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屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。


この頃、機械翻訳についての話を耳にする機会が多くなりました。

近日発売の「翻訳事典2019-2020」(寄稿者の手元にはもう届いているようですが、ワタクシは発売待ちです)には、「機械翻訳と人間翻訳者」という項目があり、記事内容紹介に「旬の話題である機械翻訳について、翻訳者の立場に立って識者が解説します。他誌にはない必読記事」(出版元の商品詳細記事)と書かれていて、機械翻訳がどんな風に語られているのか読むのが楽しみです。


ワタクシは機械翻訳のPEを体験したことはなくCATツールも使用していないのですが(一概に反対ということでは決してなく、自分には合わないなということで使用していません)、それでもときどき、自分が、これらの注意すべき欠点のひとつとして挙げられることのある「自分で考えない翻訳」をしているなと実感することがあります。それは、「機器や機能名などはこれに合わせて」若しくは「この訳文を参考にして/流用して」と渡された参考資料を確認しながら翻訳しているときです。

一からの翻訳では、まず原文を読み、その構成と意味を理解し、(必要に応じて調べものをし)、翻訳するという手続きを踏むのですが、参考資料があると、まず「使える表現がないかどうか」を探しに行ってしまうのです。そこで該当する文(章)があると、それを土台にして原文に合うように組み立て直すという作業をします。そこから翻訳作業が始まるため、私は「こういう構文でこういう意味だからこんな風に訳そう」と考える作業を怠ってしまうのです。借りた土台から始まる翻訳(もどき)は、参考資料を流用する普通の翻訳でも十分可能です。

何年か前にも、同じようなことを書いたような気がしますが、今ほど自分の思考の流れの違いを実感することはありません。
それは、「翻訳を勉強する会」で翻訳に取り組むことを始めたからのような気がします。もちろん、題材がまったく異なるので、比重を置くべき点も異なってくるには違いないのですが、参考資料を使用した仕事の翻訳から、勉強会の課題にスイッチすると、明らかに「さっきこの(まず色々考える)作業してなかった」と気づくのです。そして、適切な訳語を探してあれこれ思い悩むのが、とても難しく楽しいことにも。

もちろん、そういう流用の多い案件は実際問題としてオイシく、心の中で「ラッキー♪」とガッツポーズしているのも事実ではありますが、何らかのツールや機械翻訳を使用しないとしても「思考回路的に一から考えていない翻訳」であることには違いなく、全体に占める比重は増やさず、せめて「自分は今違う思考回路で翻訳作業している」ということは忘れないようにしようと思うのです。

注:決して「公開勉強会」推しの記事ではありません、念のため。
2019.01.29 23:09 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |












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