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屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。


(…なんて捻りのないタイトルなんだろう…)

先日、ツイッターで、山岡洋一さんの『翻訳とは何かー職業としての翻訳』の一部を紹介し、それについて思うことを三連投しました。内容は以下のとおりです。

1
「翻訳とは、原文の意味を読み取り、読み取った意味を母語で表現する作業である (中略) そして、翻訳は学び伝える仕事である。学んだ内容を伝え、伝えるために学ぶ。力のある翻訳者なら、この過程で、どんな専門家もかなわないほど、どんな実務家もかなわないほど、深く理解する」『翻訳とは何か』(山岡洋一)から(P.100)
2
どんなに学んでも専門家の理解を超えることはできないのではと、私は思う。それでも、学びに際し「専門家を超えるくらい頑張ってやる」という気構えと深い理解は必要。「どうせ超えられないし」と自分を甘やかしてしまっては、そこから先に進めない。
3
そして、もうひとつ大事なのは「伝えるために学ぶ」ということ。学びは大切だけど、学びが目的になってしまっては本末転倒。つねに「誰かに伝えるのだ」という意識を忘れないようにしなければ(翻訳を始めたら無意識のうちに必ずそのスイッチが入っているのが理想なのだろうな)。


学ぶ目的をはき違えてはいけないけれど、それでも、翻訳をやめるその日まで、翻訳者は学び続けるべきなんじゃないかと、私は思っています。

仕事以外のまとまった勉強以外に、日々の仕事そのものからも、何かしら学ぶことはあります。惚れ惚れするような参考資料を頂くこともありますし、ナルホドと納得できこちらの不勉強を恥じるようなFBを貰ったこともあります。特に、経験の浅い頃は、分野独特の表現や用語など、たくさんのことを学ばせてもらいました。「?」な原文さえ反面教師になります(あまり出会いたくはないですが)。

けれど、(仕事も含めて)毎日が勉強と意識しつつ、同時に、納品物は商品ということも忘れないことが大切だと、ここ数年強く思うようになりました。

実際は、納品後、確認・修正・表現変更などの過程を経て、自分の翻訳物が顧客の手に渡るには違いないけれど、「そのまま顧客の手に渡っても問題ない」と思えるレベルの訳文を、毎回納品する。「商品」なのだから、妥協はしないし、甘えもしない。手もかける。学びに時間を費やし、参考書籍にお金を費やし――と、それなりに元手もかける。だから、どんな単価でもいい、ということはない。安売りはしたくない。下げ圧力があっても「下限はここ」は譲れない(まあ、それがそもそもそんなに高くないということはありますが)。

「仕事=学び」という意識が強かったせいでしょうか、私は、かなり長い間、学びの成果物=商品という意識が希薄だったように思います。
けれど、「商品」意識をもつことで、商品価値という視点からも、ものごとを考えるようになりました。ただ、「学ぶことが好き」「知識が増えるのは嬉しい」「訳すのはしんどいけど楽しい」だけではなく(それが翻訳を続ける上での一番の原動力ではあるのですが)、「商品」を意識することで、「大事にしたい」という気持ちも強くなったような気がします。


ツイッターの「学びが目的になってはいけない」に関連して色々考えていて、「日々学び、仕事も学び、でも『商品』意識も忘れず」といったようなツイートをしたのですが、舌足らずのツイートになってしまいましたので、ブログ記事にしました。連投できるとは言っても、140字という制限の中で伝えたいことを的確に伝えるのは本当に難しいです。
2020.03.09 00:34 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |












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