屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

「原文の意図するところを日本語で過不足なく伝え、同時に、対象とする読者が労せず内容を正しく理解できる文章になっている」
そんな訳文を目指したいと考えるようになって1年と少し。
その間のブログ記事を読み返してみると、何度もそのことに触れています。
よっぽど書くことないんかい<自分。

そうではなく、たぶん軸がブレそうになり、そんな自分に気づいて書くことで基本に立ち返ろうとしたんだと思います。
なので、また今日も書かねばならないSayoであった。
てことで、皆さんはいつもの「テキトーにスルー」でお願い致します。

年度末が近いせいでしょうか、仕事もそれ以外の部分も忙しい今日この頃(仕事が忙しいのはありがたいことです)。
でも、時間に追われて生活していると、つい「考える」ことが後回しになってしまう。

落ち着いて考えてみると、最近は、読者の読みやすさ、理解しやすさを過度に優先し、少し原文をないがしろにし過ぎていたような気がします。ワタクシには、1つのことに集中しすぎると、そんな風に目の前のことだけに意識が行きがちなのです。だから、時々立ち止まって考えないと、簡単に基本から外れてしまいます。原文作成者が伝えたい何かがあっての原文で、それを踏まえた上の想定読者に寄り添う訳文でなければならないはず。実際のさじ加減は微妙な部分も多いですが、キモ(まず原文ありき)を失念してしてしまっては、無意識に勝手訳との境を踏み越えてしまう恐れもあるわけで。

具体的には、「2文を1文に統合する、1文を2文に分ける」ことに対する意識が甘かったなと。全体の流れや読みやすさを重視してしまい、「なぜ統合する(分ける)必要があるのか」の自問自答が足りなかったかなと反省しています。「キモないがしろ」の弊害の1つでもあるかもしれません。今後、注意したい点です。
それから、まず「この原文作成者はどんな意図でこの文書を作成したのか」を考えてから訳出作業に入ること。忙しさに紛れて機械作業的に翻訳に入り、入ってからは日本語ばかりに意識が行きがちで、原文の存在を多少軽んじてしまった感があります。でも、それでは、一見それなりの出来の訳文が作成できても、どこかに「行き過ぎ」が潜んだ訳になっている可能性があるのですよね。気をつけねば。

そんな風に「基本に還る」ためには、まず、知らない間に(あるいは忙しさに紛れて)積もってしまったホコリを払い「基本は何だっけ」を再確認しないといけないのですが、ホコリを払うために行くようにしているところがあります(<あくまで自分の場合ですが)。

「翻訳事典」(2017版)「わたしの提言」のI口さんの提言(の特に前半部分)。
「誠実な裏切り者-岩坂彰の部屋」の「翻訳者が伝えるべきもの」「翻訳の新たな規範とは」「誠実な裏切り者」あたり。

お2人の考えをそっくり自分のものとするということではないですが、どちらも大先輩にあたる方ですから随所に考えさせられる言葉があり、自分の大切にしたいところを再確認する契機になります。
2017.02.13 15:09 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |












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