屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

というわけで、前回からの続きです。


そういうわけで、漠とした不安を抱えながら過ごしていたある日、ついにアメリカ軍によるタリバン攻撃が始まりました。

10月初旬の日曜日、旦那とレストランで食事をしている時に、店のテレビのBreaking Newsでそのことを知りました。薄々そうなることは感じていましたけれど。

この攻撃は本当に必要だったのかどうか、今はよく分かりません。ただ、当時、私の周りのアメリカ人(というのはおおむね図書館の同僚の気のいいおばちゃん達を指すのですが)の間では「テロ攻撃の首謀者を捕えようとするのは当然」「今後の安全のためにも必要」なので「攻撃は仕方がない」という意見が主流でした。テロからそう時間が経っていなかったことも影響していたと思います。たぶん、私自身も、同じように「仕方ない」と考えていたと思います(言ってみれば、結構感情論)。
もっとも、翌年イラク攻撃が始まった時は、その同じおばちゃん連の意見は、おおむね「本当に攻撃すべきなんか?」というものとなっていましたが。

で、話は戻りますが。
その攻撃に対する報復テロがあるかもしれないので、十分注意するようにと言うのを聞いた時、初めて「怖い」と思ったのでした。それまでも、ブッシュ大統領は、折に触れて”War against terrorism”という言葉を使っていたのですが、「戦争をしている国にいるんだあ」と実感したのはその時が初めてでした。
それまでの自分の人生では、歴史としてしかあり得なかった「戦争」の2文字が、現実のものとなりました。もちろん、空の安全は厳しく監視されるようになっていましたから、空襲などあるわけはありませんでしたが、TVや新聞では、小型の核爆弾や神経ガスを用いた無差別自爆テロの可能性にも言及していました。

そして、それからすぐ、「炭疽菌事件」が起こりました
覚えておられる方も多いかと思いますが、まずフロリダのタブロイド新聞社宛に、次いで上院議員やTV局宛に炭疽菌入りの封書が送られ、新聞社のスタッフやその封書を扱った郵便局の職員が多数感染し、数名が亡くなった事件です(正確には、最初の封書は、攻撃開始前にすでに送付され、スタッフの方も発病していたようですけど)。

最終的には、USAMRIDという政府系機関(軍の感染症研究所なので、炭疽菌の入手も可能と思われます)の元職員に疑いが掛かり、この職員が自殺し、彼の単独犯でテロとは無関係だったというような報告がなされて事件は収束したようですが、この報告に異を唱える者もいるようで、真相ははっきりしないようです。

上院議員宛の封書の中に、アルカーイダの犯行を示唆するような紙片が入っていたため、「今度は生物兵器テロ?」ということで、大騒ぎになりました。「疑わしい白い粉末のついた何かが見つかった」と言っては警察が出動する騒ぎとなり、ウチの近くの図書館にも、「本を開いたら白い粉がついていた」との通報を受けて、宇宙服(=バイオハザードスーツに身を包んだ)捜査員がやって来たなんてこともありました(ある意味貴重な光景ではあります<でも、砂糖か何かだったらしいですが)。

とはいえ、同時多発テロより、この炭疽菌事件の方が、実際に遭遇する確率が高い分、怖く感じられました。苦しんで死ぬみたいだしね。容疑者(候補)が特定されたのはずっと後になってからでしたので、もう封書が届かなくなってからもかなり長い間、「また次の炭疽菌入り封筒が、どこかに送られてくるんじゃないか」「別の形の生物兵器テロが起こるんじゃないか(←実際はテロではなかったのですが)」と、気が気ではなかったです(実は、結構怖がりな私)。

アメリカ政府も本当にピリピリしていたようで、その年の11月、NYで離陸に失敗して飛行機が墜落した時も、翌年の2月に、スペースシャトル・コロンビアが大気圏突入時に空中分解した時も、メディアがすぐに「これはテロではない」と繰り返していました。

この頃は、まだ、海外在住者向けに大手新聞の衛星版(紙版)というのが発行されていて(朝夕刊の記事をまとめたもので、夜遅くに配達されます<正確には、ドライブウエイに投げ捨てられます<車に乗ったまま、うまいこと投げ捨てていくのさ~)、我が家も読売新聞衛星版を購読していたのですが、同時多発テロこそ、かなりの期間大きく報道されたものの、炭疽菌事件については、短期間で表舞台から消え去ったように記憶しています。そりゃそうだよね。地球の裏側の国の、テロには関係なさそうな事件だもの。
でも、その時は、「こっちは、こんなに怖い思いをしているのに、日本は大して関心ないんだ」と、ちょっと不満に思ったり悲しかったりしたものでした。

同時多発テロについても、炭疽菌事件についても、決して当事者ではないんですけど、その時初めて、「中から見ることと外から見ることの違い」みたいなものを、少しだけ実感しました。不惑を前に遅すぎ、と言われれば返す言葉はないですが。
その後、「相手の立場だったらどう感じるだろう」ということを、考えるようになりました。Put yourself in someone’s shoesってやつですね。
もっとも、そうすることが、よい方向ばかりに作用したとは言えず、特に、母との関係においては、理性回路のヒューズが飛んでしまった母の言動について、いつも「でも、母の立場から見れば・・・」と考えてしまい、それで苦しくなってしまって、結局、冷静に「最善の方法」を判断することができなくなったりもしました。

9月11日は、やはり、多少は、今ある自分というものに影響したのかなと思います。
やっぱり、うまくまとまらないですね。

その日は、奇しくも、伯母の命日でもあり、東日本大震災からちょうと6ヵ月目の日でもあります。この半年間、結局、ちまちまと募金をしたり、東北originのものを購入したりすることくらいしかしてこなかったSayo家でした。これからも、同じような形でしかお手伝い(?)できないと思うのですが、せめて、これからも、数字としてではなく、色々なことを忘れずにいたいと思うSayoです。


SayoのBackgroundについては「はじめに」カテゴリの記事をご参照ください。
2011.09.10 20:28 | 分類不能 | トラックバック(-) | コメント(0) |












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