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屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

「わかったつもり-読解力がつかない本当の原因」(西林克彦、2005年)

もともと「本の読み方指南本」と思って手に取ったものです。
最近、読んだことがなかなか記憶に定着しないので、本の読み方が悪いのかなー、と思って(加齢原因説もあり)。

そうしたら、ちょっと思っていたのと違う本でした。

著者は、小学校の教科書の例を用いて、一般的な読者が「わかった」と思う状態は、多くの場合、深く読み込めていない「わかったつもり」の状態であることを示します。
そうした状態は、とりあえず「わからないことがない」という安定した状態なので、そこで思考が停止し、それ以上読みが深まらず、「そこそこわかった」状態から進展しないとも。

では、「わかる」とはどういう状態をいうのか。
著者は、それを、文脈からスキーマ(ある事柄に関する、すでに知っているひとまとまりの知識)が発動され、文章中のそれぞれの部分がきちんと関連付けられた状態と表現します。
その関連付けが適切ではないまま安定してしまった状態が「わかったつもり」なのですね(←私めがやや強引にまとめています)

「わかったつもり」には、もの足りない読みによるもの(解釈は間違っていないが十分に読めていない)と間違った読みによるものがあり、この「間違った読み」をつくり出すひとつの大きな要因として、著者は、文章の全体の雰囲気(部分を大雑把に読ませ、ときに読み間違いさせる魔力を持つ)を挙げ、本来「わかる」状態をつくり出すはずの文脈が、間違った「わかったつもり」を引き起こすこともあると注意を喚起します。また、文脈から喚起されるスキーマ(ステレオタイプのスキーマなど)も、読み手をミスリードするおそれがあるとも述べています。

このように、「わかったつもり」とはどのような状態か、なぜそのような状態になるのか、どんな種類の「わかったつもり」があるのかなどの説明にページが割かれ、「では、どうすれば、『わかったつもり』をなくすことができるのか」に関する記述は少なく、具体的な方法は書かれていません(「自分でまとめてみる」くらいで、あとは、「こういうところに気をつける」的な内容が多いです)。それぞれが自分の読書生活の中で訓練を積むしかないってことでしょうか(まあ、即効性のある方法があるというのも、若干胡散臭い感じがしますが)。

具体的な訓練は、今のところ、「わかったつもり」の性質と種類をよく理解し、漫然とではなく、間違った「つもり」を引き起こさないよう意識しながら読む、(自分にとって)重要な内容の本は二度読みするくらいしか思いつかないです。とりあえず、この本を「わかったつもり」になっていないかどうか、もう一度気をつけて読んでみようかと。


この本の「本」を、私はときどき「原文」に置き換えて読んでいました。
わかったつもり、間違った読み、「わかる」を妨げるさまざまな要因...「原文」と置き換えても納得できることが多く、「わー、わたし、そんな風に原文読んでることあるー」となってしまい、そうした要因を心に留めて原文と向き合わなければいけないと、改めて思ったのでした。
当初の目的からは外れてしまいましたが、手にとってよかったと思える1冊でした。
(そして「公開勉強会」までに読もうと思っていた本が読めていないなど)
(今、この本をめっちゃ「わかったつもり」になっているSayoです)


最後に、原文を解釈するという観点から、「解釈の自由と制約」という部分が興味深かったので(あくまでも個人的な感想です)、一部抜粋して記載しておきます。

***引用ここから***

(文の解釈において)
自らの解釈の「正しさ」を信じたり、「正しさ」を強調することは、他の解釈を排除することにつながりかねません。自らの解釈を押し付けることにもなりかねないのです。
科学においても、減少を整合的に説明できる仮説が、ある時点で複数個存在することは決して珍しいことではありません。
解釈が妥当であるかどうかを「正しさ」に求めるのではなく、周辺の記述や他の部分の記述との「整合性」だけに求めたい、というのが私の考えです。
(中略)
① 整合的である限りにおいて、複数の想像・仮定、すなわち「解釈」を認めることになります。間違っていない限り、また間違いが露わになるまで、その解釈は保持されてよいのです。
② ある解釈が、整合性を示しているからといって、それが唯一正しい解釈と考えることはできないのです。
③ しかし、ある解釈が周辺の記述や他の部分の記述と不整合である場合には、その解釈は破棄されなければならないのです。
このような制約条件のもとで、想像を逞しうして、部分間の緊密性を高める想像・仮定を構築しては壊し、また構築していく、これが「よりよく読む」という過程の内実なければならない、というのが、本節の結論です。

***引用ここまで***

翻訳では、「想像を逞しうして」ばかりでは足りず、その前に、辞書も含め、「さまざまな方向からとことん調べ尽くし」という過程を経なければならないでしょう。そして、最後は、自分の責任において「これ」というひとつの解釈に行き着き、その解釈に基づく訳文をつくるということになるかなと。「本読み」とは若干異なるかもしれませんが、「正しさ」を求めて他の解釈を排除せず、解釈の妥当性を「整合性」に求めるという姿勢は、翻訳でも大事にすべきなのではないかと思うのでした。
2018.11.04 19:10 | 辞書・参考書 | トラックバック(-) | コメント(0) |












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