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2019. 01. 03  

シフト勤務の旦那が31日、1日と出勤だったので、例年にも増して「正月を迎える」感のないわが家の年末年始。
ということで、年末、少しだけ念入りに掃除し、大ものを洗濯し、「新年を迎える準備よし」としました(<そこまでいい加減でいいのか<自分)。
そのとき、実家から持ち帰った私物の最後の箱も整理しました。

そこで発掘したのが25年前の退職挨拶状。
OLの日々は自分の中で遠い昔のことだったので、平成になってから5年間も働いていたのかとびっくり(確かに「お局さま」という立ち位置にはいた)。

わたしはその挨拶状に「今後は翻訳という未知の分野で頑張っていきたい」と書いていました。

職場はよい雰囲気で居心地もよかったけれど、少し前から、仕事自体には行き詰まりを感じていました。結婚の予定はなかったけれど、かといって、そこで長く働く自分も想像できませんでした。
そんな中で始めた翻訳の勉強が思いのほか面白く、これを仕事にしたいと思うようになり、2年間収入がなくても生活できるだけの貯金を貯めたところで退職しました。平成5年(1993年)のことです。

その頃わたしは出版翻訳がやりたいと思っていました。「実務翻訳」という言葉はまだ市民権を得ておらず、そういう世界があることをよく知らなかったということもありますし、自分の名前で訳書が出るということに憧れもありました。
けれど、思い返してみれば、原文の読みも浅く、段落のつながりや文脈に思いを巡らせることはありませんでした。調べものも今とは比べものにならないほど大変だったとはいえ、言葉の選び方もおざなりで、一文一文を上手く訳せて満足していました。翻訳をなめていたと思います。

今、当時の自分と話ができるなら、「その心構えで出版翻訳なんか到底無理だから」とびしっと言ってやりたいです(今なら自信を持ってできる、ということではありません<念のため)。

結局、退職して2ヵ月後に派遣翻訳者として工場で働くことになり、その後、実務翻訳者の道を歩んできました(その後いくつもの回り道や停滞期を経たので、翻訳者としてのキャリアはもっと短いですが)。
辞めた当初の目標とは違ってしまいましたが、それでも今まで続いたのは、「必要とされている」感が心地よかったこと、好きなことをやって報酬が得られたことも大きな理由ですが、何より、英語で書かれたものを日本語らしい表現で伝えるという作業が好きだったからだと思います。翻訳を目標に退職したという選択自体は間違っていなかったかな。

25年前、わたしは、自分がどんな翻訳がしたいのかよく分かっていなかった、漠然と思い描いてはいても、少なくとも言葉にはできていなかったと思います。
今は、こまごま書けばいろいろありますが、突き詰めれば、著者の伝えたいことが読者に無理なくきちんと伝わる、そんな翻訳がしたいと、とりあえず言葉にまとめられるところまでは来ました。

25年かかったけれど、それでもここに辿り着けてよかったと、今は思っていますが、25年前のわたしに「しっかりと『自分が理想とする翻訳』を言葉にできるようになるまでに25年かかるよ」と伝えたら、いったいどんな顔をするでしょう。意外にしぶといヤツではあるので、それでも「なにくそ」と翻訳は辞めていないかもしれませんし...全然別のことをやっているかもしれません。

思いがけなく年末に過去の自分と出会い、来し方を振り返り、今思うところを再確認することができました。

同業の方、そうでない方、たくさんの方に教えられ支えられてここまで来ることができたと思います。
本当にありがとうございました。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
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プロフィール

Sayo

Author:Sayo
医療機器の和訳も9年目。
老眼腰痛、最近は膝痛とも闘いつつ
翻訳人生をまっとうしようと奮闘中。
この頃になってやっと翻訳の奥深さ・
難しさ・楽しさが分かってきたような。
記事は「翻訳一般」多め、ときどき読書感想文、本業(医療機器)やや少な目。
(2019年4月現在)

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