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屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

というのは、週末に、全日本大学駅伝(伊勢路)を制した神奈川大の大後監督の言葉。

箱根駅伝の予選会で失敗したあと、スタッフを増やし、練習量を減らして技術を高めることに重点を置いたという記述があったあとに、(これまでの自分のやり方を否定するのは怖かったが)という断りがあって、この言葉が続きます(朝日新聞11月6日「ひと」欄)。

その「走りの技術が伴わないのにいくら走っても意味がない」は、翻訳の仕事を始めた頃の自分だったなあ、としみじみしてしまったSayoなのでした(年を取ると、昔を思い出すことが多くなるのよねー)。
そして、書いてみたらば、あんまりタイトルと関係ない話になってしまったのでした。てか単に昔語り。
なので、今日もひとつ、「お好みでスルー」で宜しくお願い致します。


これまでも何度か書いているとおり、私は、派遣翻訳者として翻訳人生を踏み出しています。田舎の工場なので雇っていただけたものの、都会でしたら、「和訳の学習経験はあるが、英訳はほとんどしたことがありません、てか、英作文に毛が生えた程度です」な私を雇ってくれる会社なぞ、まずなかったことでしょう。いくつかの偶然が重なった、本当にラッキーな船出だったと思います。

そこは、品質保証部門の海外市場を担当する部署で、毎日どこかしらの海外販社から入ってくる大小の不具合情報の内容を分析し、必要部門に解決策を求め、情報提供元の販社に回答を提示しなければなりませんでした。いつも時間との勝負でした。私も、何度「忘れてるわけちゃうねんけどもちっと待ってな(We will inform you of the solution as soon as we find it. Please be patient)」という文章を書いたことでしょう。
「意味が分かればいいから」と、正確さより速さが優先され(専門的な説明を含む報告書の類いは、だいたい開発部門の専任翻訳者が英訳を作成していました)、10行ほどの英訳ができあがるのを、担当者が横に立って待っているなんてことはザラでした。とにかく、出社してから退社するまでひたすら翻訳しまくる日々でした。

陸上に当てはめてみれば、「とにかく量をこなす」練習をしていたことになるのかなと思います。そして、英訳のお手本となる販社からのFAXは(世はFAX全盛時代です)、米国販社も含め、決してきちんとした英語とはいえませんでした。自分のことを棚に上げるワケではありませんが、それらを手本としていた私の英語も相当ひどいものだったと思います。その後、在宅に移っても、継続して英訳の仕事は頂けませんでしたから。
当時の自分は「技術がないまま(悪い手本を見ながら)ただ走っている」状態だったと思うのです。もちろん、「量をこなす」ことに意味はあったと思います。在宅翻訳者になってからも、「納期と翻訳量(の多さ)に驚く」ということは、まずありませんでしたから。
でも、きちんとした手本(きちんとした文章)を頼りとし、ときに立ち止まって「これを自分の中にどう取り込めばよいのか」を考えながらの「量をこなす」でなければ、先にはいけないのですよね。
あのまま、在宅翻訳を続けていたら、たぶん、私は今ここにいないと思います。


幸いに、というべきか、旦那の米国転勤帯同で、完全に仕事を離れ、勉強として英語を書きまくる機会に恵まれました(現地のCommunity Collegeに通った<Residentは破格の授業料で、1科目から受講できるというありがたいシステムです)。教科書がテキストですから、きちんとした表現で書かれています。英語の授業では、英語を専門とする先生方にがんがん添削していただきました。

その期間があったからこそ、帰国してから、自信をもって英訳に臨むことができたと思います。
ただ、その頃の私は、「とにかくネイティブらしい英語を書く」ことに腐心していて、「書き手」や「読み手」のこと(書き手が何をどう伝えたく、どうすれば一番よく読み手に伝わるか)が頭から抜け落ちていたように思います。たぶん、「一読してネイティブっぽいが、いまいちすっきり伝わってこない」英文を書いていたのではないかと。走りの技術でいえば、「こんな風に手を振りこんな風に走りと連動させる」コツは何となくつかめてきたけれど、「そうすれば、なぜ楽に走れるのか」までには意識が向かなかった、みたいな感じでしょうか。この状態も、あるところまで行って頭打ちになっていたと思います。


幸いに、というべきか(いや、ちょっと違うのだが...)、今度は、両親の介護で、かなり仕事から離れることになりました。すべてが一段落したとき、私は50の手前で、「これからは、どうせなら、やりたい医療翻訳の分野で、好きな和訳だけやっていこう」と思うようになりました。
そして、6年かけて、「そうすれば、なぜ楽に走れるのかも考え理解することが、最終的によい走りにつながる」んじゃないかと考えるところまでこれたかな、という気がします。「よい走り」はまだまだ先にあるんですけど。今後は、「たちどまって考える、ときに修正する」ことを忘れず、少しでもよい走りを目指していければと思っています。

私が20年かけて辿り着いたこの地点に、短時間で辿り着いてしまう方は、もちろんたくさんおられると思うのですが、時間が掛かってもとりあえずここまで来れたので、鈍足の自分としては、まあ上出来かなと思っています。この先、「よい走り」を求めながら、結局そこには最後まで到達できないんだろうなという気がしますが、考えてみれば、「これがよい走りだ」と思ってしまうとそれより先にはいけないわけで、この「求めて到達できない」感、それはそれでいいのかなと。

...そして、今日もだらだらと仕事をしてしまったのだった<まずそこから直せよ<自分。
2017.11.10 00:18 | 伝える | トラックバック(-) | コメント(5) |

Sayoさん、ありがとうございます!
メールさせていただきますね~。(*^-^*)

2017.11.20 09:49 URL | めぐり #- [ 編集 ]

めぐりさん、まいどです~。
めぐりさんのお写真やめぐりさんがリツイートされるお写真は、「被写体が好き」という気持ちや被写体への心遣いが溢れていて、ときにユーモラスで私は好きですよ。
一瞬を切り取る才能、自分にはないので憧れます。
言葉に対するアンテナ(のようなもの?)も鋭くて、書くことも向いていらっしゃるのではないかと。

たぶん、誰もが自分の中に感じたこと・読み取ったことを「表現したい」という気持ちを抱えていて、その手段が、言葉だったり絵だったり写真だったり何かを作ることだったり、さまざまなんでしょうね。
どんな方法でもいいのだけれど、「コレだ」という手段が見つかれば、それはそれだけでとても幸せなことなのかもしれませんね~(でも「表現しきれない」という苦しさもあったり。その部分が研ぎ澄まされた方が「プロ」と呼ばれる方々で、苦しみも大きく喜びも大きいのかなと)。
私の「表現したい」はたぶん、「なんか書くこと」だと思うのですが(というかそれ以外たぶん何もできないというか)、好きなことでも(好きなことだからこそなのか)難しいですね~。お互いまだまだ四苦八苦ですかね。

年末は17日以降ならダイジョブです。年始は8日以降なら。
下の方の記事で書いてますが、6日に大阪で勉強会ありますので、そちらも興味があれば(でもFBで勉強会に入って頂かないといけないので、メッセージ送って頂いたり、がちょっとメンドーなんですけど)。

2017.11.19 12:36 URL | Sayo@屋根裏 #- [ 編集 ]

えへへ、twitter見ていただいてありがとうございます。

このお仕事していてものすごく矛盾してますが、私は写真やものをつくること、あるいは自分の生き方で表現したい……要するに口下手……なので、自分の気持ちや考えを言語化するのが苦手なんです(私のボキャブラリではどうしても自分が伝えたいことが伝えきれずに劣化してしまうように感じる)。できればひたすら黙々と何かをしていたい。ただ、自分が受け取ったものを、誰かに伝え、そしてそれが伝わる(伝わればいいな)、という点は翻訳のお仕事も共通するところかな、と。だから10年続いたんだと思います(そして、やっぱり伝えきれないことにもどかしさを感じながら、その可能性におもしろさも感じている)。

Sayoさんはご自身の表現の手段が「モノを書く」(言語化する)ことなのかな、とブログを拝見していて想像します。私とはそこが根本的に違うのだろうな、と。だからこそまっすぐに「好き」とおっしゃる。それが私にはまぶしい。私は上記の理由で翻訳のお仕事が好きですが、Sayoさんのおっしゃる「好き」には到底及ばないなと思いつつ、そしてまたある面でとてもよく似ていると感じます。

今後、何か「これ」というものが見つかるかもしれないし、そうじゃないかもしれませんが、いつか最期を迎えたときに「ああ、これが私の生きたかった人生なんだな」と思えるように生きれたらいいなぁ、と思いつつ、今はそれが(お仕事面では)翻訳なのだろうなと思いながら、自分が受け取ったものをもっとちゃんと伝えれるようになりたいと四苦八苦しております。^^

はい、またお会いしたいです。年末?年始?あたりいかがでしょう?
本当に寒くなってきましたね。Sayoさんもくれぐれもご自愛くださいね。

2017.11.19 08:39 URL | めぐり #- [ 編集 ]

めぐりさん、おお、お久しぶりです~。
(でも、ときどきこっそりTwitter読まして頂いて、お写真に癒やされたり、書いてあることに頷いたりさせて頂いてますースイマセンー)

あとになって「めっちゃ遠回りやった」と気付くことも「自分は遠回りやからよかったんや」と思うこともありますよね。
ま、遠回りしない方が、いろいろできていいのかもしれないですけど。たぶん、私は不器用にしか生きられんのでしょう。

めぐりさんも「自分はゼッタイこれ」というものに巡り会えるといいですね(あるいはもう巡り会っているのかも)。
私はひとつだったけど、ひとつである必要はないんじゃないかとも思います。

>まだまだ今のお仕事でやれることがある

そう思えるのは、本当に幸せなことですよね。

急に寒くなって着ぶくれて仕事してます(←暑さにも寒さにもヨワいヒト)
めぐりさんもどうぞご自愛ください。
またお会い致しましょう。

2017.11.18 16:53 URL | Sayo@屋根裏 #- [ 編集 ]

Sayoさん、こんにちは~。お久しぶりです。

背筋がシュッと伸びました。

私も(私なりに)今までの人生の中で遠回りしたなぁということはあっても、遠回りしたことで気付けたこともあり、だからこそ今の自分があるなぁと思います。

Sayoさんのように好きだと言えるお仕事がしたいです。それは翻訳かもしれないし、まったく別のことかもしれませんが、まだまだ今のお仕事でやれることがある(自分の中で上を目指すことができる)のは、そして、その環境にあるのは、幸せなことだなぁと改めて思いました。

2017.11.18 15:39 URL | めぐり #- [ 編集 ]













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