屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

という理由は、人によりさまざまでしょうが、私の場合は、こんな↓感じです。

はじめに‐自分のこと」でさらっと触れたとおり、文学部を卒業後、一般企業に就職しました。世の中にまだ雇用機会均等法などなかった、「短大卒ならねえ(=4大卒女子はいらない)」という、今とはまた違う理不尽な断り文句が大手を振ってまかり通っていた時代、一般にはname valueこそなかったものの、男女の別なく仕事をさせてくれるというその中小企業に就職できただけでも御の字だったのですが、当時の私は、「5~6年しっかり仕事をして、30までには寿退社♪」くらいの軽い気持ちでの就職でした(上司先輩人事担当の皆さん、すいません)。

といっても、一生懸命働きましたけど(性格なんで)。
当時、ちょうど社業が猛烈に忙しくなり始めた時期で、覚えることが山ほどあり、「男女の別なく」というより「新卒女子社員でも何でもいないよりは」という感じで出張にも出させて頂いたので、すべてが新鮮で面白かったです。

が。
仕事にも慣れ、年次が上がると、「このままでいいんだろうか」と思い始めるように。仕事はそれなりに面白い。そこそこ達成感もある。人間関係も悪くなく居心地もいい。だけど、このまま5年、10年続けた先、いったい自分に何が残るんだろう? 比較的若い会社で、その会社で働く30代後半の自分の立ち位置がイメージしにくいというのもありました。女子社員の甘えと言われてしまえばそれまでなんですけどね。

そんな時、某翻訳学校の「無料翻訳診断を受けてみませんか?」という新聞広告が目にとまり(というだけで、分かる方は分かりますね)、「面白そうやん」ということで何となく応募してみたところ、これがそう悪くない成績で(まあ、そのようにして生徒を獲得するのが一番の狙いでしょうから)、ついつい、そのまま、その翻訳学校の「ノンフィクション」の通信講座を受けることになってしまったのでした。優秀な成績で講座を終了したら、すぐにも仕事が貰えます的な宣伝文句もありましたしね(これもまたよくある話)。この翻訳学校には通信→大阪校通学で、合計2年ほどお世話になりました。
(誤解なきよう申し上げておきますが、私は、決してこの翻訳学校に悪感情を持っているわけではありません。その2年は本当に必要だったのかと問われれば「ビミョー」ですけど、通学でお世話になった講師先生からは、とことん調べることとか、ひとつの単語もいい加減に扱わないといった、翻訳をする上での基本を学ばせて頂きました。今、どうしておられるのかな~)
結局、「お仕事を貰えるほど優秀な成績で修了する」ことはかないませんでしたけど。

大学時代(英文科ではありません)、英語論文に触れる機会はありましたが、すべて「読んで要旨をとる」程度でしたし、会社でも特に英語を使う機会はありません(そういう部署もあることはありましたけど)。時々、簡単なペーパーバックを読んだりもしていましたけど、それは「原書が読めたら格好いいな」くらいの気持ちで、特にそれまで「翻訳」という仕事に興味があったわけではありません。

でも、思い返してみれば、高校時代から「勝手に翻訳まがい」のことはやっていたのかも。
当時、英語の授業は、Reader、Grammar、Compositionの3つに分かれていて(今もそうなのかな?)、あとの2つは特に好きでも嫌いでもなかったのですが、Readerだけは大好きで、「訳してくること」の宿題も、今日はフツー、今日は会話関西弁、今日は森鴎外口調(ちょうど現国で「舞姫」をやったところだったので)、今日は地の文は(当時の)イマドキ女子高生のひとり語り、みたいな感じで、楽しんでやっていたのでした。

なので、「1つの言語の意味するところをもう1つの言語に(同じことが意味されるように)置換する」という作業は、その頃から好きだったのかなあと思います。


で、話は戻りますが。
そんな風に講座を受ける間に、「自分で翻訳書が出せたらいいな」とか大それたことを考え始めるわけです。ええ、根が単純ですから。ついては、勉強に専念するべく会社を辞めよう。ええ、もう単純ですから。自宅通勤でしたので当面生活に困るわけではありません。とはいえ、両親とも高齢でしたから、居候としてそうそう迷惑をかけるわけにはまいりません。というわけで、当面2年分の居候費を確保するのに、ちょっと時間を喰ってしまったのでした。

プーになってからは、当面、その某翻訳学校の主催するトライアル(現在のアメリアの定例トライアルのようなもので、そこで優秀な成績を収めると仕事に結びつくというような内容だったと記憶しています)を受けつつ、自分で原書を訳してみるなどして勉強を続けていくつもりだったのですが、退職してから2ヵ月も経たないうちに、自宅からそう遠くないメーカー工場での「翻訳者募集」の新聞広告を見つけ、これまた「面白そうやん」と応募して採用され(「和訳がラクか英訳がラクか」)、オンサイト翻訳者として、実務翻訳の道を歩むことになったのでした。

その時点で「実務翻訳をやろう」と決めていたわけではないのですが、「このまま出版翻訳の勉強を続けモノにならない場合でも、とりあえず『翻訳』の仕事はできる」という気持ちはありました。最初は帰宅してから原書に取り組んだりしていたのですが、残業が多かったこともあり、出版翻訳の勉強はそのうちだんだんしなくなりました。
そんな感じで始めたオンサイト翻訳だったのですが、しばらく続けるうちに、実務翻訳の仕事も意外に面白いということを発見。高校時代から「理数系は苦手で嫌い」と何となく(成績で)決めつけて敬遠していたのですが、実際に機械に触れ「こうだからこうなる」という仕組みを教えて頂き、動作の原理が理解できると、「理系でしょ」的な内容の技術文書を訳すのも楽しくなり、文句ひとつ言わず淡々と働く、その無骨な(?)機械が可愛くけなげにさえ思えてくるのです。
このまま続けて行ってもいいかもと思い始めた頃、結婚が決まり、退職とともに在宅翻訳に転換することができ、その後中断等ありましたが、今に至っております。


上記の内容をまとめてみると、キッカケは「何となく勉強を始めてみたら好きだと思えた(or 昔から結構好きだったことに気づいた) for 翻訳一般」「深い考えもなく始めてみたら結構面白かった for 実務翻訳」ということになるかと思うのですが、「なぜ翻訳を仕事にしたのか」と問われれば、「異なる言語に置き換える作業が好き」という部分が、一番大きな部分を占めているかなと思うのです。
たった1行の和訳のためにアレコレと悩み、やっとのことでしっくりする言葉を探し当てた瞬間、あるいは、「何となく意味は取れるんだけど、どこか変」な英訳文(←自分のdraft)を「これがあるべき英文(たぶん)」に修正することができた瞬間、至福の時であります(でも、やっぱり一番の至福の時間は、訳文が完成して、「よっしゃー、これからメール送るで~」の時、かも)。


今でも、「翻訳書に『訳者』として自分の名前が掲載されたらカッコいいだろうなあ」と思うことはありますが、今の仕事に満足しています。
私が通信講座を始めた頃(約20年前)は、翻訳イコール出版翻訳という感じで、「実務(産業)翻訳」という言葉はそう一般的ではなかったと思います(実際、不勉強な私は、そのような分野が存在することすら知らなかったのでした)。
もしも、さまざまな情報が容易に入手できるこの時代に、翻訳の勉強を始めたとしたら、「ノンフィクション」という選択肢ははなから考慮せず、実務翻訳の勉強から始めたかもしれないし、もしかしたら、いきなり「医薬」から入ったかもしれない。
それでは、実際に「実務」を始めるまでの3年弱の時間は無駄だったのかというと、決してそうではなかったです。そこで翻訳に対する姿勢のようなものを教えて頂きましたし、その時間があったからこそ、そう迷うことなく「実務の方が面白いし向いているかも」と思うこともできたと思うのです。

でも。
同時に。
「あれもやりたい(遊び)これもやりたい(遊び2)」と思っていたあの頃に戻れたら、「コレと思ったらもっと死に物狂いでやらんかい(怒)」と、当時の私を張り倒してやりたくなることもある今日この頃なのでありました。


いや、今日は長かったですね。
でもって、ぜんぜん参考にならんかったですね。
ここまで辿り着いてくださった皆さん、本当にありがとうございました。


SayoのBackgroundについては「はじめに」カテゴリの記事をご参照ください。
2011.06.07 17:41 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |












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