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2020. 08. 26  

翻訳フォーラム:高橋さきの・井口耕二・高橋聡(帽子屋)・深井裕美子

 今年は翻訳フォーラムのシンポジウムが中止になったため、(YouTubeは別として)4人が丁々発止のやり取りをされるのをリアルタイムでお聴きする貴重な機会となりました。

 表題のセッションが開始される前に、まず、「英語力がなくても翻訳者になれる、高収入が得られる」と謳い高価格の翻訳講座を提供する翻訳学校に対する注意喚起がありました。実際に少しでも翻訳をやられた方なら、相当の英語読解力がなければ、継続して仕事を得ていくことは不可能に等しいということがお分かりになるのではないかと思います。そして実際、私の周りでは、相当の英語読解力の持ち主の方々が、日々自己研鑽に励んでおられます。この「注意喚起」が一人でも多くの翻訳学習者の方の目に触れることを祈ります。

 続いて、深井さんから、高校で講演を行うために翻訳者二百数十名に訊いたアンケートの結果が呈示されました。その結果をいくつかのキャリアパスにまとめようとしたが、あまりにもパスが多岐にわたりすぎて図表にまとめられなかったとのこと。「翻訳者のなり方」はそれほど千差万別なのだという前振りから、いよいよ、話は本題のひとつ「翻訳者のなり方」に入っていきます。

1 翻訳者のなり方―では翻訳フォーラムの4人はどうやって翻訳者になったのか?
(個々の発表の内容は割愛し、記憶に残った部分と私見(括弧内)のみを記載します)

さきのさん「専門とする分野の文章を自分で書けるようになるところから始まる」
(さきのさんは、非専門職転職者ならこれくらいの勉強は必要という文脈で、この言葉を仰ったと記憶していますが、実際にそこまでになっておけば、それは強みになると思います。たとえば、医薬の分野でしたら「メディカルライティングもできてきちんと翻訳もできる」というのは大きな強みになるかと。)

帽子屋さん「無駄になった経験はない」
(あとで取り出すことができるようにものごとを自分の中に取り込む、ということを繰り返して来られた結果がこの言葉となったのではないかと思ったりしました。)

井口さん
(淡々と「こうやって翻訳者になりました」と経験を語っておられましたが、並々ならぬ努力をして来られたと思います(どれだけのことを考え実践して来られたかは井口さんのブログを読めば分かります)。それは、ひとり井口さんのみならず4人全員がそうではないかと思います。つい皆さんのことを「一握りの頂点に立った方々」で「自分とは違う」と考えてしまいがちですが、それでは自分は同じだけの努力をしてきたのかと自分の胸に向かって問うとき、私は黙って頭を垂れるしかないのです。)
Buckeye the Translator

深井さん「自分の経験・強みを足がかりに、できることは精一杯やる、できないことは断る勇気をもつ」
(最初のうちは「断ったら次がないかも」と背伸びをして仕事を受けがちな時期がありますが、「できないものは断る勇気」、これを忘れないことは大事だと思います)

「4名中3名がスクールに通わずに翻訳者になった」
(私自身1990年前後にスクールに通った時期がありましたが(でもキャリアは17年くらいなんだけど…2020-1990で計算しないでね)、当時は、スクールといえば出版翻訳が中心で、特に実務翻訳については、今ほどスクールで学ぶ→登録(OR トライアル受験)というルートが確立していなかったように思います。なので、「スクールに通った方がいいのか」という点に関し「3/4が通っていない」という回答は、そういう時代背景の違いも加味して考えた方がいいかもしれないとフと思いました。現在は、スクール→登録という太いパイプを活用するのも一つの手だと私は思います。ただ「自分が何をやりたいのか」「スクールで何が学べるのか・学びたいのか」という点をハッキリさせて学んだ方がいいとは思います。)


2. 翻訳者の続け方―では翻訳フォーラムの4人はどうやって翻訳者を続けてきたのか?(続ける努力をしたのか?)

さきのさん―ひとりで勉強する+仲間の話を聞く(この「仲間と学ぶ」をOJTと表現されましたが、ナルホドと思いました)。初学者はベテランのやり取りを見聞きするだけで勉強になる。
(いつ頃から仲間の話を聞けばよいのかというのは、人によって千差万別ではないでしょうか。一つの指標になるのは、翻訳年数ではなく「自分の問題点や足りない点が分かっているかどうか」ということではないかと思います。それがある程度掴めるまでに時間がかかる方もいらっしゃれば、反省と振り返りを繰り返して短時間のうちに自己分析ができるようになる方もいらっしゃるでしょう。私は前者タイプなので、たとえば、翻訳をはじめてすぐの頃にシンポジウムに参加していたら「素晴らしい話を聞いた!!!」のみで終わっていたかもしれません。ただ、だからと言って、勉強中や駆け出しの頃にそうした話を聞くのは無駄だというものでもありません。諸先輩方の圧倒的な熱量は確実に伝わりますし。要は「素晴らしい話を聞いた」で終わらず「自分に今一番必要なものは何か」を常に考える姿勢を持ち続ければよいのではないかと思います。)

帽子屋さん―自分から情報発信することが重要。
(発信する内容も大事かと思います。声が大きいだけでは、最初は注目されてもあとが続かないかも。)

井口さん―どういう考え(基本原則)の下に続けてきたかを主に語られました。具体例も併せて知りたいという方は、『通訳翻訳ジャーナル2020年秋号』の「ピンチの乗り越え方」特集への井口さんの寄稿を読まれるのがよいと思います。仕事は「やりたい仕事」「お金を貰えるならやってもいい仕事」「やりたくない仕事」に分類されるという話がありましたが、これを自分の中でハッキリさせておくことが大事なのかなと。心穏やかにHappyに長く仕事を続けるためには、特に、真ん中の「お金を貰えるならやってもいい仕事」について、自分の中で「ここまでなら」という許容ラインをきちんと設定しておくことが重要かなと思いました。しなきゃ。(あー、なんか、話の内容と私見がごっちゃになってしもうた!)

深井さん―(ニフティ時代の翻訳フォーラムを通じ)上の世代の先輩から様々なことを教えて貰った。これからは下の世代の後輩にできるだけのものを伝えていきたい。
(これは、常々深井さんが仰っておられることで「恩送り」という言葉で表現されています。皆さんこういう姿勢でいらっしゃるので、こちらが(自分でできるところまでやった/調べた上で)教えを請えば、それこそ一を訊いて十を教える(いやそんなことわざはないけど)勢いで教えてくださいます。)


このあと、4名の対談になるハズが、Q&Aへの回答合戦になり、予定時間を15分延長してもまだ終わらず、後日何らかの形で回答できるようにするということでセッションは終了しました。常時500名ほどの方が視聴されていたということです。


以下は、順不同に、セッションを聞いて考えたこと。

「昔はよかった」のか?
私は、自身が翻訳をしていなかった時期も含めて、かなり長い間翻訳業界を遠く近く見てきたのではないかと思っています。その上で「昔の方がよかったこともある、今の方がよいこともある」というのが正直なところです。平均単価的なことをいえば「昔の方がよかった」と思います。私は、1995年頃と2009年の2回、同じ職場で派遣翻訳を経験しましたが、時給は後者の方が300円安かったです(仕事の中身は後者の方が難易度高だった)。また昔は周りに仲間がおらず、「翻訳フォーラム」などの集まりに参加しなければ本当に孤独でした(私は当時月刊誌だった『通訳翻訳ジャーナル』が唯一の情報源で、常にこれでいいのかと不安でした)。昔の方が調べものの手間は大変だったと思います(図書館や書店に通ったり)。また、JKやKODのような信頼できるオンライン辞書や串刺し検索もありませんでした。――じゃあ、どちらがよかった(よい)のかと問われれば何とも言えません。今の方が工夫する選択肢は広いように思いますが、逆に選択肢がありすぎて悩ましいという部分もあるような気がします。ただ、時代が変わっても、「考えて乗り切っていくのは自分、自分の人生や仕事の責任をとれるのは自分しかいない」という部分は変わらないのではないでしょうか。

Q&Aの中で、「厳しいことを言うようですが」と前置きした上で「自分で調べれば分かるような質問が複数あります」という回答がありました。厳しい回答をする方のほうが、質問者のことを考えているのではないかと私は思います。厳しい回答をするのは言う方も辛い。相手の喜びそうなことばかり口にしているのが一番ラクです。でも、本当に相手に「ここが違う」ということを気づいてもらいたいときは、あえて厳しい回答をすることもあるのではないかと思った次第です。

あせらぬ勇気も
コロナ禍の今、さまざまなセミナーや集まりがオンラインで開催されるようになりました。聞きたいセミナーが目白押しで、ときには、同じ日の同じ時間にかち合うなど、地方在住者には以前なら考えられなかった事態になったり。つい「あれもこれもそれも」と思いがちです。そして、それができないと、なんだか取り残された感を感じてしまう……でも、あせらず「今自分に一番必要なセミナーはどれか」をよく吟味して参加し、その代わり得たものはしっかり自分のものにするという進み方があってもいいかなと思います(←私はどちらかというとこちらのタイプ>一度に一つのことしかできない)。


 エラそーなことも書いてきましたが、私自身まだまだ、迷い悩み、行きつ戻りつし、彼我の差に落ち込み、できない自分にがっかりし、ちょっとした褒め言葉に舞い上がり、気を取り直して勉強に励み……を繰り返す毎日です。でも、何年翻訳をやろうとも、翻訳者ってだいたいこういう人種(?)なのではないでしょうか。

 今回のセッションでは最後に不意打ちがありました。さきのさんが「(後輩には)自力ではしごを上ってきてほしい、自力で上ろうとしている人はわかる、惜しみなく手助けする」というようなことを仰ったとき、涙が止まらなくなってしまったのです(顔の見えないウェビナーでよかったと思いましたね、ええ)。あとになって、「なぜ、あのとき?」と考えてみて、「(上がれたかどうかは別として)上ろうともがいてきた」という自覚がどこかにあったからかもしれないと思いました。だから、「惜しみなく助ける」という言葉をかけて頂けたことが(そして実際にそうして貰っています)本当に嬉しかったのだと思います。

 とても中身の濃いセミナーでした。ありがとうございました。
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プロフィール

Sayo

Author:Sayo
医療機器の和訳も9年目。
老眼腰痛、最近は膝痛とも闘いつつ
翻訳人生をまっとうしようと奮闘中。
この頃になってやっと翻訳の奥深さ・
難しさ・楽しさが分かってきたような。
記事は「翻訳一般」多め、ときどき読書感想文、本業(医療機器)やや少な目。
(2019年4月現在)

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