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屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

今年は、さる人物から「あとで報告せよと密命を受けて送り込まれましたので、何があっても、たとえパソコンの前で力尽きても(←大げさ)、レポートを書き上げねばなりません。
そんな年に、なんでテーマが「つなぐか切るか」やねーーん!!(泣)

...な、今年の翻訳フォーラム主催「シンポジウム & 大オフ2018」の詳細ページはコチラ→
https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/015vzdzh7fek.html

今年のシンポジウムの中で取り上げられた書籍の一覧を記載した「シンポジウム2018参考資料一覧」はコチラ→
http://fhonyaku.blog.jp/archives/75770332.html

また、多くの方が、ハッシュタグ#fhon2018で、感想などを呟いておられます(ツイッターアカウントがなくても読むことができます)

今年も、ただひたすら、見たもの耳に入ってきた言葉を、可能なかぎり書き取りました。
「おお、ここ強調されている、大事そう」というメモの取り方ではないので、平板なレポートになってしまっているかもしれません。
そこは、他の方のブログ記事や#fhon2018の皆さんの熱い呟きなどで補完していただければと思います。

少しでも、かつての自分のようにさまざまな事情で参加できず「行けたヒトいいな~」と思っている方の役に立つことができれば。


「つなぐか切るか」という言葉を聞いたとき、すぐに思い浮かべたのは「日本語の作文技術」(本多勝一)でした。他にも、「長い原文は、読みやすさを重視して二文以上の文に分けるのがよい」という話を聞いたりもします。でも、(私の読込みが足りないだけかもしれないですが)「日本語の...」はどちらかといえば形式からみた原則集のような気がしますし、そして、そもそも「(重視すべき)読みやすさ」とは何なのでしょう。
「(原文が文として切れていないのに)ここで切ってもいいのか」「(原文が二文なのに)つないでいのか」というのは、いつも結構悩みどころだったりしますが、それはたぶん、自分の中に「こうするのだ」というルールがないせいだと思います。
ですから、今回のシンポジウムは、楽しみ半分(この悩みが解消できるかもしれない)、恐れ半分(自分に理解できるだろうか)といった気持ちで参加しました。で、恐れが勝ったぜー。

最後に、いつものように、自分なりに(強引に)まとめますが、今年は、「まだまだ咀嚼できてない」どころか「消化できませんでした」で終わるかもしれません...が、そこを何とか、記憶が新たなうちに(考えてメモってるわけではないので、そもそも「記憶」自体があまりないわけなんですが)頑張ってレポートします。

「屋根裏通信」の表記の原則に則り、発表者の方々は、ローマ字+漢字で、I口、T橋さ、F井、T橋あ、S復、H野と記載します。
(S復さん、H野さんは、T橋ささんが中心になって始められた翻訳者の勉強会「めだかの学校」のメンバーです)
間違ってメモした/発言の意図を取違えている可能性もあります。その場合の文責はひとえにSayoの未熟さに帰するものです。


*文の構造、段落の構造(T橋さ、T橋あ、I口)

「イントロダクション」(T橋さ)

まず、「翻訳の中で翻訳者が果たす役割」という基本を押さえるところから話が始まります。

翻訳者は、原文の読み手、訳文の読み手、両者を橋渡しする訳し手の三役を担わねばならず、そのために、原文と訳文の間を行ったり来たりしなければならない。そうする過程で、日本語だけ(あるいは英語だけ)書いているときには犯さないような間違いも犯してしまう。そうした間違いをできるだけ減らすひとつの方法として、英・日の翻訳文法の共通点を整理するというやり方がある。時間はかかるが、結局は、それが効率を上げるのみならず翻訳の質を上げる早道でもある。

そういう前提の上で、「情報を届ける」という点に着目して、「切る・続ける」を考えます。訳者は、書き手の思考が見えるように読み手に情報を届ける必要があり、そのために、切れ目やまとまりを示す「きれつづき」が重要なのだ、と仰りたかったのだと、私は理解しています。その切れ目やまとまりを簡略化して図示したものが、枝豆図(←という名前は私の造語です)。ざっくり書くと下図のような感じです。原文の文章をこのような形として見ることができ、なおかつ、斜線で示したような原文が強調したい部分も見えるようになれば、よい訳文が書けるのではないか、そして、このように枝豆図にできるところまでは英・日共通の部分であるとイントロダクションを締めくくって、次のT橋あさんにバトンタッチです。

* Sayoの造語「枝豆図」は、フォーラムのテクニカルターム(?)では「サヤマメ図」というと耳打ちいただきました。図を張ってますので本文の記述を変更することはしませんが、これは、正しくは「サヤマメ図」「サヤマメ図」「サヤマメ図」ですから。皆さま、お間違えのないようお願い致します。ただし、お店で注文されるときは、「枝豆」の方ですから、そちらもお間違えのないようお願い致します(?)

枝豆






「切ってみよう」(T橋あ)

具体例を挙げながら、原文と訳例を、「自分ならこう訳す」というスタンスを崩さず、そのように訳す理由を挙げながら説明してくださいました。例を一部記載すると...

サンプル1 雑誌や記事の冒頭の少し長めの文 → そのまま訳してもよいが、冒頭一文目なので、できるだけ短くしたい。
サンプル3 ... hosted by A to ... → 技術翻訳(手順書など)だと、前→後へと訳していくことが多いが、リズムよく読ませたい文章の場合、「~ために」までが長すぎると、主述の間が開きすぎてしまう。to以下を後ろに補足的に付け加えられる場合もある。
サンプル4 ... balance (vt) A, balance B, even balance C(A, B, Cの内容がバラバラで、それぞれそこそこ長い)→ ~A。~B。~C。のようにバラバラにしてもよいが、最後にevenとあるのでたたみかける感じを出したい。→ ~A。Bですし、Cです(書き取った訳語は少し違うのですが、そもそも原文をきちんと書き取れていないので...「Bですし、Cです」とBとCをつないでいる点を押さえていただければ)。

(ケースバイケースの部分はあるかと思いますが)英語でキーになっている語を日本語訳にも反映できるのであれば、日本語でのつながり感、切れ目感を優先してもよいのではないか、最終的に原文と訳文で同じ絵が描けるようであればよいと思う、とまとめられました。


「つなぐためにつなぐ。つなぐために切る。」(I口)

まず、「局所最適化の積み重ね=全体最適化ではない。全体を見渡し、どうすればいいのかを考えながら、局所を最適化すべきである」と仰った上で、「あくまでも一例、他にも適用できるものではない」としつつ、具体例を示してくださいました。今実際に翻訳中の書籍の一部だそうです。

(* その前に、矢印を使った「話しの流れ方」の説明がありました。基本の原文(英語)の流れ方、それを日本語にした場合に同じ流れが見え付加情報は付加情報と分かる形にするにはどんな感じにすればよいか、あるいは、一文ずつ訳していった場合矢印がどんな風にずれていくかなどです。ジツは、この矢印をかなり律儀にメモってまして、見ていただけば一目瞭然だろうなと思うのですが、線の切れた部分・続いた部分(「きれつづき」に相当する部分)を正確にメモしておらず、いい加減な図を載せてI口さんの意図が曲解されるようなことになってもいけませんので、図示は諦めました)

実例では、原文とともに、試訳0(ゼロ)ありがちな訳、I口さんの試訳①自動運転訳(あまり考えずに自分の勘に従って訳した段階の訳)、試訳②それを段落分けしたもの、試訳③、試訳④(最終的にできあがった一次訳)が示されました。通常頭の中でやられている思考の過程を、細かな変化が重ねられていく訳文の変遷として見せていただくことができるという、何ともゼイタクな資料です。
試訳0は、一文一文は間違いなく訳せているのですが、のっぺらぼうな感じで、一読しても何が書いてあるのかよく分からない。視点を考えたり日本語特有の表現の仕方に注意しながら訳したりするだけで、訳文は格段に読みやすくなります(自動運転訳)。さらに、このままではよく分からないと思われる逆接の接続詞をそのまま活かせるかどうか、内容に沿って段落分けし、それぞれの役割を考えてみる(段落分け訳)。そこからさらに手を加え、最後に一次訳まで辿り着きます。原文とは前後が入れ替わったりしている箇所もありますが、原文はこういう流れで話がしたかったのだなということが一読してすぐに分かる訳になっています。

こうした「常に全体を見つつよく考えながら訳」した結果失敗することもあるが、そうした「考えた上での失敗」は次につながるものであるというI口さんの言葉は、とても励みになるものでした。
こういう作業をする際、翻訳の目標として「思い浮かべる絵が同じになること」を忘れてはいけないことも強調されていました。

2018.05.30 00:48 | 翻訳祭・フォーラムetc.報告(2016-) | トラックバック(-) | コメント(0) |












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