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2020. 10. 30  

書籍のあとがきは原井先生が書いてくださいました。
なので、私は、一人でも多くの方に本書を手にとってもらえるよう、全力で訳者感想文を書きます。

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 テクノロジーが診断や治療の中心となりつつある現代医療においても、医師と患者のコミュニケーションが、質の高い医療を実現するための重要な要素だということに、だれしも異存はないだろう。だが、実際どの程度重要なのだろう? そもそも医師と患者はきちんとコミュニケーションがとれているのだろうか? 前著『What Doctors Feel』(邦題『医師の感情:「平静の心」がゆれるとき』)で医師の感情が医療にどのように影響を与えるかを考察したオーフリ医師は、本書では、コミュニケーションというやはり実体の掴みにくいものを考察の対象に選んだ。それこそがもっとも重要な診断ツールではないかと考えたからだ。そして、研究を紹介し数字を示しながら、コミュニケーションに関するさまざまな疑問を解き明かしていく。数字を用いた論考の前後には診察室での自身の経験や取材によって得たストーリーが散りばめられているので、読者は、自分にも関わりのある身近な問題としてコミュニケーションを捉えることができる。

 医師が途中で話をさえぎらなければ、患者は本当に――医師がおそれているように――際限なく喋り続けるのだろうか(第3章「相手がいてこそ」)? コミュニケーションは定量できるだろうか(第4章「聞いてほしい」)? 医療従事者の態度は術後の患者の回復に影響するだろうか(第6章「なにが効くのか」)? 話を聞く側は何もしなくてよいのだろうか(第8章「きちんと伝わらない」)? 医療過誤が生じたとき患者が医師や医療機関にもっとも望むことは何だろう(第10章「害をなすなかれ、それでもミスをしたときは」)? 医師は患者が本当に伝えたいことをきちんと聴き取れているだろうか(第11章「本当に言いたいこと」)? 医師に偏見はないのだろうか(第13章「その判断、本当に妥当ですか?」)?
 こうした問いのすべてについて、必ず研究の結果が数字とともに示される。

 BLM運動がアメリカ全土に波及し、日本のメディアにも取り上げられるようになった頃、私はちょうど医師の偏見を扱った章(第13章)を訳していた。医師は、人種的偏見はもちろんどのような偏見とももっとも縁遠い存在のように思えるが、決してそうではない。オーフリ医師は、潜在的連合テスト(IAT)の結果を示しながら、そのことを証明する。同時に、患者と自身のやりとりを振り返り、自分にも潜在的な偏見があるのではないかと自問する。
 本書がすぐれているのは、記述がそうした考察に留まらない点だ。オーフリ医師は随所で改善方法を提案する。たとえば、この章では、たとえ感情が追いつかない場合もまずは行動で偏見を抱いていないことを示すよう求めている。そうすればいつか潜在意識も変化するかもしれないし、何より研修医や看護師への模範となる、と。それくらいのことで人種差別の問題を解決できないことは明らかだが、それでも内なる偏見を直視し行動を変えることは小さな一歩であるにちがいない。

 全体をまとめる最終章では、本書を執筆するまで、オーフリ医師自身コミュニケーションは「息をするようなもの」だと考えていたことを告白している――呼吸困難に陥ったときだけ「治療」すればいい。だが、本書の各章で示されるとおり、コミュニケーションは、息をするように簡単な、無意識のうちにできるものではない。適切にコミュニケーションをとるには不断の意識的な努力が必要だ。だが、そうやって得られる恩恵は計り知れない。決してテクノロジーによって脇に押しやられてしまってよいものではないのだ。

 この本を訳してから、私は、診察の場で患者としてできることを実践している。その日必ず伝えたいことを三つ(頭の中に)書き出し、それを全部口にするまで医師との会話を終わらせないのだ。こう書くととても簡単なように聞こえるが、医師が会話を引き取ろうとするのをやんわりさえぎり、無言の圧に屈せずにいるのはなかなかむずかしい。けれど、不思議なことに、診察のあとは「言わなければならないことは言った」という満足感に包まれ、「先生はそれをもとに診断を下したのだから言うとおりにしよう」という気持ちになる。患者の側も「伝えたいことをきちんと伝える」ことで、確かに何かが変わるような気がする。

 本書は、医師と患者のコミュニケーションを扱ったもので、医療従事者や医学生を読者に想定している。だが、二人の人間がいるところには必ずコミュニケーションが生じるものだ。それは決して医療の世界には留まらない。一人でも多くの方に手にとっていただき、コミュニケーション、特に「相手の話をきちんと聴く」ことの大切さについて、改めて考えてみていただきたいと思うものである。

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 みすず書房に連絡をとり「共訳やりますか」と声をかけてくださった原井宏明先生、書籍翻訳ははじめての私に共訳を任せ、要所々々で鞭を当て、励まし、どんな質問にも丁寧に答えてくださったみすず書房の担当編集者、田所俊介さんに心から感謝いたします。
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プロフィール

Sayo

Author:Sayo
医療機器の和訳も9年目。
老眼腰痛、最近は膝痛とも闘いつつ
翻訳人生をまっとうしようと奮闘中。
この頃になってやっと翻訳の奥深さ・
難しさ・楽しさが分かってきたような。
記事は「翻訳一般」多め、ときどき読書感想文、本業(医療機器)やや少な目。
(2019年4月現在)

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