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屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。


絶版だった『エピデミック』(川端裕人)が、BookWarkerから電子書籍化されたという(3月3日より配信予定)。

そのタイトルに引かれた読者が多いのかなと思う。
もう何年も前に読んだので詳細はうろ覚えだけれど、東京近郊の都市で、インフルエンザ様の感染症が発生し、疫学者が保健所員らとともに、原因の特定と拡大の阻止に奮闘するという話だ。最終的に感染が終息する(OR 終息の目途が立つ)という終わり方だったと記憶している。疫学についてかなり詳しい描写がなされていた。
疫学的観点からみた本書の面白さは、「市民科学研究室」さんの書評に詳しい。
https://www.shiminkagaku.org/post_57/


その『エピデミック』よりさらに現状を彷彿とさせる小説として、小松左京さんの『復活の日』を挙げられる方も多いと思うが、私がまず思い出す小説は、この『βの悲劇』だ(初出1996年、2000年に加筆・訂正の上文庫化)。夏樹静子さんが、実兄の五十嵐均さんと共同執筆された、近未来シミュレーション(1996年の執筆時点でに2000年の近未来を想定)型の小説である。

2000年8月にスペインで流行が始まった新型インフルエンザウィルス(その形状からβウィルスと呼ばれる)が、瞬く間に全世界に広がり、ひと月と経たないうちに、人類の存亡を脅かすというストーリーだ。

最初に断っておくが、これはあくまでもフィクションであり、この世界の行く末を予言するものではない。

小説で描かれる新型ウィルスは、致死率100%という狂暴なウィルスだ。その致死率の高さはウィルス自身にとっても不都合なため(宿主が死んでしまうので、増殖を続けるには確実な感染手段が保たれなければならない)、頻繁に突然変異を繰り返し、宿主の生体や生態に適応しようとする。変異の頻度が高すぎて(当時の科学技術では)ワクチンの製造が追いつかない。空気感染で容易にヒトからヒトに感染するだけでなく、鳥類(特に渡り鳥)が運び屋になり、季節風にも乗って伝播するという恐ろしいシロモノだ。現在世界各地で流行している新型コロナウィルスとは、そもそも性質がまったく違う。
(ちなみに、この小説のウィルスは――実際に、生物学的にそういうことが可能かどうか分からないが――「人体でアポトーシス(自己細胞死)を発現させる作用を獲得し」、またごく微量であっても猛烈な勢いで増殖する、と定義されている)

特に五十嵐均さんが、第一線の専門家らに念入りにリサーチされたということで、ウィルスや変異に関する記述はよどみなく、「そんなウィルスいるわけない」と思いつつも話に引き込まれてしまう。ただ、登場人物が多いせいか、人物描写が(一部を除いて)多少表層的という印象なのは否めない。とはいえ、ストーリーでぐいぐい読ませてくれる。そして、怖い。致死率100%という恐ろしいウィルスにいつ感染するか分からないのだから(今回流行しているウィルスとは、その点からしてまったく違うということを、再度声を大にして言っておきたい)。

登場人物が多いのには理由がある。『βの悲劇』は『ドーム――終末への序曲――』(1989年)*の続編でもあるのだ。この「ドーム」が、現代のノアの方舟になる。
「ドーム」は、全面核戦争の脅威に備えるため、5年の歳月を費やして南太平洋の孤島につくられた巨大建造物だ(その顛末を綴ったのが『ドーム――終末への序曲――』)。通常ドームは開いた状態で、居住定員の6分の1ずつを定期的に入れ替えながら、常時1000名がそこで暮らしている。有事にはドームを閉じて外界との接触を完全に遮断できるようになっており、その閉じた生態系で1000名が数十年生活できるよう設計されている。完成から10年、冷戦が終結したこともあり、ドームは赤字を垂れ流すお荷物的存在になりつつあった。それが、致死性ウィルスという、まったく別の脅威の登場によって、再び脚光を浴びることになる。
* 2000年に、大幅加筆・訂正の上『ドーム――人類の箱船』と改題されて刊行。

「ドーム」には厳しいテストをパスした者しか入れない規定なのだが、ウィルスに対抗するすべがないことが明らかになると、どの国もなんとか自国の人間を「ドーム」に送り込もうと躍起になる。「ドーム」建設の主唱者が日本人で、統括本部が日本に置かれていることもあり、日本政府が「政府機能を一時的にドームに移したい」と行ってきたりもする。だが、どの国も、ゴリ押ししたり武力に訴えたりというところまではいかない(最後に、生き残るべく「ドーム」のある島を目指す多くの民間船との攻防戦が描かれるはするが)。夏樹さんは、あえてそういう汚い部分に触れない書き方をされたのかもしれないが、『ドーム――終末への序曲――』で、国や民族、権力者の思惑が何度となく「ドーム」建設の前に立ちはだかり、すったもんだの末に「ドーム憲章」がつくられた経緯があることを思えば、「どの国も『ドーム』を不可侵の領域としてとらえているのかもしれない」と思えなくもない。どの国にとっても、「ドーム」は希望の星なのだ。

小説は、建設以来はじめて「ドーム」の大屋根が閉じられるところで終わる。


中国でのコロナウィルス感染拡大のニュースを目にするようになってすぐに、この小説のことを思い出した。
けれど、記憶の中の『βの悲劇』は、現実とあまりにもシンクロしていて、しばらく怖くて手に取ることができなかった。今回『エピデミック』の電子書籍化が発表されたのを機に思い切って再読してみたら、思っていたより現実と違っていて、最後まで冷静に読み進めることができた。ウィルスがじわじわと人類を滅亡という河岸に追いやっていく様子は、やっぱり怖いけれど。

『βの悲劇』の登場人物は多くが、困難に毅然と立ち向かう、あるいは運命を受け入れる、あるいは他人(や国民や人類)のために何ができるかを考える人々だ。「自分だけが助かればいい」という人物は少ない。政府機能の疎開を打診した日本政府さえ、「有事」にはドームを守ることを示唆する。少し頼りない感さえあったフランス大統領は、最後に、疎開先のニューカレドニアから「ドーム」代表の吉田に、テレビ電話で「欠点だらけのどうしようもない人類がこの先も生き続けられるように、どうか頑張ってください」と呼びかける。
実際「そういう事態」が起きたらそんなきれいごとでは済まないのが現実なのかもしれず、そうした多くの登場人物たちは、夏樹さんの「祈り」そのものであったのかもしれない。

好みの分かれる小説かなという気もするが、興味が湧いた方は、できれば『ドーム』と併せて読んでいただければ。
2020.03.04 20:55 | 和書・洋書 | トラックバック(-) | コメント(0) |












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