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屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。


昨日、大阪事務局の方から、「公開勉強会」申込者の皆さんに、各種資料とアンケートをお送りしました。
これで、精算以外の処理が終わり、私たちもやっと前を向くことができます(笑)>すると、そこには、次回の課題が仁王立ちしているなど。

今回の課題は、私には(そして、おそらく大部分の参加者の方にとっても)とても難しいものでした。

私のふだんの仕事は、報告書や試験実施計画書が中心です。
機器の説明や動作が難解なものもありますが、それは、英文そのものが難解であるというより、動作原理や作用機序がきちんと理解できていないことに起因するものです。文章の流れを追うのが困難ということは、まずありません(英語がおかしい、または言葉足らずで分かりにくいということはたまにある)。
読者も、最初からほぼ想定されています。こうした文書は、最終的に、厚労省(PMDA)に提出される機器承認申請資料の一部となることが多いと思われるので、私は「医療機器全般について専門知識はあるが、開発技術者ほどの知識はない」という読者(審査官)を想定して、その読み手が「内容を理解する以外のところで無駄に頭を使わないでよい」訳文をつくるよう心がけています(もちろん、その前にクライアントの手でリライトされる可能性もそれなりにあるんですけど)。
文書作成者の意図に思いを馳せる、ということもありません。基本的に、「いかにスムーズに申請を行うか」が主目的なので。

けれど、課題では、本当にたくさんのことに気を配らなければなりませんでした。
具体的な事例から普遍的な考察へと移っていく文章の流れだったり(そこをきちんと読み取るには、ひとつの冠詞も時制もおろそかにはできないということが今回身に沁みました)、文章の書き方だったり、時代背景だったり、対象読者だったり。そして、彼の国とこの国の文化や歴史の積み重ね、感じ方や考え方の違いも。

対象読者といえば、勉強会で読者レベルに関する手掛かりを得るひとつの指標が示されましたが、それを使うと、あのえげつない課題は高校3年生向けの文章という結果になっていましたよね。私も、最初にレベルを聞いたときは「え」と思ったのですが、よく考えてみれば、自分たちも、学生時代けっこう難しい文章を読んでいたなと。思い出せる範囲でも、森鷗外の「舞姫」「最後の一句」、福永武彦の「あなたの最も好きな場所」など(最後のは公開模試で読んだものだったかも)。母国語だとはいえ、高校時代にそういう文章を鑑賞していたのだから、英文を正しく読み解くことができれば、課題エッセイももう少し深く鑑賞することができるのではないかと思わないでもありません(<それともそれは錯覚か)。

そうやって、ウンウン唸って得たものを、日本語でしかその文章を読まない読者にどういう表現で伝えれば、原文の意図(OR 自分が「意図」と錯覚したもの)を一番正しく伝えられるのか――といったことを考えると、本当にキリがないのですが、そうやって(できるかぎり)ギリギリまで頭を使うことが勉強会の目的のひとつなのかなと思います。勉強会は、そうやって、原文と訳文の間をいったりきたりする頭の使い方を自分の身体に覚え込ませるトレーニングの場でもあるのではないか(仕事ではここまでいったりきたりしないので)、そう考えると、また勉強会に対する意識も少し違ってくるような気がします。

これまでの勉強会を通じて、私は「自分には巨視的な視点が欠けている(実務翻訳って、微視的な視点だけでそれなりに訳せてしまうことってあるんですよね)」「ひとつ『これは大事だ』と思うことがあるとそれ以外のことをお座なりにしてしまいがち」だと自覚するようになりました。そうした欠点は、他のメンバーとのやり取りを通じてハッキリ見えてきたもので、勉強会には、そうした「自分の欠点を際立たせ気づかせやすくしてくれる」効果もあるように思います。
そして、今回の公開勉強会では、始めてしみじみと「英語の文体」について考えました。日本語で書かれる文章に人それぞれのクセや文体があるように、英語にも、その人その人の文章のクセや文体があるはずです。私は、これまで洋書はそれなりに読んできましたが、ストーリーや流れを追ったり内容を理解したりするのに精一杯で、「これはどういう英語なのだろう」ということを意識したことはなかったような気がします。というか、ハッキリ言ってまだよく分からない。恥ずかしながら、今回の課題の文章についても、管理人さんに「こうですよね」と言われて始めて「あ、そうなのか」と思う始末でして。この「文体」との戦い(おおげさ)が、今後の自分の課題のひとつになるかなと思います。

というふうに、回を重ねるごとに、新しい気づきがある勉強会。
ギリギリまで頭を使おうとすることで、「では、考える時間を長く取れる作業法はないか」とか「語彙(脳内辞書+Excelなどの手持ち辞書)を充実させるにはどうすればよいか」とか「考えるプロセスをもっとスムーズにできないか」といったことを考えるようにもなります。この頃では、それこそが究極の効率化ではないかと思うようにもなりました。そうした考え方や頭の使い方は、実務に戻ったときにも役に立つのではないかと思うのです。

順不同に書き連ねてきましたが、要は、勉強会の準備をするのは大変だけれど、得るものも大きく、毎回何らかの気づきがあるということです。
もちろん、どなたにもそれぞれの事情があり、すぐにも勉強会を始めたり参加したりできるものではないと思います。勉強会のメンバーはみな、子供がいなかったり子育てが一段落していたりする方ばかりで、そこそこ自分中心に時間を使うことができます。子育てまっただ中の方は、それもなかなか難しいでしょうし、家族の介護に携わっている方もいらっしゃるかもしれません。私自身、今後、義父母がもっと弱ってきたら、勉強会や仕事にどれだけ時間が割けるか分かりません(「だから今」という強迫観念のようなものがあるのは事実です)。
でも、結局、始めてみないと何ごとも始まらないし、始めてみたら、案外できてしまうものかもしれません。ちょうど私がそうだったように。
「公開勉強会」が、そうした「何か」のひとつのきっかけになれば嬉しく思います。

翻訳は、深く、難しく、一筋縄ではいかなくて、けれど面白くもある。
翻訳をひと言で言い表そうとすると、私の頭の中にはいつもawestruck という言葉が浮かんでくるのです(この単語もなかなか上手く訳せないんですよね)。
2019.03.11 03:09 | 勉強会 | トラックバック(-) | コメント(0) |












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