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屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。


『泣き童子-三島屋変調百物語参之続』の感想文はコチラ

「四之続」とあるように、『三島屋変調百物語』の4巻目です。

主人公のおちかは、心に深い傷を負い、その傷を癒すことができればとの叔父夫婦の計らいで、夫婦の営む袋物屋「三島屋」の奥座敷で、不思議な話を語る客たちの聞き役を務めることになります。奥座敷「黒白の間」を訪れるのは一度にひとりきり。決まり事はただひとつ、「聞いて聞き捨て、語って語り捨て」。最初はただ話を聞くだけだったおちかでしたが、『あんじゅう』(事続)では人と交わることが増え、『泣き童子』(参之続)では外に「百物語」を聞きに行くなど、少しずつ外の世界に積極的に関わるようになっていきます。

この『三鬼』では、幼い語り手を上手に導いたり(「迷いの旅籠」)、こちらから語り手(候補)に声を掛けたり(「食客ひだる神」)と一層の積極性をみせるとともに、武士の訪問にも動じない(「三鬼」)など、さらなる成長が示唆されます。そして、最終話「おくらさま」は、舞台から去る人あり、新たに登場する人あり、さらには「自分たちと同じように生きてはいけない」と諭す老女ありで、今後の物語のあらたな展開を予感させます。

個人的には、クスッと笑えて、でもあとにしみじみとした淋しさが残る「食客ひだる神」が好みですが(「暗獣」に通じるものがあります)、「おくらさま」も面白かった。それまでの百物語は、「語り手が語る」が基本で、その後にちょっとした後日譚がつくという感じなのですが、「おくらさま」では、結構早い段階で語りが終わってしまい、その後「あの語り手は誰だったのか」の探索にかなりのページが割かれていました。新たな登場人物のお披露目の意味もあったのかなと思いますが、構成的に新鮮でしたし、謎解き小説を読んでいるような面白さもありました。語り手の老女は、いまわの際に「自分たちのように(自分で自分を閉じ込めて時を止めるようなことに)ならないで」と言い残して亡くなるのですが、この言葉を真剣に受け止められるようになった分、おちかも立ち直り、そして人間としても成長したということでしょうか。

本当に百話まで語られるんでしょうか。読者を飽きさせず、さまざまに趣向を凝らしながら、あとまだ七十数話を書き続けなければならないわけで。ゆっくりと追いかけていこうと思います(現在、連載では、六之続の物語が語られているようです)。


ちょうど、誰もが、肩の上に重石を載せられたような気分で過ごしているであろう今日この頃。「語ること」について、ちょっと考えさせられました。全部が全部というわけではないけれど、『三島屋百物語』では、「語って楽になりたい」「語って覚悟を決めたい」「語って決断したい」「誰かとこの話を分かち合いたい」という語り手が多い印象です。「語る」ことで、カタルシスとまでは言わないけれど、それに近いものが得られるのでしょう。そして、それは、物語の中だけには留まらず、実生活でもそうなんじゃないかなと思います。実際、自分の周囲には、(翻訳者の方もそうでない方も)饒舌になった方が多い印象です(含:自分)。
書いたり語ったりすることで、溜まったものをちょっと吐き出すことができる。そして、そこにちょっとだけ新鮮な空気を入れる余裕ができる。また溜まれば吐き出す。それを繰り返して、この時期をやり過ごしていくことになるのかもしれません。少なくとも、私はそんな感じかなあ。


他の作家の作品も手にとるべきなのでしょうが、「こんなときだし、溜めておいた好きな作家の作品を」ということで、次は『孤宿の人』(宮部みゆき)に手を出しました。ときどき音読しながら、一気に行きたいという気持ちを抑えて、大事に読んでいきたいと思います。
2020.04.20 00:57 | 和書・洋書 | トラックバック(-) | コメント(0) |












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