屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

それは日々の「翻訳量」のことではありません。
勘違いされた方、すいません。

英文を多読することとかひたすら調べることとか。
そっちの方の「量」です。
自分の場合は、これらをやってきて「今」があるのかなと思います。

それは、自ら「必要」と判断してやったことではなく、
多読は授業で、調査は通信講座を通じて、
その当時は「強制的に」やらされたことなんですけど。


何度か書いてきた通り、旦那の海外転勤に伴い、
一時仕事を中断していた期間があるのですが、
転勤が決まった時は、「中断は嫌じゃ」と泣きました。

在宅で翻訳の仕事を開始して1年半。
取引させて頂いていたのは、派遣元でもあった翻訳会社さん1社だけでしたが、
小さな案件ばかりとはいえ、殆ど切れ目なくお仕事を頂いていました。
(ほぼ)家内制翻訳会社とはいえ、社長も社業拡大に燃えておられた頃ですし
(その後大病もされ、今は気持ち多少「隠居余生」気味)、
もしかしたら業界自体も拡大途上であったのかもしれません。

ま、そんなわけで。
今から思えば、実は仕事内容も自覚もまだまだだったのですが
(・・・今でもあまり成長していないかも・・・)
「このまま仕事を続ければ、稼げる翻訳者になれる(かも)」
という誇大妄想的大いなる誤解と
「ここで仕事を中断したら、2度と今の状態に戻れない」
というこれまた根拠のない恐れが、自分の中にあったのでした。

予定では、駐在は5年くらいということでした。
35~40歳までの5年間という、マコトに微妙な時期です。
何だかすごく取り返しのつかない5年のような気がするわけです。
50も近くなった今では「ふふん」と鼻で笑い飛ばしますけど。


でも、振り返ってみれば、その空白の5年(結果6年半ですけど)が、
自分に自信をつけてくれたような気がするのです。

オンサイト翻訳からトライアルもなく在宅に横滑りしたということで
切れ目なくお仕事を頂いていても、
自分の中に、「本当に翻訳者を名乗れるだけの実力があるんだろうか」
という不安が、後ろめたさとともに常にありました。
(「不安」の方は今でも皆無ではないですが・・・)

アメリカで英語を読み書きまくった日々は、そんな自分に
「あれだけ勉強したのだから(それなりに書けるはず、英語の解釈もできるはず)」
というソコハカとない自信を与えてくれたのでした。
いや、実はそれも過信かもしれませんけど。

翻訳作業そのものは精読だと思うのですが、
作業を進めるにあたっては、
原稿を一読して取りあえずの意味が理解できる必要がありますし、
調査の段階で、英文サイトもチェックしなければなりません。
そうした作業を、今あまり苦に思わずできるのは、
多読に慣れたせいもあろうかと思うのです。
英訳に関して言えば、「この表現昔出会った」ということも、ままありますし。


通信講座の「ひたすら調査」の方は、
私の医薬基礎体力のなさが元凶ではあるのですが、
ひたすら調べてからでなくては、課題の翻訳に進めなかったので、
これも必然的にそのような体質(?)になってしまったのでした。
講師先生の解説も「ここまで調べるか??」という内容でした。
こんなエラい先生でもここまでされるのかと思ったものですが、
そんなエラい先生だからこそ、そこまでされるのですね。
というか、そこまでされたからそんな優秀な翻訳者になられたというか。
先生の愛のムチ(=講評)は、言葉/言い回しこそ柔らかいものでしたが、
内容的には非常に厳しいものでしたから
(いや、それだけのものしか出せなかったってことなんですが)
「次回こそ」とリベンジに燃え、ひたすら調べまくったものです。
ま、結局、最後までリベンジできなかったんですけど。
(「よく頑張りましたね」とは言って頂けました<じ~ん)

でも調べて分かった時の嬉しさは、
何物にも代えがたいものがあります。
(「これでよかったんかい~」ということもありますが
<まあ、それもしっかり裏が取れたということで)

とはいえ。
これらの「量をこなす」。
最初にも書きましたが、必要に迫られ、かつ「やらされた」こと。

十数年前の私が、独学でそれをやれと言われたら、
たぶんできなかったと思います。
(始めてはみたが、途中で止めていたかと)
「何だか必要らしい」ということは頭で分かっていても、
「この先自分に必ず必要」ということが実感できていなかったから。
今の自分しか見ていなかったんですね。

そういう意味では、
その時期に中断を余儀なくされ、同時に渡米できたこと、
そのような講師先生の通信講座を受講することができたこと、
幸運であったかなあと思います。


「今を大事にする」ということを
ひしひしと感じる年齢になりつつある今日この頃ですが、
こと翻訳に関して言えば、たとえば3年とか5年とか少し長い目で眺めた時、
(さすがに、この年で10年先は見えん~)
今何をしなくちゃいけないのか、を時々考えるようにしています。
でないと、日々どうしてもラクな方に流れがちなもんで。

てことで、今は医薬英語の表現と各種文書の型を学びつつ、
統計と格闘する日々であります。
(格闘と呼ぶには一方的な負けいくさですが)


SayoのBackgroundについては「はじめに」カテゴリの記事をご参照ください。
2011.06.14 22:57 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |












管理者にだけ表示