屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。


「翻訳ストレッチ」は、S木立哉さんが毎日取り組まれているものですが、この「翻訳ストレッチ」を聞き知る前から、音読やリスニングを「続ける」ことの大切さを説かれる方のお話を聞いたり、そうした話を耳にする機会がときどきありました。
もちろん、「考える」勉強も大切には違いないのですが、「毎日(ある程度機械的に)きちんとした文章を読み、聴くことが大切」というのは、多くの翻訳者が辿り着く解のひとつなのかもしれません。そしてそれは、「翻訳力を向上させる」ためのものではなく、「翻訳するための基礎体力を落とさない」ために必要なものではないかと、この頃思うようになりました。あくまで、個人的な感想ですが。

若干の微修正を加えた、最新のラインナップ(フルセット)は以下のとおり。ご参考まで。

ジツは、私は、「なんちゃってリスニング」「なんちゃって音読」歴はかなり長いのですが(それでこの程度かよと思われるのが哀しく、あまり大っぴらにせずこそこそやってきました)、それが翻訳に役に立つかもと思い始めてまだ日は浅く、日本語の音読を追加したのは3~4年前に過ぎません。やり方も、S木さんに比べてかーなーりーいい加減なので、「ストレッチ」という名前をお借りするのも申し訳ない気がしたのですが...(てことで、「なんちゃってストレッチ」)。


* リスニング:「Better」(Atul Gawande)

 たぶん10巡目くらい(←この「くらい」がすでにいい加減)。
 どこかに書いていますが、私のリスニングはCDウォークマンをエプロンのポケットに入れて聴くという、時代に逆行するやり方です(でもAmazonでCD BOOKを探すのも楽しかったりする)。「聴いてみたい」と思うものを聴いています。最近は医療ノンフィクションやポピュラーサイエンス多め。新しいものが買えなくて(それなりに貧乏です)、何年か前に聴いたものを引っ張り出すことも。洗濯物ほし/たたみ、アイロン掛け、夕ご飯の片付けなどしながら、毎日30~40分くらい。拭きそうじすると1時間を超えることも。「聴く」ために余計な時間を取らなかったのが、面倒くさがりの自分でも長く続いた理由かも。何だかんだで20年目に突入(最初は「相手の言うことが聞き取れるようになりたい」という切実な理由だったのですが、まんまと「お話を聴く」楽しさにはまってしまったのだった)。

 一昨年くらいから、ウェビナーや講演の文字起こし原稿を翻訳する機会が増えました(といっても、年3~4本ですが)。もちろん、いつも原稿は頂けるのですが、「?」と思う部分もあったりして、音声や動画は必ず確認します。そういうとき英語音声を聴くということに抵抗がないのは、リスニングを続けてきたおかげかなと。今後、分野を問わず、ウェビナーなど、動画と抱き合わせの翻訳は増えていくのではないかと思います。動画やクライアントの意を汲んだナレーション原稿の翻訳ができるというのは、今後、翻訳者としてひとつの強みになるかもしれません(←自分にそれができるということではなく、「そういう翻訳者は今後重宝されるかも」という意味です<念のため)。

* 原書の音読:「What Patients Say, What Doctors Hear」(Danielle Ofri, MD)

 テキストを読んだり、小説を読んだりと、色々試行錯誤しましたが、今は「自分が読んでみたいもの」を読むことにしています。きちんとした文章かどうかは、中身検索である程度確認できますし。それでも、「...失敗した(おもろない)」と思うことはあり、そういうときは潔く撤退します。音読も20年目(そのわりに発音イマイチですが、そこは暖かくスルーしてください)。長くやっていると、だんだん、「ここでひと呼吸置いた方が聞き手に分かりやすいかも」的なことを考えるようになってきます。上に書いたナレーション翻訳にも、「切り目の意識」が多少役に立っているかも(超希望的観測)。

* 日本語の音読:「一語一会」(保阪正康)&医療分野の論文やアメリア定例トライアルのメディカル分野の訳例など

 できるだけさまざまな文体に触れるようにしています。保阪正康さんの前は白州正子さん。その前は三島由紀夫、その前は谷崎潤一郎を途中で挫折。「一語一会」はもうすぐ終わるので、次はたぶん向田邦子さん。日本語音読はまだ数年。最初はテキストや論文を読んでいたのですが、それでは「普通の日本語を扱う能力が落ちる」と危機感を感じ、小説や随筆に移行しました。最近は、「分野独特の言回しに疎くなってもマズい」と、分野特有の文章(主に論文)と2本立てにしています。2本立ては、まだひと月くらい。

* 原書と訳書の突き合わせ読み:「Stoner」(John Williams/東江一紀)

 今回新たに取り入れてみることにしました。楽しく悩みましたが、まず東江一紀訳「ストーナー」から(えーと、まだ始めていませんが)。

* 見出しから文を&記事にMy小見出しを:その日の新聞記事から各1記事

 「見出しから文を」は「文章添削の教科書」(渡辺知明)で推奨されていた方法。「記事にMy小見出しを」はその逆も面白いかなと自分でやり始めたもの。まだ半年くらい。私はお昼に新聞を読むので、そのときにさくっとやります。毎週月曜日はお休みと(勝手に)決めていて、月曜日は開放感に浸ります。何かの役に立っているかどうかは...不明。ただ、「見出しから文を」で「いや、この見出しの中にそこまでの情報は含まれていないから、そこまで足すのはやり過ぎ」などと考えるのは、翻訳で「どこまで逐語訳から離れていいか」を考えるのに若干似ているような気がしないでもありません。


並べてみると、毎日かなり「なんちゃって」ストレッチしているように見えますが、基本、新聞と原書の音読と聴読しかやっていません<念のため。聴読と新聞は「ながら」なので、「そのために特に時間を取っている」のは原書の音読だけです。気持ちと時間に余裕があるときはフルセットやります。さらに、私の場合は、「まったくやらない日」もあります。
私は、きっちりやらないと気が済まない部分とアバウトな部分(「ま、えっか」)が同居しているというややこしい性格ですが、そんな自分が長く続けられた理由を挙げてみると、

・生活習慣の中に組み込んだ(「ながら」の確立)
・2日くらいはまったくやらない日が続いても「しょうがない」と割り切る(その代わり、その次の日は必ず何かやる)
・「好き」で選んだものではない課題(←「課題」と呼んでいる時点ですでに苦行)の場合は、「今日はこれはやらない日(曜日)」を決める(そして開放感に浸る)
・できるだけ「読みたい(聴きたい)もの」で固める

...あたりになるかな、と思います。あくまで自分の場合ですので、あまり参考にならないかも。私もここらで「『ストーナー』やるよー」宣言をしておかなければ、いつまでも重い腰が上げられないような気がしましたので、記事にしてみました。う、退路が断たれた...
2018.01.12 20:29 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |












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