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屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。


ツイッターに、「#そうだ洋書を読もう」というハッシュタグを作ってみました。
1本目のツイートに書いたとおり、自分が読んだり聴いたりして面白かったものを、独断と偏見で紹介していこうと思います(1冊につき1~2ツイート、不定期)。「勉強もかねて」とは書きましたけれど、「面白そう」と思うものが見つかって、手にとってみていただけたら嬉しいな、くらいの気持ちです。1998年から2020年の間に読んだり聴いたりしたものなので、1990年代から2010年代の作品が多めです(特に医療系ノンフィクション)。フィクションは少なく、しかも偏ると思うので(笑)、もしフィクション系で参入して下さる方がいらっしゃったら嬉しいです。ノンフィクションを紹介したいという方も歓迎。


私が洋書を多(聴/音)読するようになったきっかけは、旦那の米国転勤帯同です。そのときにはもう多少の翻訳経験があったので、自分の英語力にはそこそこ自信がありました。確かに、文章を読むことにさほど苦労はしませんでしたが、相手の言うことが聞き取れないことには愕然としました。
そのとき、アドバイスを求めたボランティア先図書館の部門チーフ(東欧からの移民、ほとんど喋れない状態で来米し(本人談)、5年ほどでパートタイムながら部門チーフの職を得た)の助言が「好きなジャンルのカセットブック(当時Audio Bookの主流はカセットテープだった)をたくさん聴くこと」でした。ありがたいことに、図書館には、様々なジャンルのカセットブックが多数所蔵されていました。
シドニー・シェルダン、メアリー・H・クラーク、ジェフリー・アーチャーなど、邦訳を読んだことのある作家の作品から始め、徐々に、当時の興味の中心であった医療ミステリーや医療ノンフィクションに移っていきました。ウォークマンをエプロンのポケットに入れさえすれば、家事をしながら聴くことができます。調理や後片付け、拭き掃除、洗濯物畳みなど、それぞれは短くとも、塵も積もればでトータルではかなりの時間になりました。内容にもよりますが、ひとつの作品を5~10回繰り返して聴きました(それくらいリピートしないと、きちんとストーリーを追えない)。

そのうち、借り出した本を音読することも始めました。こちらは「英語を喋る」ことが目的です。聞き取る力は向上しましたが、話す力はなかなか上達しません。英語でパッと考えをまとめられないというのが一番の理由には違いないのですが、瞬間的に「英語口」にならない、ということも関係しているのではないかと思いました。「英語口」というのは造語ですが、口の周りの筋肉や舌の使い方、喋り方のリズムなどさまざまなものを含む「英語を喋るモード」で、これに瞬間的にスイッチできないために、間投詞や感動詞を適切に挟みながら、相手に上手く伝わるように話すことができないのかなと思ったのです。

この聴読(これも造語)と音読は、2004年に帰国してからも(時間こそ短くなりましたが)ずっと続けています。音読はいずれにせよ、聴読は、家事に上乗せという形で、毎日特に「聴く」ための時間をつくらなかったことが、長続きしている秘訣かなと思います。
そして、時間があれば黙読も。音読しているものが面白くなったり本腰を入れて読みたくなったりして、黙読に切り替えることもあります。基本的にその場で辞書は引きません。
こう書くと、すごい冊数の本を読んでいるように誤解されるかもしれませんが、聴読も音読も1冊読破するのに結構時間がかかりますから、年間10冊+くらいではないかと思います。


聴/音読を続けて(個人的に)よかったと思うことは、
・ そこそこ長い文章の大意を掴むのが速くなった(仕事で、必要情報を探しながら英文資料を読むときに役立つ)
・ 単語と発音がマッチするようになった(ときどき動画に関係する翻訳の仕事があるが、自信をもって音声チェックできる)
・ 英語のリズムが身につく(自分が音読するときも、区切りや情報の重要性を考えながら、メリハリをつけて音読できるようになる)
などなど。
でも、これらは、後付けで考えてみたら「そうかな」と思うこと。私は、Amazonで「読んでみたい本」を探すのが大好きなんですよね。読者評価や商品紹介、ときにはなか身!検索も参考にしながら、ああでもない、こうでもないと悩んだ末に手に入れた本を読み進めていくのは、本当に楽しみです。こちらを読んでくださる方が、1冊でもそんな本に巡り会ってくだされば嬉しいなと思います。

でもだがしかし。

「そうだ、洋書を読もう」と言ったその口がそれ言うのか?と言われてしまいそうですが、翻訳者としては、洋書をたくさん読むだけでは不十分だということも申し添えておきます。
多読の読み方は、精読(文法を押さえながら、細部まで気を配ってきちんと読むこと)ではありません。つまり、「翻訳するための読み方」ではないのです(少なくとも私はそう思います)。
数年前までは、私も「たくさん読めばそれだけ身につく」と思っていました。けれど、翻訳フォーラム・シンポジウムや勉強会を通して、それだけでは不十分で、多読できる能力があり、その上に精読を積み重ねてはじめて翻訳する力を伸ばすことができるのだということに思い至りました(それを、日本語で表現する力ももちろん必要なのですが、主題から外れますので、ここでは割愛します)。

そのことを、『翻訳とは何か 職業としての翻訳』の「外国語を読む技術」(p125~)で、山岡洋一さんも指摘されています。
外国語を読む力には、
1 「外国語を学ぶために読む段階」(第一段階=英文解釈)
2 「外国語を道具として使いこなす段階」(第二段階、「外国語を外国語として意識せず、内容を読み取れる」)
3 「以上の二つの力を一段と高い水準で組み合わせた段階」(第三段階=翻訳のために読む段階)
の三つの段階があると分類された上で、1、2の技術を身につけていることが、翻訳に取り組む際の前提だと仰っています。外国語という意識をもたずに内容を読めるようになっていることが前提だが、「翻訳にあたっては、もう一度外国語を外国語として意識しなくてはならない。(中略)翻訳という観点で外国語を読む技術とは、外国語と日本語の違いをあらゆる面でとらえる技術である。文法構造の違いをとらえ、語の意味範囲の違いをとらえ、外国語の語や表現のニュアンスをつかんでいく」(P131)。さらに、(一般論としてことわって)こうしたことに気を配りながら、何年も大量に翻訳を続けていけば、第三段階の「外国語を読む技術」は自然に、飛躍的に高まっていくとも仰っています。

多読で身につくものもあるけれど、それだけでは不十分、それとは別に「翻訳するための読み方」があるということを常に念頭におきながら、洋書を楽しんでいただけたらなと思います。
2020.02.20 21:22 | 和書・洋書 | トラックバック(-) | コメント(0) |












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