屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

先日(もうひと月近く前ですが)、
出身高校の学年全体の同窓会が開かれまして。

卒業後、30年ぶりの同窓会です。

前年の正月休みに、1年上の先輩方が、やはり30周年同窓会を開かれ、その2次会だか3次会だか4次会だかで、かなり酔っ払った(と思われる)とある部出身の方が、親交のある後輩(つまり私の同輩ですね)に「来年はお前らやれよ」と電話を掛けてきたのが、全ての始まりだったとか。
で、私たちの代も、誰かが後輩に「来年はお前らやれよ」と(素面の状態で)連絡をつけたそうです。そして、Sayoの出身高校では、代々「30周年同窓会」が受け継がれていくのであった(のはず)。

卒業して30年、皆全国各地に散らばっておりますし、震災のあとでしたので、直前になって出席→欠席に変更された方も少なからずおられたようでしたが、それでも、半数以上が出席されたとのこと。よく考えてみれば、それってスゴいことかも。

30周年というのは、そういう節目の年なのかもしれません。
子育ても一段落、(たいていは)介護にはまだ早い、自分のことに目を向ける余裕もできた、ふと気づけば50目前、人生の終わりもそろそろ視野に入ってくる、そこに向かって、これからどんな風に生きて行こうか・・・なーんて考えている時に、高校の同窓会(しかも学年全体だよ!)の開催通知を受け取ったりしたら、これはもう、万難を排して出席するしかないではありませんか。
とまでは言いませんが、30年は、やはり同窓生たちがどんな風に過ごしているか、その消息を知りたくなるに十分な年月ではあります。

でもって、私の場合、会場までチャリで5分でしたから。排すべき万難をはありません。
ただ、それは、高校時代を楽しく過ごすことができたからだとも思うのです。今でもお付き合いのあるお友達は、「どうしても会いたくない人がおるねん」と、最後の瞬間まで出欠を迷っていました。結局出席し、それなりに楽しく過ごせたようですが。
私も、中学時代は、嫌なというほどではありませんが、あまり楽しい思い出がないので、同窓会開催通知が来たら、出席は・・・ビミョーです。

というわけで。
同窓会、盛会でございました。

最初は、私を認識し話しかけてくれる相手が誰だか分からなかったらどうしよう~、などと思っていたのですが、全然そんなことはなく。皆、ひと目で誰か分かり当時のあだ名が出てくる(本名が思い出せない率は結構高かったですが、私くらいの年齢になると、それはある程度仕方のないことですから<言訳)。
ちょっと意外だったのは、女性の方が変わっていなかったこと。でも、大方の女性が白髪染めをなさっていることを考慮すれば(自分もそうなんですが)、それも(それなりの距離では<ま、重力には逆らえない部分も多うございますのでね)当然のことなのかもしれません。

当時は殆ど話すこともなかった男のコ(いや、今は立派なおっさんなんですが)とも話がはずむ。30年ですからね、どんな相手とも「今何しよるん?」「どうしててん」「子供いくつ?」等々、5分10分はあっという間です。

月並みな表現ですが、30年前にタイムスリップしたような、あっという間の3時間でした。
で、チャリチャリと自転車を漕ぐ間に、現実に戻っていくわけです。


皆、楽しい話しかしませんでしたが(同窓会なのでね、それでいいんです)、30年の間には辛いことも苦しいこともたくさんあったと思うのです。それでも、皆さん、こうして笑顔でおられるわけなんで、私も頑張らなあかんな~と思いました。
皆さんと話をしながら、まだまだ何にでも挑戦できる年齢ではありますが、やりたいこと・しなければいけないことの優先順位をつけ、「これだけは絶対にやっておきたい」ことからやり始めなければならない年齢に差し掛かっているのかなあなどと、しみじみ思ったりもしたのでした。

次会全体同窓会は、創立100周年に合わせて12年後、つまり、私たちが還暦を迎える年だそうです。と、遠すぎまっせ。


なぜに今頃同窓会の記事かと申しますと。
先日、写真係の方から、写真を収めたDVDが届いたからです。
懐かしく拝見しましたが、一番笑えたのは、校歌の印刷された紙を手に、皆さんが校歌を斉唱している数枚の写真でした。その紙と目の間の距離が「あなたも私も老眼♪」をはっきりと物語っていて。やっぱ、卒業後「30年」ですわ(しみじみ)。


幹事さん、世話人さん、いろいろありがとうございました。


SayoのBackgroundについては「はじめに」カテゴリの記事をご参照ください。
2011.04.29 12:19 | 分類不能 | トラックバック(-) | コメント(0) |












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