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屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。


シフト勤務の旦那が31日、1日と出勤だったので、例年にも増して「正月を迎える」感のないわが家の年末年始。
ということで、年末、少しだけ念入りに掃除し、大ものを洗濯し、「新年を迎える準備よし」としました(<そこまでいい加減でいいのか<自分)。
そのとき、実家から持ち帰った私物の最後の箱も整理しました。

そこで発掘したのが25年前の退職挨拶状。
OLの日々は自分の中で遠い昔のことだったので、平成になってから5年間も働いていたのかとびっくり(確かに「お局さま」という立ち位置にはいた)。

わたしはその挨拶状に「今後は翻訳という未知の分野で頑張っていきたい」と書いていました。

職場はよい雰囲気で居心地もよかったけれど、少し前から、仕事自体には行き詰まりを感じていました。結婚の予定はなかったけれど、かといって、そこで長く働く自分も想像できませんでした。
そんな中で始めた翻訳の勉強が思いのほか面白く、これを仕事にしたいと思うようになり、2年間収入がなくても生活できるだけの貯金を貯めたところで退職しました。平成5年(1993年)のことです。

その頃わたしは出版翻訳がやりたいと思っていました。「実務翻訳」という言葉はまだ市民権を得ておらず、そういう世界があることをよく知らなかったということもありますし、自分の名前で訳書が出るということに憧れもありました。
けれど、思い返してみれば、原文の読みも浅く、段落のつながりや文脈に思いを巡らせることはありませんでした。調べものも今とは比べものにならないほど大変だったとはいえ、言葉の選び方もおざなりで、一文一文を上手く訳せて満足していました。翻訳をなめていたと思います。

今、当時の自分と話ができるなら、「その心構えで出版翻訳なんか到底無理だから」とびしっと言ってやりたいです(今なら自信を持ってできる、ということではありません<念のため)。

結局、退職して2ヵ月後に派遣翻訳者として工場で働くことになり、その後、実務翻訳者の道を歩んできました(その後いくつもの回り道や停滞期を経たので、翻訳者としてのキャリアはもっと短いですが)。
辞めた当初の目標とは違ってしまいましたが、それでも今まで続いたのは、「必要とされている」感が心地よかったこと、好きなことをやって報酬が得られたことも大きな理由ですが、何より、英語で書かれたものを日本語らしい表現で伝えるという作業が好きだったからだと思います。翻訳を目標に退職したという選択自体は間違っていなかったかな。

25年前、わたしは、自分がどんな翻訳がしたいのかよく分かっていなかった、漠然と思い描いてはいても、少なくとも言葉にはできていなかったと思います。
今は、こまごま書けばいろいろありますが、突き詰めれば、著者の伝えたいことが読者に無理なくきちんと伝わる、そんな翻訳がしたいと、とりあえず言葉にまとめられるところまでは来ました。

25年かかったけれど、それでもここに辿り着けてよかったと、今は思っていますが、25年前のわたしに「しっかりと『自分が理想とする翻訳』を言葉にできるようになるまでに25年かかるよ」と伝えたら、いったいどんな顔をするでしょう。意外にしぶといヤツではあるので、それでも「なにくそ」と翻訳は辞めていないかもしれませんし...全然別のことをやっているかもしれません。

思いがけなく年末に過去の自分と出会い、来し方を振り返り、今思うところを再確認することができました。

同業の方、そうでない方、たくさんの方に教えられ支えられてここまで来ることができたと思います。
本当にありがとうございました。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
2019.01.03 00:27 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |

総括

十人十色・大阪編(1月6日)は、もう遙か昔、2~3年前のできごとのような気がします。それでいて、1年あっという間だったような。
変化の少ない毎日を過ごしていた私には、さまざまに「濃い」1年だったようです。

翻訳以外

実家の仏壇を処分しました(私は実家の最後の人間なのです)。
来年は、実家の売却はともかく、中身をすべて処分するところまでいければ。空家になったのが2010年1月、さすがに「ひと目に曝すのどうよ」と思われるものはほとんど処分しましたので、そろそろ業者に任せてもいいかなと思っています。
面倒くさくて先延ばしにしてきた実家の処分ですが、義父母も目に見えて老いてまいりまして、「とにかく仏壇だけは」と立ち上がった2018年、来年は「とにかく中身だけは」何とかできれば。幸い来年の翻訳フォーラムは早いうちから予定がオープンになりましたので、その時期を外すべく鋭意画策中であります。

翻訳

ジツは、11月以降、仕事が減りまして、仕事がない期間が数日続くことが2~3回ありました。12月中旬以降、多少盛り返した感がありますので、一過性のものだったかもしれませんし、そうでないかもしれません。昨今の機械翻訳化+CAT使用優遇→必須の増加(あくまでも私の扱う分野ということです)と関係あるかもしれませんし、ないかもしれません。そういうことは、これまでもあったのですが、ここ数年は(こちらからお願いした場合は別として)数日打診がないことはなかったので、少なからず不安な時間を過ごしました。不安の源は、1. 収入が減る(ウチは今基本私の収入+預金切崩しで生活しています)+2. 「自分はもう必要とされていないのかもしれない」感の2つです。どちらも同程度に辛かったですね。

これまでは、そうした徴候がみられたら、すぐに自分の希望に合いそうなところを探して新規取引先を開拓してきたのですが、今回は、すぐに行動に移すかどうか迷っているうちに時間が経過し、今に至るという感じです。義実家関連のことも理由のひとつですが、これまでは、とにかくどんな形でも必要とされたかったのですけど、今は「自分がやりたい翻訳ができるところで必要とされたい」気持ちが強く、そうなると、アプローチしたいところもなかなか少なくなってまいりまして。現状、2~3社に絞って書類準備までした段階です。今メインでお仕事を頂いているところも、それなりに面白い仕事を下さるので、しばらく様子見ですが、大事にしていきたいと思っています。

で、あくまで自分比ですが、結構、勉強したり参考書籍を読んだり(しつこいようですがあくまで自分比です<念のため)できたので、それはよかったかな。

そんな風に、11月から12月にかけて少し悶々としましたが、全体を通していえば、(社員やユーザー)教育資料、パンフレットなど、個人的に「面白い」と思うタイプの翻訳もそれなりにあり、内容としては結構充実していたと思います。また、少し別の方向にも一歩足を踏み出した年でした。こちらでの新しい出会いも大切にしたいです。

また、今年は、初めて勉強会やセミナーの運営に関わらせていただきました。1月に「十人十色・大阪編」、7月に「翻訳フォーラム・大阪でもレッスン!」、11月に自分たちの勉強会の「公開勉強会」と3つの勉強会を(事務局として)開催しました。来年も年明け早々、「翻訳フォーラム・大阪でもレッスン!その2」、3月に「公開勉強会・東京編」が控えています。春以降は、いつも何かしら細かい準備をしていたような気がします。そして分かったことは、「自分、意外に事務局に向いてるかも」ということ(一緒にやって下さっている方が、私のことをどう見ておられるかは分かりませんが)。細かくネチネチと地味に事務仕事をやっつけるの嫌いじゃないです(<そこかよ)。

もともと、(翻訳に携わる年月もそれなりに長くなりましたので<年数だけは)、ブログで情報提供する以外にも、こうして自分を育ててくれた翻訳の世界に恩返しをしたい+大阪でも東京のようなセミナーができたら、と思って始めたことでした(同時期に同じ思いの事務局メンバーがいらっしゃったことは幸運であったと思っています)。「自分が体験してよかったものを全力で呼ぶ」というのがワタクシ的基本方針でして(あくまで自分はそういう風にしたいってことです)、今後、そうしたセミナーをどれだけ体験できるか分かりません(まず出かけていく必要があるので)。状況の許すかぎり、体験し、感動し、その感動を関西の同業の方とも分かち合いたいと思っています。いつまでできるか分かりませんが。そして、その間に、この流れが途切れないよう、「セミナーを開催する」ノウハウ的なものをもう少し蓄積できればと思っています。

という感じで、なんのかの言いながら、翻訳中心の生活を送ることができた1年でした。
来年は、どうなるかは分かりませんが、朝、目を覚ましてつつがない1日を祈り、夜、平穏に翻訳に向かえたことを感謝しつつ床に就く、そんな生活を1日でも長く続けられたらと思います。

昨年末は、「来年の抱負」に、
「やりたいときにやりたいことをやる」「動くときは動く」
と書いています。
世間から見ればしょぼい内容でしたが、自分的には、いちおうどちらも達成できたかなと思います。そこは褒めてやろう>自分。

来年の抱負は特にないです。
しいていえば「よく学び、よく翻訳する」
年々テキトーになっていくような気がしますが(笑)。

こちらを読んでくださる皆さんが、穏やかに幸せに新年を迎えられますように。
そして、健康で「嬉しいこと」の多いしあわせな1年を過ごすことができますように。

来年も「屋根裏通信」をどうぞ宜しくお願いいたします。
2018.12.29 23:07 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |

...ラーメン、が話題になりました。

そのセッション、私も聴講するつもりでしたが、体調不良と修羅場により、翻訳祭セッションは全欠席となりました。残念です(←それでも、這って交流パーティには行ったヒト)。

自分の耳で聴いたわけではないので推測ですが、ツイートの内容やセッション内容紹介を読むかぎり、今後、メディカル分野へのMT進出が加速するのは間違いなさそうです。
(*私の機械翻訳の理解は一般的な理解の域を出ませんので、以下の文章は、もしかしたら、機械翻訳を若干取違えているかもしれないこと、ご容赦ください)

他分野の方には「メディカルが(人間翻訳の)最後の砦」みたいな言われ方をすることもありましたが、私は、決してそんなことはないと思っています。
どの分野もそうであるように、文書によっては機械翻訳を用いた方が統一されたものができると思えるものもあります。それもかなり(自分が知っている医療機器翻訳の範囲ですが)。
最初のうちに「機械翻訳→時間を掛けてよいものにPE→機械翻訳にFB」を繰り返して、どんどんよいものを喰わしておけば、それなりの結果が得られるようになるのではないかという気がします。
食べ物にたとえたいのであれば、美味しいものばかり食べてさせれば舌が肥え、不味いものばかり食べさせれば何が美味しいものなのかいつまでも分からない、みたいな。
今は、コスト削減+時短ばかりが叫ばれ、「最初にお金をかけてよいものを仕上げる(その方が最終的によいものができる)」という視点がないような気がします(私の誤解だったら申し訳ないのですが)。

私は決して機械翻訳に反対するものでも拒否するものでもありません。きちんと使えるのであれば、使えるところは使えばいいと思っています(自分がやりたいかどうかは別問題ですが)。前にも書きましたが、「知識の豊富なスキルの高い翻訳者にこそPEをしてほしい」が本音であるならば、PEという仕事を段階評価するなどの工夫をこらし、スキルのあるエディタは高く評価してほしいと思いますが。将来は分かりませんが、現時点では、機械翻訳はまだまだ腕のいいエディタの助けを必要としているように思います。

上記のセッションと同じ時間帯に、「How Machine Translation can help you most」というセッションがありまして、実はそちらにも興味を惹かれていました。

昨晩、パーティ前に頂いた資料を眺めていましたら、某社Bulletinに、このセッションの講師の方へのインタビューが載っていました。そこでは、「MTは注意深く準備されなければならない」「MTは、いわゆる『流暢なエラー』を生み出し...こうしたエラーは、翻訳者が気づきにくいものだ」「ニューラルMTが、どうすれば私たちが望む一定の環境や個別のプロジェクトに適応するのかわからない」とはっきり仰った上で、「それでも機械翻訳のアウトプットが役に立つ」と述べておられます(Post Editor=翻訳者と捉えていらっしゃるようですが)。今となっては、こちらの話の方を聞いてみたかったですね。

私自身は、「自分でいろいろ考えて翻訳するのが楽しい、したい」と思っているのですが、実際的な話をすれば、ここ2~3年で、仕事の内容はかなり変わりました。
ツールを使用しないと公言+処理量が特に多いわけではない、ということから(それが理由の1つであろうと思っています)、出来上り100枚(400字)を超える案件は少なくなり、案件の内容も、「その方が意味が通じるのであれば、原文直訳から離れてもOK」的なものが増えました。今は、これまでと同等の売上げがありますが、現状のまま新規開拓を怠れば(OR単価を上げなければ)確実に売上げは減るだろうと思っています。年齢や環境的なこともあり、今後どうしていくかは悩みどころではありますけど(今の方針は変えないと思いますが)。

今後、機械翻訳+ツール+PEは増えていくのではないかと思います。その流れは止められないのかなと。
そうなったときに「自分で翻訳したい」のであれば、ともかく自分の翻訳力を鍛えておくしかない、というのが今の考えで、それが勉強会にもつながっています。
「これからどんなふうに翻訳に関わっていくのか」に正解はなく、個人個人が決めるしかないことだと思います。でもそこに「自分はどうしたいか」があるべきで、「流されるだけ」はダメなんじゃないかというのが、私の考えです。

ラーメンには私の心も若干ざわつきましたので(笑)、思いつくまま書きました。
あくまで個人的な考えです。念のため。いろいろな考えがあっていいと思います。
2018.10.29 00:01 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |

...になります。このブログを始めてから。こんなに長く続くとは...

...思ってました。何か書いてないと気がすまないヒトなので(注:文章のヘタウマはここでは忘れてください)。


この8年を振り返って、ほんの少し「成長したかも」と思える点があるとすれば、それは、「自分はこういうふうに翻訳したい」「ここは譲れない」という部分が固まってきたということでしょうか。

3年目くらいから、SNSやFace-to-faceで、同業の方々と少しずつ交流するようになりました。
そうした交流は私にとっては諸刃の剣で、とにかくどんな情報も仕入れておかないと置いて行かれると焦り、キャリアの長い方が勧める方法はよく考えずとりあえず試そうとした時期もありました。
今も、焦ったり「これをやらなきゃ」と思ったりすることも多々ありますが、実行に移す前に「それは本当に私に必要なのか」を(前より少しだけ)考えられるようになったような気がします。
そうした交流のきっかけになったのはこのブログなのですが、同じブログが、書くことで考えをまとめる場にもなりました。流されやすい自分を、少しだけ流されにくくする助けになってくれたように思います。

2年ほど前に若干の心境の変化がありました。
将来義父母(+義妹)と同居する覚悟を決めたことで、それまでの間、翻訳で「やりたい」「やってみたい」と思ったことは全部やってみようと思うようになりました。
そして今、翻訳に関わること(翻訳やらリーディングやら勉強会やらセミナーの裏方とやら)と家事以外はほとんど何もしていない状態です。
たまに、そういう生活って外から見たらつまらない生活と思われるのかなと思うこともありますが、死ぬときにはそれなりに満足して死ぬんじゃないかという気がしますので(そのときが来てみないと分からないですが)、変化の少ない幅の狭い生活、自分にはあっているのかもしれません。ただ、さまざまな意味で視野狭窄にはならないように気をつけなければならないと思いますが。

不思議なことに、きちんと自分の方向を決めて進めば進むほど、翻訳すればするほど、自分の力のなさを痛感し、翻訳に対する畏怖の念のようなものが湧いてきます。
それなのに、翻訳することは楽しい。年とともに長時間机に向かうのがしんどくなり、納期に追われて胃が痛い思いをすることもあるのですが、それでもやはり、訳語候補と格闘し、椅子にもたれて天井を見上げ、最適の言葉が「降りて」きてくれるのを待つ時間は、至福の時間なのです。あとから思い返せば、ですが。

そんなわけで、このブログは、この先、ますます「翻訳オンリー」化(セミナー・勉強会関連記事多め?)していく可能性が大です(+ときどき読書感想文)。
自分にツッコミいれるのも、文章の性質上なかなか難しくなりました。それだけが無念です。
そんなブログでも、ときどき覗いてやっていただければ幸甚です。
2018.10.17 23:22 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |

届きました~。
業界の動向はやはり気になりますから、毎回購入するようにしています。

2年前の号とあまり変わらないつくりですが、その時点で「これから」の方を主な読者とする雑誌としては、これはこれでいいのかなと思います。
それなりに勉強してきたハズの私も参考になる部分はまだまだたくさんあります。

医療機器の扱いが小さいのは、ちょっと悲しいですが、まあ毎度のこと。
法律は「医薬品医療機器等法」に変わっても、メディカル翻訳の分野では、まだまだ添えもの的扱いなのだと感じます。
電気機械やITが絡んでくるので「メディカル」で括りにくいということはあるかもしれません。それで、どうしても包括的な説明だけになってしまうのでしょうが、いつか、少し違った切り口からの医療機器翻訳に関する説明を読んでみたいものです。今後需要が増えこそすれ、減ることはない分野だと思います。

今回、一番興味深く読んだのは、メディカル専門の翻訳会社の方による「AIの時代がやってくる-メディカル翻訳におけるMTの可能性」という記事でした。巻頭特別企画のひとつです。
短納期で言い回しが決まっている(定型書式)文書にSMTを利用する、という考え方には頷けるものがあります。
今後、メディカルの分野でも、人手による翻訳と機械翻訳が併存するという流れは避けられないのかなと思います。寄稿者の方も「MTは確実に普及する」と言っておられます。

ひとつ気になったのは、「MTをツールとして上手に活用していくためには、より高い専門性、翻訳スキルが求められる」「MTを仕事を奪う競争相手と考えるのではなく、効率化のツールと考えていただければ」と書いておられること。(間違っていたら申し訳ないのですが)これは、「知識の豊富なスキルの高い翻訳者にこそPEをしてほしい」とも読めます。
文書の性質にもよるでしょうが、確かに、アウトプットされた訳文に(内容的に)間違いがないかどうかをチェックするには、特にメディカルの分野では、かなりの専門知識が必要になると思います。専門的正確性を担保しつつ、読むに耐える訳文にeditするには、高い翻訳スキルも必要でしょう。
けれど、PEという作業は、翻訳者をアウトプットされた訳文の範囲でしか翻訳できなくしてしまうのではないかと思うのです。自分で一から考えるからこそ、さまざまな方向から翻訳に取り組むことも可能です。でも、どんなに優秀な方でも、「すでにある訳文の範囲で直す」という作業ばかりしていると、その範囲で考えることしかしなくなり、最終的には、その訳文のレベルの翻訳しかできなくなってしまうのではないでしょうか。それは言いすぎとしても、本来の翻訳力がある程度低下するのは否めないと思います。少なくとも、何かと流されやすい私はそうなってしまうと思います。

とはいえ、PEが、高い専門性とスキルを必要とする作業であるのも確か。
ですから、翻訳会社には、優秀な方は、その技術に対して、金銭的に正当な報酬で報いてほしいと思います。
そして、もしも自社登録の優秀な翻訳者の方をPEに抜擢しようと考えているのであれば、そうすることで――人によっては――その方本来の翻訳能力を低下させてしまうおそれがある(翻訳会社的にみれば、優秀な翻訳者を失うリスクがある)のではないか、という点も今一度考えてみて頂ければ嬉しいなと思います。


*「翻訳能力の低下」に関しては、周りの影響を受けやすい自分の目線で「こうではないか」と考えているものです。「そういう可能性もあるかも」と捉えて頂ければ。
それはそれとして、翻訳者自身も「この先自分はどうしたいか、何をしたいか」をきちんと考える時期にきているのではないかと思いました。
2018.10.05 01:03 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(2) |