屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

月日の経つのは、早いものです。
同時多発テロの発生から、丸10年が経とうとしています。

・・・

年取ったよなあ(しみじみ)。

・・・

じゃなくて。


当時私はアメリカに住んでいました(東海岸ではありませんでしたが)。
その日私は、朝から婦人科の予約があって出掛けていまして、でもって、当該婦人科の待合室にはTVがありませんでしたので、テロの一報を知ったのは、帰宅途中にCar Wash Serviceのお店に立ち寄った時でした。平日の午前中なので、いつもは閑散としている待合のTVの前に人だかりがしています。いつもはEnglish-speaking shyな私も、さすがに、CNN Headline Newsに見入るおっちゃんに「何事ぞ」と聞いてみずにはおれません。おっちゃんは、「おまえ何も知らんのか」という顔で
「Pentagonに飛行機が突っ込んだらしい」
と教えてくれました。確かに、画面では、見慣れたペンタゴンからもくもくと煙が上がっています。さらに、おっちゃんは
「Twin Towersにも飛行機が突っ込んだらしい。Terrorist attackだ」
とも。

でも、その後、実は、私、焦るでも慌てるでもなく、スーパーに寄って買い物などしてから、のほほんと帰宅しているのです。住んでいたのは、郊外の住宅地で、飛行機が突っ込んでくるような目標物もなく、東海岸は、感覚的には「関西から見た北海道」みたいな感じでしたから、自分には大きな関係のない、遠くの出来事のように思われたのでした。まだ、2機目の飛行機が突っ込む映像を見る前でしたから、「飛行機が突っ込んだ」と聞かされても、現実味が湧かなかったということもあります(英語の情報だしね)。

で、帰宅してみると。
留守番電話のランプが点滅しています。
両方の実家と、旦那の(アメリカの)同僚(日本人)と、同上司(日本人)と、旦那から、留守録が入っていました。

実家からの電話は、私たちの無事を案じるものでしたが、その頃には、地理に弱い家族たちも、私たちの住む場所を、アメリカ大陸の地図の上で指させるまでになっており、東海岸からそれなりに遠いということも分かっておりましたので、留守録も、あまり切迫感のない「あんたら大丈夫だよね」というものでした。旦那同僚からの電話は声が上ずっていて、「今、Sayo旦那さんの無事を確認中ですからっ」という内容。実は、旦那は、その2~3日前からPortland(西海岸のWashington州)に出張中だったのです。私は、前夜の電話で、本人から「明日は同じ場所(飛行機の移動はない)」と聞いていたので、旦那の安否については、あまり心配していませんでした。でも、旦那同僚さんは、今日は旦那の移動日ではないということをご存知なかったようでした。その暫く後に録音されていた旦那上司からの電話は、「Sayo旦那さんとは連絡取れましたので、安心してください」というもの。最後の録音は、旦那本人からの無事を知らせる電話でした。

それから、居間のTVをつけ、CNN Headline Newsにチャンネルを合わせます。もちろん、breaking newsの最中です。ちょうど、Twin Towersが倒壊する場面でした(というか、その時点ではすでにビルは倒壊していて、私が見たのは録画だったんですけど)。暫く見ていると、2機目の飛行機がビルに激突するシーンが再放映されました。

ことココに至って、私は、やっと、尋常ではないことが起こっていることを認識したのでした。

といっても、「怖かった?」と聞かれれば、あまり恐怖感はありませんでした。
(私が「怖い」と実感する日々は、その1ヵ月後にやってくるのですが、それはまた「下」で)
「飛行機による自爆テロ」というやり方が、あまりにも非現実的(当時)だったからかもしれません。もちろん、漠とした不安はあって、近所の日本人奥さん、ボランティア先の図書館の同僚、学校のクラスメート達とは、「これからどうなるんだろうね」という話はよくしましたけど。

旦那はPortlandに暫く足止めを食らい(当初飛行機が飛ばなかったのと、帯同していた日本からの出張者が無事に日本行きの飛行機に乗れるまで一緒に行動するようにとの指示が出たため)、1週間後にやっと帰宅することが出来ました。「これから飛行機に乗る」という電話があってから「(自宅最寄りの空港に)着いた」という連絡が入るまでは、さすがに「無事に帰って来てね~」と祈りました。

1週間後くらいに、ブッシュ大統領(当時)が、議会演説を行なったのですが、その映像がLiveで放送されました。かなり過激なその内容はさておき、1フレーズ毎に起こる異様なまでに熱狂的なstanding ovationを、愛国心の発露として羨ましく思いつつも、よくも悪くもこの高揚した状態のまま突っ走ってしまうのではないかと、一抹の不安と恐怖を感じたものです。

個人的な影響といえば、その秋に予定していた一時帰国を「自粛」しなければならなくなったことくらいで、毎日の生活に大きな変化はありませんでした。TVのニュースは前より頻繁にチェックするようになりましたけど。

その冬でしたか、ボランティア先の図書館で、立ち話を交わす仲だった(どちらも英語が母国語ではないので、時々ちょっと頓珍漢な会話だったりしたのですが)エジプト人スタッフが、「残念だけど、もう戻って来ないと思うよ」と言い残して、家族と共に母国に帰国しました。それだけが原因ではないかもしれませんが、秋に、彼のお兄さんが道でいきなり殴られる(というのは彼から聞いた話ですが)という事件がありましたし、本人もスーパーなどでジロジロ見られると嘆いていましたので、テロが大きな影響を与えたのは間違いないと思います。
通っていた学校にも、中東originの生徒は多く(女性の中には、普通にブルカを被って登校している生徒もいました)、暴力沙汰こそ起こりませんでしたが、言葉による小さな暴力(?)は多少あったようです(「あったようです」というのは、また聞きの話のためで、真偽のほど&程度は不明ですが)。
実際に新聞等で取り上げられた事件もありました。悲しいことですね。

消防士さん達の頑張り、NY市民の助け合い、4機目の飛行機の目的達成を未然に防いだ乗客達(let’s rollと先頭に立った方は地元の方でしたので、Sayoの住む地域の新聞では、かなり長きに渡って、彼(ら)の行動が大きく扱われました)の英雄的行動など、感動的なstoryがたくさん報道されました。それらは、もちろん事実で、有事に際してのヒトの強さというものを示してくれていると思うのですが、ぱっと見中東originの人たちへの有形無形の(大きなものではないにせよ)バッシングが行なわれたのもまた事実です。

長くなりましたんで、残りは「下」に持ち越します。
(実は、続きはまだまとまっていなかったりする)


SayoのBackgroundについては「はじめに」カテゴリの記事をご参照ください。
2011.09.07 13:06 | 分類不能 | トラックバック(-) | コメント(0) |












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