まあ、仕事というものは、そういうものかなと思います。
なので、ごくごくたまにではありますが、「きちんと見ていますよ(クライアントさんが同じ訳者さんでと仰っていますとか)」と言っていただくと、もうその瞬間第七天国だったり(単純なヤツです<それが作戦なのか)。

ただ。
さまざまな意味で疲弊すると、この「あたりまえ」が「仕方がない」にすり替わる瞬間があるような気がします。
例えば、「これだけ納期キツいんだから、多少きちんとしていなくても仕方がないよね」的な悪魔の囁きが聞こえるときが。
でも「仕方がない」は、提供される側が口にすることはあっても、提供する側はゼッタイ口にしてはいけない言葉ではないかと思います。その瞬間に、仕事への誇りが失われるような気がするから(<それを「埃」変換するウチのATOKどうよ)
「仕方がない」と呟きそうになったら、その原因を考え、どうすれば具体的に改善できるのかを、今年はこれまで以上に考えていきたいとしみじみ思ったのでした。


...て、どこまでDriftするねん、て話ですが(しかもかなり強引に)
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プロフィール

Sayo

Author:Sayo
医療機器の和訳も9年目。
老眼腰痛、最近は膝痛とも闘いつつ
翻訳人生をまっとうしようと奮闘中。
この頃になってやっと翻訳の奥深さ・
難しさ・楽しさが分かってきたような。
記事は「翻訳一般」多め、ときどき読書感想文、本業(医療機器)やや少な目。
(2019年4月現在)

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