屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

このお話を書いた頃、私は、スティーブン・キングの「From a Buick 8」を聴いていました。ホラー風味の再生と成長の物語です。
読まれた方はご存じだと思いますが、この小説は、数名の登場人物が、自分の視点から目撃談を語る形になっています。Audio Bookでは、男女数名の朗読者が担当章を朗読する、という体裁を取っていて、ラジオドラマを聴いているような不思議な味わいがありました。
話者の視点が過去と現在を行ったり来たりするため、各章のタイトルが「NOW: XXXX(話者名)」「THEN: YYYY(別の話者名)」のようになっていて、次は同じやり方でお話を書いてみたいなあと思っていました。所詮二次小説なんで。項目タイトル記載方法のパクリくらいは、ま、えっかなと。

再掲するにあたり、原形を留めないくらい書き直しました(さわりの部分だけですけど)。
言葉遣いももちろんですが、どう考えても時系列的に「それはないだろ」みたいなことを書いていたりして。おそらく、「その方がなんかいい感じ」という理由で、深く考えずに言葉を繋いでいたのでしょう。
何となく、先日のシンポジウムの「機械的な翻訳と自分に都合がよく気持ちのよい勝手訳の中間に『よい翻訳』があり」の部分を思い出してしまいました。「自分に都合がよく気持ちのよい」の部分。でも、「気持ちがよい」だけだと「ホラ、ホラ、いいでしょ、この表現」という自己陶酔というか自己満足に陥ってしまうのだなあと、10年の歳月を経てしみじみと思うのでした。とはいえ、「きちんと正しく」だけだと無味乾燥な文章になってしまったりということもあり、「伝えたい」気持ちだけが先行しないように注意しながら文章を書くのは、翻訳に限らず、どんな文章でも本当に難しいと改めて思いました。

このお話は、10年以上前に、2040年くらいの近未来を想定して書いたものです。
当時はまだスマホは登場しておらず、ビデオ通話も(すでにある程度市民権を得ていたのかもしれませんが少なくとも私の周りでは)一般的ではなく、私は、移動手段の高速化が進むだろう、とありきたりの予想をしていますが、10年時点では大きく外していますね(2030年頃にはリニアモーターカーが開通している予定のようですが...)。結局、「今」の延長でしかものを考えられない人間ということなのだった。トホホ。2040年、どんな世界がくるのだろう。


***


NOW アメリカのどこか  デイビッド

 もう何時間歩いたろう。
 出発したときはまだ薄暗かったのが、日はもう中天にかかろうとしている。
 行く手を阻む崖に取りついてから、まる2日が経とうとしていた。


 以前偵察のためにこの地を訪れたとき、たまたま知り合った地元のガイドに、その山に登ろうと考えていることを冗談めかして話したところ、やんわりと、しかしはっきりと反対された。「でかいけものがよく出ますんでね。地元の人間は誰も近づきませんよ。自殺行為ですからね。旅行で来られた方が腕試しするような場所じゃありません」と、執ように少し東の別の山を勧められた。だが、私は彼が反対した本当の理由を知っていた。その山は人を喰うのだ。生命の欠片すら見当たらないその赤い岩山の向こうに何があるのか知る者はいない、はずだ。
 桃源郷があるという者もいたし、悪魔が住むという者もいた。いにしえの黄金を隠した洞穴があり、今は魂だけになった持ち主が番をしていて、近づこうとする者を取って喰うのだと、まことしやかに囁く者さえいた。
 そういう噂に惹かれ、私のように山越えに挑んだ者は十指を下らなかったが、その半分は行き倒れたのかそれとも魔物に喰われたのか二度と戻ってこなかった。残る半分は、何日も、時には何週間も経ってから岩山の麓で発見されたが、みな等しく入山してからの記憶を失っていた。
 ハイテク機材を装備した自家用ヘリを飛ばし、空から探索を試みたトレジャー・ハンターもいたが、戻ってきたヘリの乗組員たちも、同様に出発してからの記憶を一切失っていたという。
 不思議な出来事はしばらく前に止んでいたが、伝説や噂話の類いは残り、最近では岩山に近づこうとする者すらいないらしい。
 そうしたことを、私はすべて調べ上げていた。わたしの本業はジャーナリストだ。調べものはお手のものである。そして、私には、どうしてもすべての情報を得ておかなければならない理由があった。あらゆる準備を整えてその山に臨むために。


 真下に立って見上げると、赤い岩山自体はそう高いものではなかった。魔物伝説を身にまとい、来る者を拒むがごとく屹立しているので、「そびえ立つ」という表現が使われるようになったのであろう。いずれにせよ、父の話から、最初に岩登りをしなければならないことを予想してロック・クライミングの訓練を積んできた私には、その頂上に立つのはさして困難なことではなかった。

 頂上から見ると、絶壁の反対側はなだらかな下り斜面になっていて、中ほどから再びゆるやかな上りになり、そのまま尾根に続いている。そのあたりから、赤茶けた岩肌は緑に変わる。うねうねと続く尾根には霞がかかり、あまり先まで見通すことはできなかった。

 その日の晩は下り斜面の広い岩棚に簡易テントを張ってビバークし、翌日は尾根伝いに歩けるところまで歩いて、手頃な木の枝の上で一夜を明かした。その頃には、たけ高い草に行く手を阻まれ、時に藪こぎを余儀なくされるようになっていた。だが、これは悪い徴候ではない。父から「藪こぎに難儀した」という話を聞いていたからだ。

 3日目の朝、日が昇る前に再び出発して数時間、視界を覆っていた草木が少しまばらになり始めた。間違いない、この方向だ。もうすぐ会える。遥か昔、父が出会ったというその人たちに。


ONE YEAR AGO 東海岸  デイビッド

 父とはもう長いこと疎遠になっていた。大学2年の年に、ロボット工学を専攻させようとして譲らない父に反発し、ジャーナリズムをやるのだと宣言して勘当同然に家を出て以来だから、もう10年近く顔も見ていないことになる。

 その間に、働きながら、何とかそこそこ名の知れたジャーナリズム学科を卒業し、そこそこ大きな町の地方新聞社に職を得た。たいがいは記者として飛び回っていたが、最近では、主筆が休暇を取った折りなど、時折り論説文を任せられることもある。だが、もちろん、そんなちんけな新聞社で一生を終わるつもりはなかった。ジャーナリストの卵の例に漏れず、私も、いつの日か自分の名前で本を出版するという夢を暖めていたのである。


 勘当以来、家に足を踏み入れたことはなかったが、母とは時折り連絡を取り合っていた。
 父が、末期の癌であることも母からのメールで知った。ステージIVの癌が死病と呼ばれなくなって久しいが、それでも発見が遅れれば手の施しようがない場合もないではない。父がそんなケースだった。
 母は、メールで、父が死ぬ前に何とか和解してほしいと切々と訴えてきたが、家に帰るつもりは毛頭なかった。父は大変厳格だった上に、私を自分の思いどおりに育て上げようとしていることが感じられたから、勘当以前も親子の仲は悪く、「勝手に死ねばいい」くらいにしか思わなかった。---白状すれば、胸の奥の方にちくりと痛みを感じたのだが、私はそれを二日酔いのせいにして何とか意識の底に押し込めた。

 それから2週間ほどして、母が今度は、父が私に会いたがっていると言ってよこした。死ぬ前にどうしても話しておきたいことがあると言っている、というのだ。来てくれるなら、昔の自分の言動を土下座して詫びてもいいとまで言ったそうだ。
 あの父が土下座だと? たとえ太陽が西から上ってもそんな日は来るまいと思っていた。いったい何事だ。ジャーナリストの血が騒ぐ。
 私はその足でエクスプレス・フライトのチケットを買いに走った。東海岸から西海岸に1時間ちょっとで飛べるという謳い文句の、目の玉が飛び出るような値段のフライトだ。カードで支払いを済ませながら、自分から頭を下げるわけじゃない、父の方から折れてきたのだ。決して少しでも早く父に会いたくて高価なチケットを購入するわけじゃないと自分自身に言い聞かせる。だが、それが言い訳に過ぎないことは、自分が一番よく承知していた。

(後略)

「かくれ里伝説」(初稿2006年頃)
2017.06.20 13:28 | 好きなもの・こと | トラックバック(-) | コメント(0) |












管理者にだけ表示