屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

「発症」という言葉を聞くと、
何となく、昨日今日ぽっと症状が現れた状態を想像してしまう。
なので「インフルエンザを発症する」なんぞという表現は、
疑問も持たず右から左へ受け流すのですが、
(そういえば、歌って受け流していたアノ人は、今はどうしているのだろう?)
何としても違和感を拭い去ることができずにいるのが
「認知症を発症する」という表現。

たとえば「認知症を発症するリスクが高まる」などのように将来的な可能性について述べるcontextの中で用いられたり、「認知症を発症した人」などのように既定の事実として語られたりする場合は、何とも思わないのだけれど、「65歳で認知症を発症」などと言われると、思わず待ったをかけたくなってしまうSayoなのです。

認知症の詳細説明については、WikipediaやOn-line メルクの記述を参照して頂ければと思うのですが、この「認知症」(正確には、アルツハイマー病などその原因となっている疾患)の診断や治療を難しくややこしくしているのは、その症状や徴候は、昨日や今日いきなり現れるものではないということ。時には、家族が「あれ?」と思ってから、確定診断がなされるまで何年もかかる場合だってある。
そういう時って・・・いつをもって「発症した」と言うんだろう? 

「**歳頃(あるいは20**年頃)、認知症の徴候が顕著に表れるようになる」などと書いてあると、まったく違和感はないんですけど。

参考までに我が家の場合。

父は、短期間に数回の肺炎を繰り返す間に(と思っていたら、実はソレは結核(!)が原因だったのだった<即隔離)、がくんと認知機能が落ちてしまったのでした。(なので、素人判断ですが、「加齢と体力の低下に伴う認知症」と表現するのが一番適切ではないかと思います)。2006年6月には、まだ手帳に予定やほしい本のタイトルなどをメモってますが、7月以降のページは白紙です。「短期記憶の障害」「話の辻褄が合わない」「会話が続かない」というのが主なsignsでした。なので、父に関して言えば、「2006年夏頃、認知症を発症」という表現もアリかなと思います。

母の方は、「何か変」と思い始めたのは2007年春頃ですが、父の場合とは異なり、その「変」は「理解できない言動」だったり「突然の(なぜそこで??というcontextで)興奮や怒りの爆発」だったり、という形で現れ、短期記憶や見当識は、かなり後までintactに近く保たれていました(なので、私自身も、医師に指摘されるまで、ごく普通の加齢に伴う好ましくない変化と捉えていて、理屈で強硬説得を試みては完全玉砕しまくっていたのでした)。
でも。
今にして思えば、ですが。
そういう行動や感情の爆発は、10年くらい前からあった。同居ではなく普段あまり実家に寄りつかなかった私が、気が付かなかっただけかもしれません。もしかしたら、まだ元気でいた父が、そうした爆発を一手に引き受けてくれていたのかもしれない。今では確認のしようもありませんが。
というわけなので。
母の場合は、いつをもって「認知症を発症」と言えばよいのか、ちょっと分からない。いや、そもそも、母のような状態は認知症とは呼ばないと仰る先生もあるようだけれど。しいて言うなら「2007年春頃、認知症を疑わせる言動が顕著に表れるようになった」という感じでしょうか。

このように発症時期を確定できない疾患の発症について記す場合の定形表現ってあるんだろうか。
ちょっと探して見た限りでは「コレ」という表現を見つけることができず、実は、ずっとちょっとしたもやもやを抱えているSayoなのでした。

という記事を書くにあたって、ちょっと調べものなどしていたら、symptomsとsignsは、本来きっちり区別すべきものなのよ♪、ということを発見してしまったのでした(つか、発見遅すぎ<自分)。日本語ではそれぞれ「症状」「徴候」という言葉が当てられることが多いようですが、個人的には、これまでこの二つの言葉を混同して用いていたことを白状して、今日はこそこそと去ります。


SayoのBackgroundについては「はじめに」カテゴリの記事をご参照ください。
2011.05.20 12:07 | 両親のこと | トラックバック(-) | コメント(0) |












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