屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

まず、全体的な注意事項を少し...

 * ときどき屋根裏に来てくださる方はご存じだと思いますが、屋根裏には、セミナー講師の方は、お名前を「ローマ字読みの最初のアルファベット+漢字」で記載するしきたり(?)があります(著書・訳書紹介時除く)。そんなわけで、今回も「何を今更」な方もしきたりどおり記載しています。ときどき、うっかりフル記載していることがありますが、暖かくスルーして頂ければありがたく存じます。
 * 屋根裏では、基本、一昨年までの自分のように「行きたかった、でも行けなかった」方にも多少流れが分かるようなレポを心掛けています(しかし、道を踏み外していくことも多い)。というわけで、セッション内容記載部分で自分の感想を述べる場合は、できるだけそれと分かるように記載するか、( )で記載しています(のように努力しています)。
 * おおむね忠実にレポしていますが、分からなかった箇所/メモ取りがついていけなかった箇所はOmitし、しれっとしている場合もあります。その場合は、個人レポということでお許し頂き、暖かくスルーして頂ければ幸甚です。


で、ここからやっと、セッション1の報告です。

登壇者のS田先生のことは、恥ずかしながら、お名前と翻訳教室を主宰されているということくらいしか存じ上げなかったのですが、産業・出版・映像・舞台脚本と多分野の翻訳を経験されたほか、翻訳会社の経営にも携わられていたことが分かりました。子役や声優の経験もあるということで、本当に幅広い経験をなさってきた方だと思いました。

ご自分の体験も交えながら、翻訳教育(翻訳者側からすれば、何に気をつけて学ぶか、ということになろうかと思いますが)について語ってくださいました。
ざっくりまとめると「英文をきちんと読めることが大切。まず英文の正しい理解ありき」ということになろうかと思います。

I 一翻訳人の歩み(翻訳を中心とした自身の歩みの振り返り)
ラジオの子役オーディションの顛末、声優として台詞のない役を自分なりに工夫された話、台本(翻訳)の仕事を得るに至る話など、興味深いお話をいくつも伺いましたが、その中で心に残ったのは次の3点でした。
「人と同じことをしていてはだめ」
(これは、子役オーディションの際の話です。といっても、闇雲に目立てばいいということではなく、相手(この場合審査員ですが)の立場に立って考え「その方が有効であろう」という目立ち方をする、ということなのだろうなと思います)
「翻訳は短ければ短いほどよい」
(S田先生の師?にあたる方の言葉だとか。これは至言と思い、今も気をつけておられるそうです)
「中途半端な感じで始めた翻訳だが、40年も続いている。継続は力なりを感じる」

II 商品としての翻訳(さまざまな例を取り上げながら「翻訳は商品であるべき」と説かれます。読者の存在を考えない独りよがりの訳文ではないという意味の「商品」と理解しました)
この中では、「良いものより悪くないものを」ということも語られました。「常に最高の訳である必要はなく、常に、業界で失点と取られないレベルの訳文を作成する」、つまり(高いレベルで)流すことも必要というようなことです。
ここだけ読むと「手抜きオッケー」とも取られかねない、危険を孕んだ言葉でもあるのですが、セッションで紹介されていた「悪くないレベル」訳はかなりの高レベルであったことも申し添えておきます。
ただ、自分自身は、まだまだ学ぶことの多い翻訳者ですから、労働と対価も考慮しつつも、常に「今できる最高の訳文を作る」というスタンスでいた方がよかろうと思いました。
その他にも、「商品としての翻訳」に大切な点として、「読点を多用しない」「リズムある文章」「語義は正確に」などいくつもの点を挙げてくださいました。

III 翻訳の編集
読者の「読む力」を舐めることなく、自身も必要な語学力を身につけ、良質な翻訳者を発掘する努力をしてほしいという、出版編集者への提言が主だったと理解しております。

IV 翻訳の教育
産業・出版・映像・舞台などさまざまな分野があり、たとえば舞台翻訳には大劇場用と小劇場用などのようにいくつかのスタイルの違いがあるなど、分野内もさらに細分されており、翻訳に関していえば、現場の方が理論より先をいっているのではないか、というのがS田先生のお考えのようです。で、「まず実践ありき」で抽象に広げていくべきなのではないかとVに続きます。
(「翻訳理論」については講座内で若干かじった程度なので、この点については自分の考えは追加できず、申し訳ねーです)

V 教育の実践からエピローグへ
その実践で必要なのが、英文をきちんと読み解くことだとS田先生は述べられます。翻訳教育(学習)では、文法力と論理力で英文を精確に読み解き、教養を身につけ、表現力を養うことが必要だと。
また、「朗読」の重要性についても触れられていました。「つっかえるところは誤訳、イントネーションが引っ掛かるところは悪訳」と仰っていましたが、ワタクシ自身も、訳文を音読してさくさく読めないところは、掛かり受けが宜しくなかったり訳が間違っていたりすることが多いので、「音読大切」は素直に頷けます。

セッションのよさを上手く伝えきれず申し訳ありません。
着地できるかどうかドキドキしながら書いてきましたが、何とか(力業でねじ伏せるよ的に)結論まで辿りつくことができてホッとしています。

配付資料の中に、モリエールの 「女房学校」の2種類の訳文が含まれていました。片方は「小劇場のような空間で一般的な日常語で演じるにはぴったり」という訳文、もう一方はS田先生の手になる「大劇場で新劇として朗々と読んでほしい」という上演台本例です。どちらがよいとか悪いとかいうことではなく、けれどまったく異なる訳文になっています。どちらも正しくまったく違う、というのは、翻訳の醍醐味のひとつと言えるかもしれません。
2017.12.01 22:04 | 翻訳祭・フォーラムetc.報告(2016-) | トラックバック(-) | コメント(0) |












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