屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

日曜日に東京で開催された翻訳フォーラムのシンポジウムと大オフ(懇親会)に参加してきました。

翻訳フォーラム主催「シンポジウム & 大オフ2017」イベントページ
(終了していますが現時点でまだ当日の詳細が記載されているのでURLを記しておきます)
https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/015xveytug2r.html

またシンポジウムで紹介された資料やサイトの一覧はこちらのページで見ることができます。
シンポジウム2017で紹介した資料・サイトの一覧 (翻訳フォーラムブログ記事)
http://fhonyaku.blog.jp/archives/70691241.html

まだまだ咀嚼の途中ではありますが、記憶が新しいうちに記事にまとめておきます。
11時から17時まで、できる限り理解しようと努めながらノートをとり続けたせいか、夕方は脳が半死状態でした(単に脳が若くないだけという説もある)。

今年のテーマは「直訳と意訳の間で」。
イベントページには「どこまで原文に沿って、どれくらい離れるのが正解なのか。そもそも正解はあるのか。さまざまな角度から取り上げます」とあります。
「さまざまな角度から」とあるように、翻訳の歴史、「直訳と意訳」に対する各主催者の意見、術語からのアプローチ、原文(英語)作成者が学ぶライティングルール、辞書引きのおさらいと裏技、フォーラムワークショップの発表など、さまざまな切り口から翻訳が語られ、今いちど「よい翻訳とは何だろう、どうすればそれに近づけるだろう」を考える機会をいただきました。

「半死」だけではあまりにもあまりなので、レポートの前に、それ以外の感想を少し...

大事なことは、意訳・直訳云々ではなく、「その訳文は、原文が伝えようとするメッセージを、過不足なく、作成者が伝えようとしているやり方で(強調や記載の順番なども含めて)伝え切れているかどうか」を考えながら翻訳することを忘れないということだと再確認しました。「無意識のうちに常にそれができるようになる」ことが最終目標ですが、つい目の前のことだけに目が行きがちになりますし、年齢的なことを考えれば、努力の道半ばで力尽きるかもしれません。でも、たとえ力尽きるとしても、その日まできちんと頑張りたいです。お若い皆さん、おばさんも老体に鞭打って頑張っているのだよ。
今後、自分の弱点をよく洗い出し、その部分を強化していくという具体的な作業が必要になりますが、それはまたおいおいと。

こうした翻訳がクライアントさんの意に染まず、形式的な直訳を求められることもあるかもしれません。その場合、(もやもやしながら我慢するのではなく)「自分の翻訳の方が原文の意図や内容を忠実に伝えられているのだ」ということをきちんと説明できるよう「武装」しておくことも大事だ、ということも学びました。今お世話になっている翻訳会社さんは、意を尽くして説明すれば分かって頂けるところだと思っていますので、今後そういうことがあるようなら、きちんと対応していきたいとも思いました。


さて。
以下に、順を追って、(理解し得たかぎりで)内容に忠実にレポートしたいと思います。
昨年は、出席したいと思いながら叶いませんでした。今年もそのような方がたくさんおられるのではないかと思います。そうした方々に、たとえ少しでもシンポジウムの内容(の欠片)をお伝えすることができれば。
4名の主催者は、「屋根裏通信」の表記の原則に則り、I口、T橋さ、F井、T橋あと記載します。
間違ってメモした/発言の意図を取違えている可能性もあります。その場合の文責はひとえにSayoに帰するものです。


イントロダクション(I口)

最近「トランスクリエーション」という言葉をよく聞く。通常の翻訳より一段レベルの高い翻訳を指す言葉のように語られがちだが、「ソース言語とターゲット言語で同じ絵が頭に浮かぶようにする」作業が翻訳なのだから、翻訳作業そのものがトランスクリエーションではないか。
今日は、もっと昔から話題に上っている「意訳と直訳」について取り上げる。意訳と直訳は本当に別ものなのか、どちらかがよくどちらかが悪いのか、といったことを皆と一緒に考えたい。それぞれが、今日この場で語られたことを自分の仕事にどう応用できるかを考えてほしい。


翻訳の変遷(T橋さ)

(「意訳と直訳」について考えるための前段階として、日本における翻訳の歴史をまとめてくださったものです。江戸から明治期の翻訳について駆足で説明頂いたあと、戦後の国語国字改革への言及がありましたが、私の基礎知識と理解不足のため、順を追ってうまくまとめることができません。ご容赦ください。最近40年の変遷についてのみ簡単にまとめておきます-Sayo記...以降、括弧内の記述はSayoの補足になります。)

1980年代:
この時代の典型的な翻訳者像について説明。ワープロ専用機のAI変換は画期的。「つながる」手段がなく翻訳者は孤独。
1990年代:
マニュアルやローカライゼーション翻訳が出現。翻訳の絶対量が増加。パソコン通信浸透。翻訳フォーラムが生まれた。シェアウェア・フリーウェア・辞書ブラウザが生まれる。
2000年代:
TMが普及。シェアウェア・フリーウェアが全盛期を迎える。ウェブ検索が本格化。「次の翻訳に持っていって貼り付けられる訳」という意味のニュートラル翻訳が発生。
2010年代:
翻訳の低価格化、発注経路の変化。クラウドビジネスが生まれる。オンラインメディア用の翻訳が増加。


直訳とは、意訳とは(全員)
(4名の方が、それぞれ、自分の考えるところを語られました。)

T橋さ
ミラートランスレーションしてほしい、直訳しないでほしい等いろいろ言われることがある。英日間の翻訳では逐語訳による意味等価は無理だと思う。本来、「衛星図」(後述します)の向こうに見える絵が一緒であればOKでは。
F井
原文のIdeaを伝えることが大事。そこに意訳/直訳の別はないと思う。生徒に「足さない、引かない、動かさない」と教えるうちに自身がスランプに陥ってしまった経験を披露してくださった。「足さない、引かない、動かさない」の対象は原文ではなく、原文に込められたメッセージだということを忘れていた。機械的な翻訳と自分に都合がよく気持ちのよい勝手訳の中間に「よい翻訳」があり、行きつ戻りつしながら中間の位置に来ることを狙う努力をすべき。
T橋あ
原文のメッセージを伝えることが大事。直訳であろうと意訳であろうと、その文にふさわしい、原文の意を汲んだ訳文であればOK。なぜそのような訳にしたのかを言葉で説明できること。
I口
直訳にも意訳にも、それぞれ、よい直訳(意訳)、悪い直訳(意訳)があるのでは。よい直訳とは、原文の意味がきちんと出ているもの。よい意訳は原著者の意図をきちんと反映しているもの。そう考えると両者はほぼ同じものといってよく、「訳」は、翻訳、悪い直訳(字面訳)、悪い意訳(勝手訳)の3種類になるのでは。

フォーラム直訳意訳翻訳左90






(ここで、会場から、「超訳」をどう考えるかという質問があり、「原著者からOKが出ていて、超訳と謳っていれば問題ないのでは」との回答がありました。)

午前の部終了。
2017.05.25 17:54 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(4) |
2月にヨレヨレの半死状態で提出したコチラの通信講座、ちゃんと添削して頂くことができまして、先日、時間差で2本の添削済みシノプシスが戻ってまいりました。2本目の戻りはGW中でした。休日返上で添削頂いたようで、本当に感謝しています。

どのシノプシス原稿にも40~50個のコメントがつく(注意点と褒める点の両方)と聞いてはいましたが、課題図書には約40個、自由図書には20個ほどのコメントが付きました。
自由図書のコメントが少ないのは、決してワタクシのシノプシスのできがよかったからではなく、シノプシスが短すぎたからです。もっと正確に言えば、あらすじが。なもんで、突っ込むところがないのよね。

リーディングのシノプシスは、ざっくり言うと、作品情報、著者情報、あらすじ、読後感(所感)から成り立っているわけなんですが、ワタクシは、2本どちらのシノプシスについても、あらすじへのコメントでも全体講評でも「あらすじが短く不完全で編集者にきちんと本の内容が伝わらない」と言われてしまいました。所感は意外にも「長さも内容も適切」と言って頂けて、そこは救いです。ワタクシは、仕事でもそれ以外でも、たとえオブラートに包んだ状態であっても、「ここはちょっと...」とネガティブな言葉にするのがとても苦手なタイプでして(他人に嫌われたくないという都合のよいタイプなのだった)、作品のよい部分、悪い部分を比較しながらきちんと文章にするのはなかなかしんどかったからです。

講評では、あらすじ部分の不完全さを「時間が足りなかったのかもしれませんが」と思いやって頂きましたが(まあ、それは事実なんですけど)、たとえ時間があっても、自分には短いあらすじしか書けなかったと思います。
どうも、ワタクシは、勝手に「あらすじは短い方がいい」と思い込んでいたみたいです。頂いた資料もきちんと読んだんですけど(<て、読んで「理解して」ねーだろ<自分)。2本のサンプル・シノプシスも、あらすじ部分は結構テキトーに読み流していました。

どうしてかなと考えていて(あらすじをまとめて文章にする筆力や構成力が不足していることは、ここでは取りあえず忘れておくんなさい)、それは、「読者を意識して」あらすじを書いていたからかなということに思い至りました。他の方はどうか分かりませんが、読者としてのワタクシは、結構少ない情報で「よし、この本を読もう!」と決めるタイプです。「あー、そこまで言わんとって(楽しみが...)」的な(<それで失敗することも多いのだった)。あらすじをまとめるときは、知らず知らずのうちに「自分」という読者を意識してしまい、そのために自分好みの、結果「編集者からみて情報の足りないあらすじ」になってしまったような気がします。でも、よくよく考えてみれば(というか、考えてみるまでもなく)、編集者はシノプシスの情報を基に「売れるかも」を判断するわけですから、過不足のないそれなりの長さのあらすじがいりますよね。
読後感の部分は「編集者に売り込む」ことを意識して書いているので、読後感としては「適切」と言って頂けたものの、逆に、全体として、バランスの悪いちぐはぐな印象のシノプシスになっていたかもしれません。

ということで、もう一度サンプル・シノプシスを読み直し、2本の原稿を書き直してみようと思います。

毎日の仕事では、目に見えない読者を意識することはなかなか難しい(報告書が多いんで意識するまでもないというか...)。
リーディング講座は、「きちんと読者を意識した文書を作成する」ということの大切さと難しさを改めて意識するよいきっかけになったかなと。訓練という意味で、ときどき「コレ」という原書のシノプシスを作成することはやってみようと思います。時間はないけど...まあ、何とか作るよ(あくまでも希望的観測です)。
2017.05.10 23:40 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |
**屋根裏ではセミナーや講習会の講師の方のお名前は、S木さん、T橋(あ)さん、S藤さん、M井章子さんなどのようにアルファベット混じりの表記を基本としています。ご了承ください(直リンク張っているので意味ないっちゃ意味ないんですが...)。


翌日は、コチラの↓対談を聴きに日本出版クラブさんまで。
http://www.shuppan-club.jp/?attachment_id=1136

その前には、やはり対談に出席なさる方やそうでない方が数名ランチに付き合ってくださり、楽しくお喋り。同業の方とのお喋りからは、やはりたくさんの刺激をもらえます。
日本出版クラブのある神楽坂という場所は今回初めてでしたが、かなりの急坂で、「神楽」以外に「かくら」(崖や渓谷の意)がその名の由来であるという説もあるというのも頷けます。

「洋書の森」は出版翻訳者のための洋書ライブラリが母体で(、でいいのかな?)ワタクシは部外者なんですが、ウィークエンドスキルアップ講座の内容が豪華で、いつも「羨ましいなあ」と指をくわえて見ていました。今回、奇跡的に前記事のワークショップと日程が重なり、初めて参加することができました(ランチの方々がご一緒してくださったので、心細い思いもせずに済みました<ジツはかなり小心者)。

I口耕二さんとK野万里子さんという接点の見つからないお二人の「リラックス対談」というのも興味をそそられます(ジツは翻訳以外で意外な接点があったことが判明するのですが...)。I口さんのお話はお聞きしたこともありますし、さまざまな媒体で書かれたものを読んでもいますが、K野さんのお話を聞くのは初めてです。ワタクシが最初の通信講座を始めたとき、そこから巣立った新進翻訳家として雑誌で紹介されていたのがK野さんで(確か「愛は束縛」だったかと...)、畑は違えど憧れの方ではありました。

対談はお二人の自己紹介で始まりました。最初はお二人とも若干緊張気味のように見受けられましたがが、すぐに舌もほぐれてきます。話慣れていらっしゃるせいか、お話もお上手です。
次に、それぞれが「思い出に残る仕事」に言及されました。I口さんは「スティーブ・ジョブズ」、K野さんは、確か「キュリー夫人伝」を挙げておられたと記憶しています。
I口さんが、超特急(通常の3分の1の期間)で「スティーブ・ジョブズ」を翻訳されたあと、精神的肉体的に元に戻るのに数年を要したと仰ったのが印象的でした。また、K野さんは、文芸翻訳家は翻訳の間「向こう(作品の舞台となった場所と時間)」に行ってしまっているので、現実に戻ったときの疲れがハンパないと仰っていました。

他に印象に残った言葉に「ひとつと出会うことはひとつと分かれることである」というものがありました。
特に出版翻訳の場合は、ひとつ仕事を受けてしまうと次にきた仕事は断らざるを得ず、「そうまでしてやりたい仕事かどうか」を常に自問自答しながら仕事をされるのだとか。そうしたところに「無理をすれば何とか」という形で舞い込んできたのが「スティーブ・ジョブズ」であり「星の王子様」(K野さん)だったそうです。それを「やれる」と判断できた一因に、お二人ともかなりの背景知識をお持ちだったということがあります。翻訳者は常に好奇心を持ち、アンテナを張り、勉強、ですね。
分野は違いますし、1案件の量も全然違いますが、自分を高め日々の仕事に満足を求めるのであれば、常に「やりたい案件か」「やりたい分野につながる案件か」を自身に問いながら仕事をしていく必要があるのだなあと。実際は収入的なこともあり、そうばかりも言ってはいられない部分もありますが。でも、「自問自答するかどうか」は大事だよなと改めて思いました。

対談は予定時間を大幅に超過しましたが、時間の経つのを忘れるほど、また「もっと聞いていたい」と思えるほど楽しい対談でした。

最後にお二人が仰ったのは、「(思い返してみれば、翻訳をするために)これまでの人生で無駄だったことは何ひとつない」ということ。K野さんはピアノで大きな挫折を経験されたそうですが、それさえも今の自分の糧になっていると。そういえば、前日、S木さんも同じようなことを仰っていました。翻訳でも人生でも、あと(あるいは人生を終えるとき)になって「無駄だったことは何ひとつない」と思える生き方をするのがヒトとして大事なことなのかもしれません。少なくとも自分はそういう生き方をしたいなあと思いました。

その日のうちに帰阪しなければならず、祝賀会の乾杯までご一緒して会場をあとにしました。
お世話になった皆さん、本当にありがとうございました。楽しい2日間でした。
2017.04.21 21:54 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(2) |
先週末はこっそりお上りさんしていました。
普通なら翌日に勢いで記事を書き上げるSayoですが、翌日はまだ東京でしたし、その後は締切りと戦って半死状態でしたので(自分が悪いんですけど)、記事を書くのが遅くなってしまいました。


「翻訳ストレッチ」(旧名称:翻訳筋トレ)というのは、ベテラン金融翻訳者のS木さんが毎日仕事を始める前になさっている勉強法で、昨年JTFのセミナーでも紹介されました。
その後FB上の勉強会で開催されたワークショップも大好評だったため、今回もう一度開催される運びとなりました。
「その場で実践する」というワークショップ形式なので、DVD視聴ではなく実際に参加してみたいと思っていました。でないと、実生活に何をどう取り入れてよいかが分かりにくいと思って。

ちなみにですが、ワタクシも「自称(←ココ大事)筋トレ」を毎日の生活に取り入れて20年近くになります。S木さんのストレッチに比べれば「ながらリスニング」「なんちゃって筋トレ」に過ぎませんし、日本語力の向上や分野特有の言回しのクセ取りを意識しだしたのはここ1~2年のことなので、同列に語ることはできませんが。それでも「習慣化している」という点だけは同じかなと思いましたので、主な過去記事を貼っておきます。

で、音読ですが」(2011年) 
筋トレ」(2014年) 
昨年の音読・リスニング記録」(2017年1月) 

話を戻します。
S木さんは「つい同じ表現を使う」「原文/訳文の全体像を見失う」といった翻訳をする際の自分のクセを直す目的で、毎日「翻訳ストレッチ」を続けられているとのこと。

・文章中の「が」「は」「の」「、」に注目しながら短い文章を読む。
・すぐれた原文と訳文を対比し、英文を読めば訳文が出てくるまで読み覚える。
・短文を指定時間内にできるたけたくさん覚える(英→日、日→英)。
・英語の文章を味わいながら読む。
・日本語の文章を味わいながら読む。

といったことを、1セット○分と時間を決め、キッチンタイマーで時間を計りながら行っておられます(忙しいときは一部を端折ることもある)。
ワークショップでは、S木さんが用意してくださった資料を片手に、実際に時間を計りながらフルセットを行ったのですが、だいたい60分強くらいの時間になりました。


「覚える」ものもいくつかありますが、「その後もずっとその表現を覚えておく」ことが目的ではなく、「頭の一部にでもそういう表現を使用した記憶が残っていれば」を目的としておられるということで、それを毎日続けることが「自分のクセを取る」ことにつながるのかなあと思います。

ワークショップでは「力がついたと思うか」「効果はあるか」といった質問が出ましたが(恐らくどのワークショップでも出たのではないかと思います)、「よく分からない」という回答でした。
以下はワタクシ個人の考えになりますが、こうした勉強法の効果というのは、たとえば10年くらい続けたあとで振り返ったときに、「もしかしたらこれが続けてきた効果かもしれない」と実感できるものなのではないかと思います。逆に、1~2年で効果を出そうという気持ちで始めたのでは長く続かないのではとも。「1~2年で効果を出す」ためには、一定期間を区切って意識しながら深く勉強しなければならないわけで、「翻訳ストレッチ」はそうした勉強とは少し異なるもののような気がします。翻訳ストレッチを通じて得られるものは、「はっきり目には見えないけれど、少しずつ自分の身になっていくもの」と言えるんじゃないかなあと。それくらいの気持ちで取り組むのがいいのではないかと思いました。
また、S木さんご自身も仰っておられましたが、S木さんが時間をかけて辿り着いたやり方が誰にとってもベストとは限らないかもしれません。まずは自分の弱点(くせ)をよく見極め、それを直すために毎日何かひとつふたつ続けるとしたら、何をすればよいだろうということを考えることが大切かなあと。その際のヒントとなるやり方をたくさん紹介して頂いたワークショップでした。

さて。
自分の日常にどう取り込むかですが、「すぐれた原文と訳文の対比」は取り入れてみたいと思いました。そのためには今のやり方を見直す必要もあり(すでにアップアップしているという...)、今後どういうやり方にすれば一番よいか思案のしどころです。
2017.04.20 17:27 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |
・・・という表現でいいのだろうか。

手持ちが少なくなったので、新たに100枚作りました。
いつも近所の文房具屋さんにお願いしています。多少割高にはなりますが、かなりデザインの融通がききますし、1~2文字増やしたり減らしたりしても、きれいにレイアウトしてくださいますので、結構気に入っています。

「名刺を持つ」ということに対し、長いこと頑なに心を閉ざしておりましたので(?)、初めて名刺を作ったのは4年前です。
表書きに微調整は加えましたが、これまでのデザインを踏襲しました(ジツは気に入っているのだった)。

ただ、今回は裏に取扱い分野を追加しました。
こんな感じです↓↓↓

科目:循環器科・脳神経外科・口腔外科・整形外科など
機器:植込み機器(心血管疾患関連機器の経験豊富)・手術用具など
文書:臨床/非臨床試験報告書・論文・社内/院内教育資料など


同業者・翻訳会社の方はもとより、そういう機会があれば業界外の方にお渡しすることも念頭に置いて記載内容を考えました。
いちおう「この内容の案件であれば期待を裏切らない訳文を提出します」と胸を張って言えるものだけを記載しています(まあ5%くらいは「盛って」ますし、普段猫背なんで胸を張るといってもたかがしれていますが)。

ワタクシは普段、どちらかといえば、「できることでもできるとは言わない」自分からは出て行かないタイプなのですが(『だって言ってできなかったら恰好悪いし、言わなかったら上手くいかなくても分からないし』という小ずるいタイプともいう)、今回は勇気を振り絞って「できることは言う」名刺を作ってみました。
名刺に恥じない仕事をしようという気持ちにもなるので、実際に仕事につながることはなくても、これはこれでいいのかもしれない。

もう一度増刷する機会があることを祈りつつ...
2017.03.20 23:51 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(2) |