屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

葬儀のことなど書いておりますが(たいした内容ではないですけど)、「そういうのはちょっと(どんなものでも)読みたくない」と仰る方もおられるかもしれません。
ので、申し訳ないのですが、本日の記事について、
この先のスクロールは、ご自身の判断にてお願い致します。


百ケ日。
無事終わりました。
といっても、四十九日と同じで、お寺でお経をあげて頂いて、お墓にお参りして終わりですけど。四十九日を終え、満中陰志(という表現を使用するのは関西方面だけなんですね<いわゆる香典返しです)をお送りして、葬儀にまつわる一連の行事(?)は一段落なんですけど、百ケ日が終わると、mustな法要が「終わったー」て感じで、ちょっとほっとします。
百ケ日は、ご存知の方も多いかと思いますが、別名を「卒哭忌」と言い、「故人のために激しく嘆き悲しむ(慟哭する)のは今日で終わりにしましょう(卒業する)」という意味の節目の日とされています。と言っても、「はいそうですか」とその日を境に切り換えられるものではないですが(←一般論<個人的には、すでに淡々と日常生活を営んでいます)、そのように自分に言い聞かせるためのけじめの行事が、百ケ日の法要なのかなと思います。

四十九日が終わって落ち着いても、「寂しい」とか「悲しい」とかいう感情は湧かなかったです。ただ、折に触れて、「申し訳なかった」「可哀そうな最後だった」と、母を哀れに思います。仕方なかったこととはいえ、娘に病院に放り込まれ、結果、誰にも看取られずに亡くなったわけですから。そうなった原因のひとつとも言える、もともとeccentricな性格のよりeccentric 化が、そのような型として現れる認知症の結果であったとしたら、「認知症」とは、何と恐ろしく悲しい病気なのだろうと思います。医薬翻訳に「この分野」という専門を作る予定は今のところないのですが、もし「ひとつだけ何か」と選択を迫られたとしたら、「認知症と老化」をあげると思う。まあ、自分の行く末について調べるわけだから、怖いっちゃあ怖いですけど。あと、自分にも、その同じ遺伝子(遺伝と決まったわけではありませんが)が組み込まれていると思うとね。

さて。
その母の葬儀ですが。

家族葬に致しました。私、本当に係累の少ない人間なんで。
通夜と葬儀に父方の遠い親戚(でも近くに住む)が2人出席して下さいましたので、旦那と私を含めてmax 4名、喪主としては、超楽な通夜葬儀でありました(旦那の祖母が亡くなった時、長男の長男の嫁の立場で、義母のサブとして皆様のおもてなしを手伝いましたので、「それなりに係累が多く近所付き合いの濃い場合の普通の葬儀」というのも、いちおう経験しておりまして、普通の喪主家族の大変さも、多少は分かっているつもりです(ハズ)<町中ですが、イマドキ「隣り組」(!)など存在する古くからの土地柄です)。

葬儀後、義母や友人を始めとする何人もの方から、「家族葬ってどんな感じ?」という質問を受けました。核家族化・少子化の進むこのご時世を反映してか、皆さん、家族葬なるものにかなり関心があるようでした。どのような葬儀にするのがよいのかは、本人の遺志、親戚の数と付き合いの濃さ、友人とのつながりの深さ、仕事関係、土地柄など、種々の要因を考慮して決めなければならないと思うのですが、「本当に最後の別れを惜しみたい人たちに送られる」というのが、本来、一番幸せな(という言葉は語弊があるかもしれませんが)葬儀なのだろうなあと思います。

とはいえ、実際問題として、家族葬のお値段が気になる方もあろうかと
(そういうことは、なかなか周りに聞けないですよね)。
ということで、ご参考までに、私の行った家族葬の概略を下記しておきます。

中堅どころの葬儀社(A社)の家族葬専門会館で行ないました(この会社は、市内にもうひとつ、普通の葬儀を行なうための会館を所持しています)。会館には、10名までの少人数用の和室(とそれに付随する控室)と、10 ~ 30名までの人数用の小ホール(とそれに付随する控室)があります。お借りしたのは、前者の和室の方です。
結果的に、家族葬専門会館を持つ葬儀社にお願いすることになりましたが、これは意図したものではなく、病院提携葬儀社がこの会社だったということです(どの葬儀社にお願いするとしても、家族葬にすることは決めていました)。

料金体系は、20万円ほどの基本料金に様々なオプションをプラスしていくというもの。一応基本料金と謳ってはいますが、それだけで普通に通夜葬儀を営むのは不可能なサービス体系となっておりまして(たぶん、どこもそのような感じなのだと思いますが)、最終的に、葬儀社には、40万円ほどの代金を支払うことになりました(関西の一地方都市の参考料金です。祭壇、生花、火葬場までの車代、火葬場使用料など、通夜葬儀を行なうのに必要な一応のサービスは全て含まれていますが、通夜振る舞い、精進落としなどの料理代金、僧侶への御礼は含まれません)。
通夜・葬儀の進行は、基本的に普通の葬儀と同じです。人数が少ないため、司会進行をして下さる方がいないとか、喪主挨拶がないとか、小さな違いはありますけど。

ちなみに、伯母の葬儀(4年前)も、別の少し大手葬儀社(B社)にお願いして、ほぼ同じ規模の家族葬にしましたが、この時は、葬儀社支払代金は30万円ほどでした。
お値段だけを比較すると、かなりの開きがありますが、サービスやら祭壇のしつらえやら、様々な点を総合すると、今回の葬儀の方が満足のいく内容となりました。(1)B社の場合は、別にスタッフに寸志を包まなければならなかった、(2)B社は基本的に普通規模の葬儀がメインのようで、「どう見てもここは控室」的な部屋で「急遽用意しました」的しつらえの祭壇を前にしての葬儀となった、というのが、今回の葬儀の方を「よかった」とする大きな理由です。
お世話になったスタッフの方の態度は、どちらも、配慮の行き届いたものでしたが。

肉親の死に立ち会った時、まずはその死を悼むべきなのかもしれませんが、喪主としては、実際問題として、まず、「葬儀社どうしよう」「誰と誰に連絡しよう」「現金引き出さなきゃ(主として僧侶への御礼用)」を考えなければなりません。

伯母の葬儀の時は、右も左も分からず、本当におたおたしてしまい(腸閉塞→腸管破裂→敗血症で、入院2週間ほどで亡くなりました)、葬儀社の担当営業の方が教えて下さるままに、勢いだけで済ましてしまった部分があって、あとから「こうすればよかった」「ああもしてやりたかった」ということが、たくさん出てきてしまいました。
親の葬儀って、正直触れたくない部分ではあると思うのですが、ある程度の年になったら、それなりに考えておくべきことなのかもしれません。

で。
伯母の葬儀の後、「こうすればよかった」と思ったことのひとつに、「遺影」がありました。通夜までに引き伸ばし写真を用意しなければならないので、葬儀社も遺影用写真だけは早くほしいようで、といっても伯母の写真なんかどこにしまってあるのか分からず、動転してしまった母は役に立たずで、唯一手元にあった、身体障害者手帳の写真を遺影にしたのでした(ごめんしてね)。

ということで。
母の遺影は、桜の下で満開の笑み、であります。


SayoのBackgroundについては「はじめに」カテゴリの記事をご参照ください。
2011.07.14 23:45 | 両親のこと | トラックバック(-) | コメント(0) |












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